20150315 インマヌエル教会聖日1部


サムエルの業績
(Ⅰサム7:1-14)


序論
▶イスラエルの教会が最も力が弱かった時のことでした。エリの祭司長は目がかすんでいて、祭司長たちは皆、崩れていた時代です。その時、神様はサムエルを召されました。国が一番苦しいときでした。ペリシテが続けて戦争を起こしていた時代です。その時、神様はサムエルを召し、そこに平和があふれていたと言われています。このサムエルはまた、次世代を育てる大きな運動をするようになりました。
▶ほとんどのクリスチャンはこのように質問します。私はどうすればよいでしょうか。私に問題がきましたが、どのように解決できるでしょうか。私は本当にこの大変な問題をどのように解決すればよいのでしょうか。10人のうち9人はそのように尋ねます。
▶皆さんが、その部分に対する答えを、今日のサムエルを見ながら見つけなければいけません。なぜでしょうか。今、私たちは現在、苦しみの中にいるかもしれません。ほとんどは過去の間違った部分が植えられているからなのですが、とにかく、苦しみの中にいるかもしれません。また、もしかしたら私たちにこれから苦しみが来るかもしれません。このようなとき、私たちはどのようにしなければならないのでしょうか。
▶約17年、18年前のことです。私は大邱の集会に行きました。ある方が来てお証しをしました。牧師先生だけを集めたところでお証しをされたのです。その内容を、私は約15分間、聞いてみました。自分は親がとても大変だったので、勉強をすることが全くできなかった。だから、就職もできなかった。そこで道端を歩きながら、あることを思いついたそうです。私は何をして食べて行けばよいのか。目に飛び込んできたのがあるジャージャー麺の店でした。それで、その店に入って主人にお願いをしたそうです。「私がこの中華料理の配達をするのはどうですか」と。すると、オーナーさんは「ちょうど配達する人を求めていたのでよかったです」ということで仕事を始めました。その日から、ジャージャー麺を一生懸命、配達しました。もちろん給料も少しいただきました。うれしいことにその日の仕事が終わると、ジャージャー麺を食べることができました。喜んでいただいたそうです。それを何年もやったそうです。熱心にしました。そうするうちに、ある日、オーナーから呼ばれました。「あなたはもう年齢もかなりあるし、その年で配達するのはよくないからやめてほしい」ということで話をされたそうです。それで、少し失望した状態でまた道端を歩いていたら、教会を見つけました。その教会に入ってお祈りをしたそうです。「神様。私は神様を信じたいです。でも、私はなぜこんなに大変でしょうか。私はお金もなく、背景もなく、親もなく、私はなぜこうなのでしょうか。私は信頼できる人もいません。だから、私は神様だけを信じたいです」。そのように祈ったそうです。すると、そこの教会の牧師先生がいらっしゃって福音を伝えてくださったそうです。この福音を受けて神様の子どもになりました。それとともに自分の悩みを打ち明けたそうです。すると、牧師先生はそれは心配する必要はありませんとおっしゃいました。あなたはジャージャー麺を配達するのではなく、ジャージャー麺の店をオープンしなさい。お金がありませんでした。テーブル一つだけをやっと置けるような狭い店を一つもらったそうです。朝に教会に行っては祈りをしましたが、祈り方もよく分からなかったけれども、とにかく「神様」だけを叫んだそうです。「神様、ジャージャー麺!」というように。文章も並べられません。祈り方が分からないから。牧師先生が言うに、あまりにも祈りができないからといって、「神様、ジャージャー麺」それだけはちょっとおかしいと言いました。本当に神様のためにどのように生き、どのように他の人に福音を伝えるのか、このようなことを祈ってもよいのだが、本当に世界宣教を置いて祈りながら、ジャージャーメンを売って祈っていました。お金をかなり儲けました。そして、ある方とお会いして結婚もしました。自分の妻に一度も外食をさせたことがなかったそうです。まあ外食はとにかくジャージャー麺を食べればよいので。そして、お肉を買ってあげたこともないそうです。ある日、奥さんが牛肉を食べたいと言ったそうです。だから、連れて外に出ました。あまりにもお金がもったいなかったので、牛肉屋さんの前を行ったり来たりして、その後家に帰ろうということになりました。私たちは行ったり来たりして臭いをたくさん嗅いだから、これで十分でしょうと帰ろうとしました。すると、奥さんがものすごく怒ったそうです。「牛肉を一回も買ってくれないなんて。それでも男か」とすごく叱られたそうです。歳月が過ぎ、奥さんから謝られたそうです。なぜなら、本当に貯めて、貯めてジャージャー麺を売って残したお金を集めて、自分と同じような人がたくさん生まれてきてはいけないから、そのお金で親がいなくて勉強をするのに難しい子どもたちのために背後で隠れて助けてあげていたのでした。だから、妻は自分の旦那がお金がもったいないからそういうことをしたわけではなくて、理由があったということを発見して申し訳ないと謝ったそうです。それが噂されて大邱の市長やマスコミにも知らされるようになりました。市長がその食堂に行って見ると、店の中にテーブルがひとつしかなかった。こんなによいことをしている人だから、すごく店が繁盛して大きな店の社長さんだろうと思って行ったところ、テーブルひとつに椅子4つしかありませんでした。それが余計に感動的でしたが、どのようにしてこんな小さなお店で、あれだけたくさんの学生たちを育てることができたのでしょか。この男の人は言いました。「私は勉強ができなかった。大変だから勉強ができなかった。私のような人がまた社会にたくさん出たのでは行けない。だから、理由はそれだけです。そして、学生たちが、神様をよく信じて、よく生きて欲しいとお証しをしてくださいました。15分くらいのお証しだったのですが、多くの人々が感動しました。そして、その場で直接、ジャージャーメンを作ってくださって、一杯ずつ食べました。ジャージャー麺がそんなにおいしかったというわけではありませんでしたが、でも、その方を見て、私は心から申し訳ないなという気になりました。

1.霊的サミットに行きなさい
▶多くの人々は目先の問題に対して、「どうしたらよいのでしょうか」とよく言います。最も基礎から、最も事実から、最も謙遜なところから霊的サミットに向かって行くのです。皆さんがすべきことはそれです。皆さんは最も基礎から、最も事実的に、最も低いところから謙遜に霊的なサミットに向かって走って行くのです。
1)その母の祈りからそうでした。サムエルの母が虚栄心で祈ったときには、全く答えられませんでした。しかし、ナジル人の祈りをささげたときから、神は答えられたのです。その後、生まれたのがサムエルです
2)そして、Ⅰサムエル2章から見ますと、サムエルは幼い頃から神殿にいました。エリの息子たちが堕落して物も盗むのを見ました。特にレムナントの皆さん、外に出て、自分の問題に対して虚栄心をもって祈っていたのでは、絶対に答えられません。瞬間的には答えられるかもしれませんが、それは本当の答えではありません。少しでも虚栄心があれば、ずっと自分ではない人間になっていきます。だから、後には嘘をつかなければならない。そうですよね。簡単に言うと、のちには自分自身もだましていかなければならないことになります。また、他の人もだまして行かなければなりません。このような虚栄心をエリの息子たちは持っていたので、のちには物まで盗んでしまいました。
3)そんな雰囲気の中で、神殿で神のみことばを握って祈っていたものがサムエルでした。Ⅰサムエル3章にはこのような記録があります。エリは自分のところで寝ていた。それで神のみことば、幻が見えなくなってしまった。少年サムエルは契約の箱の横で寝ていた。重要なことです。
4)ここでサムエルは深く祈りながら大きな神様の御声を聞きました。それがⅠサムエル3:4-18による内容です。
5)その時からサムエルにどんなことが起こったでしょうか。サムエルの言葉は一言も地に落ちなかった。
▶この祝福を皆さんが受けることを願います。神様が備えてくださった祝福です。聖書の中で一番重要な部分を逃してはなりません。
▶未信者の人たちのやり方はどうでしょうか。皆、うわべのことを気にします。虚栄心を持って行います。さらに嘘をつきます。そして、自分自身を誇りに思っています。うまくいっているように見えるかもしれませんが、それはうまくいっているわけではありません。そこには真実がありません。とにかく挑戦して熱心に走りますが、そこには真実がありません。決して霊的サミットには行けません。とりあえずは何かがまぐれでうまくいくかもしれません。しかし、それはとても危険なことです。サムエルはそうではありませんでした。霊的サミットに向かって行ったのです。皆さん、今大変でしょうか。それをうまく解決しようと思わずに、基礎に戻ってください。そして、事実的にやってください。虚栄心を捨ててください。謙虚な姿勢で祈って行きますと、神様は皆さんが霊的サミットに上れる祝福を与えてくださるのです。それが福音です。そうです。神様の子どもに与えられた霊的祝福は霊的トップに立つことができる祝福が与えられています。この力がなければ、続けていろいろな試みに遭ってしまいます。特に未信者の前で続けて嘘をついてしまいます。続けて虚栄を持ってしまいます。続けて人目を気にして行きます。そういう生き方をいつまですればよいのでしょうか。皆さんが受ける祝福は別にあるということを覚えていただきたいと思います。これをサムエルは知っていました。
▶皆さん、レムナント7人を見てください。奴隷になり、監獄に入り、王の前に立ったが霊的サミットとして立ちました。皆さんは何も心配せずに、神様がくださった福音の中にある霊的サミットに上がってください。そして、上るときには基礎から始めるべきです。事実的に始めることです。虚栄心を捨てることです。謙虚に始めることです。そうすれば霊的サミットとして立つことができます。ほとんどの人々が途中でうまくいかなかったり、祈りをたくさんして熱心に伝道しても、最終的にうまくいかない人たちの特徴は、虚栄心があるからです。学生が死ぬほど勉強しても、基礎がうまくいっていませんとカンニングしない限り、試験に合格することはできません。カンニングして合格したとしても、後に大きな働きをすることができなくなります。
▶皆さん、聖書を詳しく見てください。時代を生かしたすべての人々がみなそうでした。皆さんがある日、霊的サミットに上がったとき、福音の中でモーセはエジプトで多くの働きをすることができました。世の中は大変です。しかし、その苦しみの中で、ダビデは揺れませんでした。主は私の羊飼い、私は何も乏しくないと告白しました。事実上、霊的なトップに上がっていたので、何も問題になりませんでした。これがレムナントです。バビロンの捕虜になって行った人々もそうでした。国が間違ってバビロンの捕虜にされたが、ダニエル、シャデラク、メシャク、アベデネゴは霊的なサミットに上がっていました。特に重職者は、特にレムナントの皆さんも、この祝福を見つけていかなければなりません。これが福音です。福音とは何でしょうか。世の中の人を生かすために霊的サミットに上ることです。どれだけ大きな祝福が与えられ他のでしょうか。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けて地の果てにまで証人となる」と言われたのです。初代教会は異端の濡れ衣を着せられました。そして、ガリラヤの人々が集まっていました。法的に禁じられていたその宗教たちも皆、圧政を受けていました。しかし、マルコの屋上の間に集まりました。そこに集まった人々をとおして、偉大なる祝福を与えられました。皆さんは、何も心配することなく、何があっても霊的サミットに上ることです。

2.サミット運動が起きる。(Iサムエル7:1-15)
▶では、サミットになったあと、2番目に続いて来る祝福は、皆さんがおられるその現場でサミットの運動が起きるということです。つまり、皆さんがサミットであると、皆さんがいらっしゃるその現場は、サミットの運動が起きるほどの現場の変化が起きます。
1)さて、今日は、契約の箱を安置させる場面が出てきます。この契約の箱を置く現場です。契約の箱を治めるというのは、出エジプトから出てきたときの契約です。
2)そして、そのあと何か。そこに全民を集めます。そして、契約の箱をおいて、すべての人たちをミツパに集めて、すべての人たちに主に戻りなさいというメッセージをしました。これがミツパ運動です。神様は、皆さんをとおしてもミツパ運動を起こすと思います。
3)この時、ペリシテが攻撃してきました。この時、サムエルが祈る中でどれだけ霊的力を持っていたかと言いますと、そのサムエルの祈りによって、雷鳴が天から下りるくらいの霊的パワーがありました。災いを止める力が合ったということです。災いを止める運動です。
▶そして、Ⅰサムエル7:13-14、サムエルが生きている間は、一度も戦争がなかったと言っています。サムエルが生きている間は平和がありました。戦わずに勝利をしました。サムエルが生きている間は、そうでした。
▶皆さん、昔の人たちに会うと、よく挨拶言葉としてこういう言葉を言います。皆さんはそうではないでしょうが、昔は会えば必ず挨拶する言葉がありました。「食事はなさいましたか」という挨拶です。なぜ昔の人たちは会えば必ず「食事をしましたか」という挨拶をしたのでしょうか。昔はととても貧しかったからです。だから、食事をしたか、してないかということが挨拶でした。これと同じように、イスラエルの人々は会えば挨拶する言葉があります。「シャローム」と言います。なぜシャロームというのでしょうか。あまりにも戦争が多かったので、いつも苦しんでいたからです。「特別なことはなかったですか。ご無事でしょうか」「はい、大丈夫ですか」ということで、「シャローム」と言いました。そのイスラエルの家は、アッシリヤ、バビロンの国がありました。そして、イスラエルの下には、エジプトの国がありました。そして、左側はペリシテの問題、右側はあの有名なアラビアが存在していました。アラビアの文化がどれだけ偉大なのか分かりますか。この数字1.2.3.4はアラビアから出てきました。このように強国に囲まれていたのがイスラエルです。イスラエルでは、昼夜を問わず、戦争が起きていました。平和な一日はありませんでした。しかし、サムエルが生きている間は、戦争がありませんでした。
▶皆さんが霊的な力がなければ、四方八方から攻撃されます。しかし、霊的な力がある限り、その四方八方は皆さんの福音のための道となります。神はなぜイスラエルを選ばれたのでしょうか。イスラエルは中心に遭ったので、それをとおして全世界に福音が宣べられるからです。皆さんに今、福音の力がなければ、周りの皆が皆さんの敵になります。しかし、サムエルとダビデのように、福音の中にある霊的な力が皆さんにあれば、皆さんの身の周りのすべての人は、道になっていくでしょう。今日この祝福を回復していただきたいと思います。

3.記念碑(エベン・エゼル)-次世代に証拠なる祝福
▶それだけではありません。今日、神様が今日まで私たちを導かれた「エベン・エゼル」、その記念の言葉、名前が出てきました。神様がサムエルをとおして一つの石を取り、そのミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名前を付けた。意味は、ここまで主が私を助けてくださったということです。記念碑です。どれだけ大きな祝福なのでしょうか。これはつまり次世代のための祝福です。皆さんをとおして、次の世代まで生かすことができる記念碑的な祝福が与えられるでしょう。
1)このミツパ運動の核心は誰でしょうか。ミツパ運動の核心は、サムエルですが、そこに集まる人は誰でしょうか。このエベン・エゼルという祝福をどうして与えたのでしょうか。
2)次の世代にこのミツパ運動の次のレムナントたちがいます。そのレムナントの中で重要な人物がダビデです。このミツパ運動に全民が集まり、ダビデが集まっていたと思います。
3)その霊的運動に参加していたダビデに対して、ある日、神様はサムエルと出会いを与えます。そして、サムエルはダビデに重要なことを伝達します。「あなたはこれから王になるだろう」。それからまず伝達します。どれだけ大きな祝福でしょうか。皆さんにもこのような祝福が与えられるとしたらどれだけ大きな祝福でしょうか。自分のミッションが与えられるわけです。あなたはこれから王になる。そして、次は契約の箱について語られたと思います。契約の箱を正しく治めるためには、神殿建築が必要だということも伝えると思います。重要なすべてのミッションをダビデに伝えます。それに対して、聖書はこう語られました。その日以来、ダビデに主の霊が激しく下ったと言われています。この働きを伝達したのがサムエルです。

結論-サムエルが最後のときに言った話が数種類ある
▶今日、皆さんは何も心配しないでください。1部礼拝でこれを握ってください。私の問題をどのように解決するか。最も事実的に、最も基本から、最も謙虚に、一番下から、神の前で始めてください。そうすれば、霊的サミットに上がることができます。これが信徒が受ける祝福です。これが福音を持っている者が受ける祝福です。私は子どもの頃、家で一番耳にした言葉は「お金がない」という言葉です。とにかくお金がない。皆さんは聞いていないかもしれませんが、私はたくさん聞きました。そして、教会に行って一番多く聞いた言葉は「伝道は難しい」「教会は復興しない」という言葉でした。皆さんはどうかわかりませんが、私はそうでした。そして、多くの信徒、重職者たちにお会いして感じたことは、不平不満をたくさん聞きました。また、多くの牧師先生たちにもお会いしました。その先生方をとおして、牧会の大変さ、そういう内容を聞きました。だから、事件や出来事を聞くたびに我慢しなければならない、大変だということを聞きました。ある牧師先生が牧師たちと一緒に旅行に出かけて山を登っていたら、木があって見ると腐っていました。それで「あなたは牧会をしたのか。なぜそんなに腐ったのか」と言っていたようです。私はそれを全部聞いて判断しました。嘘です。事実なのですが、違います。なぜ私たちの教会が伝道できませんか。世界福音化を待っている対象がこんなにたくさんいるのに、私たちはなぜ貧しいのでしょうか。事実を見なかったからです。私たちは事実だけ見れば勝利することができます。事実を正しく見て、そのあと霊的サミットに上っていくのです。それが今日、皆さんが受けるべき最初の答えです。
▶2番目の祝福は何でしょうか。多くの人が死んでいます。皆、大変で死に行く人生です。だから、ミツパ運動をしてほしい。そうだ、私は人を生かさなければと思いました。
▶最後の運動は何でしょうか。私たちは次の世代、子孫を生かすためにエベン・エゼルの運動をしなければなりません。神様が私たちをここまで助けてくださった、導いてくださった事実を次世代にまで伝えなければなりません。これがサムエルの業績です。私たちは年を取っていき、もっと大変な時も来るでしょう。サムエルはものすごい業績を残し、ダビデを育て天に召されていきました。飛行機に乗りますと、航空会社によってそのまますぐ乗れる飛行機があるし、また、シャトルバスに乗って移動しなければならないと木があります。私がシャトルバスに乗ったときに、ある方が私を見て立ちました。私の顔を見て席を譲ってくださったので、私達のメンバーなのかなと思ったら違いました。一般の人でした。どうして私を見て席を譲ってくれたのかとずっと考えていました。よく考えたら気分があまり良くありませんでした。相手は私がおじいちゃんに見えたのです。高齢者が来たから譲ったということです。私に席を譲ってくれた人も、そんなに若くはなかったのですが、私はガラスに映った自分の姿を見ました。瞬間、気分はあまり良くありませんでした。私はまったく年だと思わないけれど、人にはそう見えるのだなと思って、気分はあまり良くありませんでした。でも、ほとんどみなそうでした。チョン•ウォンジュ牧師も、自分が39歳だと言っています。病院に行ったら、医者が自分のことを39歳だと言ったということで。金東權牧師は自分の教会で、信徒たちが120歳まで生きられるようにと祈っているということでした。そういうことをよく聞くと、逆に自分が老いたと証明しているわけです。なぜなら、若いレムナントが「私は120歳まで生きる」などとは一切言わないし、若い青年が「私の体の細胞は39歳だ」といちいち若さを強調しません。若いからです。それ老いたという証拠です。誰かが私に席を譲ってくれたのに、感謝すべきなのに、なぜ気分が悪いのでしょうか。実は、私が老けたということを認知しているわけです。でも、聖書はどのように記録されているのか。自分が年なら年だと、自分の齢を知る者は知恵ある者だと言われました。詩篇90:12、モーセがそう語りました。自分の齢を数えることができる人は知恵のある者だと。私はどんどん年を取っていくのだなと自分の齢を数えることができるように。そして、また私にそのような知恵の心を与えてください。それがモーセの祈りです。
▶サムエルが最後のときにこういう言葉を残しました。5つの言葉を残しました。
1)Ⅰサムエル12:8。主がエジプトであなたがたを救い出された。それを記憶しなさいと言いました。偶像の中に陥ってはならないということをお話しました。
2)Ⅰサムエル12:21ではこう言いました。救いもない、何もあなたがたに与えることができないむなしいことを伝えてはならない。
3)そして、最後にまたこのように語りました。ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。22節にそのようなことを言いました。
4)そして、23節に重要なことを言いました。祈りながら休む、その罪を犯すことはない。つまり、祈りのことに対して、休むことを罪だとサムエルは語っています。
5)そして、24節にこう言いました。心を尽くして主に仕えなさい。
▶サムエルの最後の言葉を見ますと、5つのキーポイントが現れます。まことの成功のキーが出てきます。それは何か。
1)最初に主の導きを受けなさいということです。エジプトからあなたがたを救い出されたその主の導きを受けなさい。
2)そして、虚しいことを全部、区別しなさいということでした。
3)そして、主の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らないということは、あなた自身がどんなものであるか、自分のアイデンティティを知りなさいということです。
4)そして、祈りが何か。
5)そして、心を尽くして神を慕いなさい。それはすごく重要な部分です。
▶今日、皆さんが事実を正しく見て祈りを始めてくならば、神様は皆さんを変えてくださると思います。福音の力は、皆さんを変えます。私は昔、神様が私を祝福してくださるなら、私は勉強もして留学もして博士になると思いました。でも、それは間違ったことだったのです。ある日、悟りました。世界に出ることは、それは将来、出るなら出るということですが、今、私が何をすべきかということです。いまだに福音を聞いたことがない霊的に死んでいく人たちがあまりにも多いから、今。主の御前で私は本当に主に仕えて行こうと思いました。その中心を持って祈るとき、本当に何でもない私に霊的サミットの祝福を与えてくださったのです。多くの人々は、あの牧師はすごい人なのだなと思うかもしれませんが違います。神は何でもない私に人を生かすミツパの運動ができる祝福を与えてくださいました。皆さんが今、大変な思いをしているかもしれませんが、その祝福はエベン・エゼルの祝福に変わっていくはずです。
▶直接、私が聞いたお証しなのですが、昔、ホン・ヨンネという方がいました。この方は教授なのですが、政治家を集めて講義をしたり、公務員を集めて講義をする教授です。女性の方です。私が副教役者をしていたころ、教会に講師として招いたことがあります。その方を見て、「ああこの方が噂のホン・ヨンネさんだな」と思いました。カバンなどを置くときに、下に置かれていました。舞台に上がったときにこうおっしゃっていました。お証しをする内容がないのに、呼んでくださったので少し重たい心でこの教会に来たとおしゃっていました。私はその言葉にすごく共感しました。本当にあれは真実なのだなと思いました。その方は梨花女子大学を卒業しましたが、その後、ある新聞を見たそうです。小さな記事でしたが、ある地方に旦那さんが病気になって妻が子どもたちを置いて、家出をしてしまったという内容でした。父親は深刻な病気にかかっていて動くこともできません。子どもたちは物乞いをしなければならないほどになってしまいました。その記事を、このホン・ヨンネという方が見たのです。そこで神様の前で祈ったそうです。一体このような女性がいるのか。自分も女性だが、同じ女性として許せないと思いました。祈りながら、その家を訪ねようと思ったそうです。すると、自分の親や友人たちに「あなたは正気か」と言われました。でも、このホンさんは言いました。病気の夫を捨てて子を捨てて、でも、妻は浮気をして逃げてしまったのだと。それで、その方がその家に行って見ますと、どんなに床を拭いても雑巾が汚くなるほど大変な状態でした。そして、子どもたちをお風呂に入れさせました。あまりにも普通の女性が来て、そうやって献身する姿を見て、近所に人たちはいろいろな噂をしました。あの人はスパイだとか。おかしいだとか。そして、子どもたちを教育させようとしたら、町のレベルも問題がありました。だから、近所の子どもたちすべてを集めて、学校を作りました。それで町の子どもたちに教育をしました。それを長い間、継続していたら、噂がどんどん広がりました。それとともに地域全体に影響を及ぼすようになりました。初めて大統領から電話が来て、セマウル研修院で講義をするようになりました。また大学の方でも呼ばれるようになって講義し、公務員を教育するときにも呼ばれたりしました。彼女にとっては、自分は神様を信じているから良心的にそうやっただけなのに、それがお証しするほどのことになったということでした。私はその話を聞きながら、言葉は簡単ですが、全くの他人のところにそういった献身ができるということは、すごいことではありませんか。とても勇気のあることです。しかも独身でした。それが町に行って他人の子どもを育て、近所の子どもを育てるということは容易なことではありません。私は自分の娘のことを思って見て、私の娘がそういうことをするとしたら大変そうだなと、ああいうことをしないでほしいなと思いますが、それくらい大変だということです。でも、どうでしょうか。本当に話したい内容がこれです。
▶それよりも重要なことは何でしょうか。福音のために。人を生かすために、渡した詩は召されたということです。今日、この握るべき子の答えを握って、本当に主イエスの御名で勝利していただきたいと思います。


(祈り)
神様、この時間がいやされる時間となりますように。聖霊の力によって私たちが知らない恵みに預かることができますように。そして、私たちに隠れた霊的な病気がいやされますように。肉の病気をもいやされますように。もっと重要な霊的な病気もいやされる神の力の一日となりますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。