20150412 インマヌエル教会聖日1部


With(ともに)の祝福を味わうことから
(使1:3-8)
ファン・サンベ師


序論
▶聖歌隊が賛美をささげた後、「アーメン」と行った時に、皆さんも「アーメン」とご一緒に言っていただきたいなと思います。「アーメン」と神様に栄光をささげてください。
▶皆さんは、この人生を生きていく中で、本当に幸せだと思う瞬間はいつだったでしょうか。美味しいものを食べたときに幸せですか。またはよい大学に入学した時に幸せを感じるでしょうか。または、よい仕事に就職できたときに幸せでしょうか。また、職場で昇進をしたり、愛する人に出会って結婚をしたときに幸せな瞬間だったと思います。また、少しずつお金を貯めてマイホームを購入した。そして、そこでみなで仲良く暮らせるようになった。また、子供たちが成功していく姿を見て、両親として頼もしい、幸せだと思う瞬間だったと思います。しかし、このようなものはすべてが肉的なものであって通り過ぎていくものです。
私たちはそのような幸福感に浸ってとどまるような存在ではありません。
▶イザヤ40:6にも語っています。すべての肉は草にすぎないと。そして、その美しさは、花のようだ。草も花も華麗であるかもしれないけれど、すべては腐ってしおれていく。しかし、神のことばだけは永遠に立つと聖書は言われています。私たちは、永遠の神様のみことばの中で、とても重要な幸せを発見するようにしていかなければなりません。神様がおられる。創造主の神様がおられる。私の魂の父親がいらっしゃる。その父なる神が天の栄光を捨てて、私を救われるためにこの世に来られた。十字架の上で絶対に解決できない問題をすべて背負って解決してくださった。そのキリストが今、聖霊の御霊で私の中に生きておられる神の子どもになった。
▶皆さん、聖書のみことばを通して、私の人生の完全な答えを得るその日が、その人の最高の幸せの始まりです。まことの価値を発見した人は、幸せな人生が始まった人です。皆さんの人生にあって本当にキリストによって、まことの価値を発見し、幸せな生活をいつも味わっていただきたいと思います。もっと感謝なことは、この霊的な事実を私たちが知ったことが本当に感謝です。神様は、私自身が何ものであるから、あの天の御座の栄光を捨てて、私のためにこの世に来られたのか。私が受けなければならない罪の問題を、地獄の問題を代わりに背負って解決してくださったのかということです。福音を悟るということは、神様の恵みでなければ絶対に不可能なことです。IQが高いから福音を悟るということはありません。また勉強をたくさんして留学までした人が、この福音を悟れるのでしょうか。違います。世的な経験が多いから、知識が豊富だからこの福音を悟れるというわけではありません。この福音を悟るということは、全面的に神様の恵みにあるのです。福音を悟るというそれだけでも本当に感謝なことなのに、この福音をとおして時代の災いを止める福音運動、伝道運動ができるところに、私たちが加えられたということが本当に神様の恵みです。
▶「このすべてが神様の恵みである。このすべてのことは、神様の恵みである。福音を悟ったということは、ある意味、自分にとっては恥ずかしいことであって、すべては神様の恵みである」という賛美があります。私は拍手を受けるために賛美をしたわけではありません。この拍手の意味は、「私自身もそう思います」という皆さんの信仰の告白であると信じます。このすべてが神様の恵みです。皆さんが生きている間に、心配、思い煩いが増えたり考えたりしてしまうときは、「このすべてが神様の恵みである」と告白してほしいです。この福音が私にあるということを思っていただきたいと思います。人生というのはいろいろと波があると思います。大変なことがあり、楽になったと思えば、また大変なことがある。そのような波があるたびに、「このすべてが神様の恵みだ」と告白してください。夫婦喧嘩しながらも、「このすべてが神の恵みだ」と告白していただきたいと思います。すると、その場で夫婦喧嘩がストップすることがあると思います。このすべてのことが神様の恵みであって、皆さんはその恵みの中に生きる者たちです。
▶それで今日の1部礼拝の主題はこのようにつけてみました。ともにの祝福を味わうことから、つまり「Withの祝福を味わうことから」です。

1.WITH(ともに)の祝福の奥義
▶まず、Withの祝福の奥義を私たちが知っておくべきです。三位一体の神様が今私たちとともにおられるのですが、その三位一体の神様が今もしておられることがあります。では、何をしておられるのか。1)父なる神は、今も神様のみことばをとおして、私たちとともにおられます。神様は目に見えません。目に見えればどんなに私たちは楽でしょうか。しかし、目に見えません。なぜでしょうか。霊ですから、目に見えることができません。しかし、その霊である神は、みことばをもって今も働いておられます。▶ヨハネ1:1、初めに、ことばがあった。このことばは神とともにおられた。このことばは神であると言われています。神は今もみことばをとおしてともにおられます。みことばをとおして語られます。みことばをとおして、その語られたみことばを神様がご自分で直接、成就されます。
▶御使いをとおしても神様はみことばを成就されます。神様のみことばを成し遂げられる御使いたちよと、詩篇で言われています。神様の御心を成し遂げる天の軍勢よと言われています。みことばを生きて、力があります。そして、今も働いています。
▶ヘブル4:12に、神のことばは生きて力があると言われています。私たちの霊、肉、魂の奥底まで癒していく、いやしのみことばです。
▶イザヤ40:8を見ると、このみことばは変わりません。不変です。永遠に立つと言われています。今も父なる神はみことばをとおして働いておられる。
2)子なるイエス様は、その御名の権威とその御名の力で、私たちの中で働かれます。すべてのものがひざまずくしかないキリストのその御名。今日もその御名の権威と力で信じる者とともにおられます。天と地のいっさいの権威を持っておられる方が、キリストの御名で、私たちとともにおられます。
▶ルカ10:17にも、そのイエスの御名が宣べられる現場で悪霊の勢力が離れていきます。
▶使徒3:6に、生まれながらの足のきかなかった男にも、キリストの御名が伝えられた時に、その人生に変化が起きました。
▶使徒16:18にも、道端で悪霊にとりつかれていたある女性がいました。キリストの御名が宣べられた瞬間、その女に働く暗やみの勢力が離れていきました。
▶使徒8:4-8を見ると、サマリヤの町にキリストの御名が宣べられた時、多くの人についた汚れた霊が離れていったと言われています。今日も子なる神様は、その御名の権威と力によって私たちとともにおられます。
3)聖霊の神様は目に見えませんが、今も御霊の霊を持って働きながら、私たちとともにおられます。聖霊は、神の霊です。
▶今日の本文を見ると、真理の霊だとも言われています。信じる者の中に、永遠にともにおられると約束されました。皆さん、本当にキリストを信じるならば、聖霊が私たちの中におられることを確信していただきたいと思います。
▶ですから、この3つの奥義を現場に行って揺れてはいけません。忘れてはいけません。父なる神様、子なる神様、聖霊の神様は、三位一体の神様は、今も信じている私たちとともにおられます。使徒1:8を見ると、力を持って私たちとともにおられます。現場を征服する力を持って私たちとともにおられます。

2.三位一体の神様を味わう道
▶では、この三位一体の神様が私たちはとともにおられるのですが、どのようにそれを味わえるのでしょうか。父なる神、子なる神、聖霊なる神、この三位一体の神をどのように味わえるのか。
1)神のみことばをとおして講壇のみことばをとおして、神を味わうことができる。
▶まずは、みことばをとおしてです。つまり、講壇のみことばをとおして味わうことができます。講壇のみことば、記録された聖書のみことばを信じることです。信じなければ何の道理もありません。みことばを信じるとき、聖霊の御霊が働かれます。そして、信じるとき、信仰の働きが起きます。では、どのように信じればよいのか。それは事実的に信じることです。ただ単に、無鉄砲な信仰ではありません。事実どおりに信じることです。事実どおりというのは、聖書に記録されたとおりに、契約のとおりに信じていけばよいということです。私たちには感情というものがあります。私たちの感情、感覚よりも、事実、聖書の記録が優先します。同じ内容を聞いて、ある人は泣く人もいますが、泣かない人もいます。また、自分にあった涙とか感情的な部分に頼って信仰を持っていったのではいけません。またある人は、みことばを聞いて行くうちに、体験というものをする人がする人がいると思います。肉で、肌で感じる何かの体験ということよりも、みことばが優先でなければいけません。ときには、ある人にとっては自分の信仰が不完全であったり、信仰を与えるためにある体験というのが与えられることもあるかもしれません。けれども、神様のみことばは、事実的に信じることです。ある人は夢や幻想をとおして体験する人がいるかもしれません。けれども、そのような夢や幻想を見て、それを信仰として頼ってしまうということは、とても不完全な状態です。よく信徒たちの中で、自分の夢の話をよくする方がいます。自分が見た夢はすごくよく当たると言います。ある人は「牧師先生、この夢はどういう意味ですか」と、時々来て夢の話をする方がいます。私は、必ずその人に伝えます。「もしかしたらその夢を見るとき、夢の中で犬を見たことがありますか」と。それは何でもない夢です。「いや、すごくはっきりとした夢でした。私はなんとなくわかります」という方がいらっしゃるかもしれませんが、夢は聖書でもなんでもありませんので、夢で見た感覚、夢の中で見たことを信じて、そのとおりに現実をやってしまったのでは大変なことになります。三位一体を味わう道の一つ目は、みことばをとおした講壇のみことばを事実的に信じることによって味わうことです。
▶では、みことばに従って行くとはどういうことでしょうか。よく「みことばに従ってください」と言われるのですが、みことばに従うということは信じることです。信じて信仰の上に行けばよいのです。ある人は、信じたばかりなので、みことばにどうついて行ったらよいか分からない。今日一日、目を覚ましたときにどのようにみことばについて行けばよいのでしょう。やり方が分からないから、聖書をどこでもいいからぱっと開いたら、マタ27:5でした。その聖書箇所は「イスカリオテのユダが自ら首をつって死んだ」という部分が出てきました。「あれ、しまった。私は今日死ねというのか」。そんなやり方でみことばについて行く人がいますが違います。もう一回やってみようと目を閉じて再度広げてみたら、ルカ10:37。「あなたも行ってこのとおりにやりなさい」と書いてありました。よし、もう一回やってみようと開いてみると、マタイ14:31。「信仰の薄い者よ、なぜ疑うのか」。こんな形でみことばに従って行ったのではいけません。それはすごく危険なやり方です。みことばについて行くということは、講壇中心について行くということです。記録された聖書の事実どおりなその契約どおりについて行くということです。その日の祈りの手帳のみことばがあるならば、そのみことばを握って信仰を持って行けばよいということです。みことばに従う思いを持ってください。そして、みことばを敬うようにしてください。
▶ネヘミヤ8:1-6を見ると、エズラがある会堂の前で、多くの人々を集めてお話しました。早朝から正午まで何時間も律法の書物を読んでいました。学者であったエズラは、講壇の上に立った瞬間、律法の本を広げる瞬間、その場に集まったすべての民が起き上がったという記録があります。それは何を表しているのか。みことばを敬う。みことばに留意して耳を傾けて聞いたということを現しています。そして、エズラはそのみことばを読んでいくとき、多くの人々が「アーメン」と答えました。皆さんも、神様のみことばの前にそのように敬い慕い「アーメン」とお答えしていただきたいと思います。
▶黙想し暗唱していかなければならない神様のみことば。みことばを黙想するたびに、暗唱するたびに、私の魂の深いところにまで神様のみことばが根付いていきます。私たちの中に根付いているのは世的なことであって、非常に嫌なことであり、暗いものが刻印されています。ですから、みことばをとおして魂の奥底にみことばが根付いていやされ、答えられるようにお願いします。
2)また、私たちは祈りをとおして三位一体の神様を味わうことができます。
▶祈りは何でしょうか。自分が持っている情報を神様に知らせるのが祈りではありません。私の情報を、神様が知らないでしょうか。違います。言わないと分からないでしょうか。違います。祈りは神様への情報伝達ではありません。祈りとは何でしょうか。私とともにおられる神様を味わうのが祈りです。祈りの定義を変えていただきたいと思います。私とともにおられる神様を、私の現場で、その神様が今も私とともにおられますということを味わうのが祈りです。キリストの御名を高め、御名を賛美し祈る。それが祈りです。そのたびに、聖霊の満たしを受け霊的な力を得るようになります。
▶私は今朝も、3人家族が食卓の前に座りました。今日の区域メッセージは家庭礼拝の復でした。今日は家庭礼拝をささげる時間はありませんでしたが、食卓の前に3人が座りました。私はご飯を食べる前に祈りました。「神様、今日も主の日を与えられたことを感謝します。私たちを通して神様が今日も最高の栄光を受けとめてください。私たちは3人が教会に来て、各自やることがあります。それぞれがしているその働きの上に聖霊が働きますように」と祈りました。短く祈りましたが、その後にご飯を食べました。一日を始めるとき、心が本当に喜びの心を持つようになりました。皆さんがキリストの御名をもって、神に向かっていくときに、聖霊様が私たちの中に働かれます。短い時間ですが、その瞬間の祈りの中に霊的な大きな力が得られるようになる。そのような祈りをささげてください。一日を始めるとき、祈りの中で霊的な力を持って一日を勝利していただきたいと思います。
▶キリストの御名の権威を味わうことができる特権が私たちに与えられたということを覚えていかなければなりません。祈りながら、その御名の権威を存分に活用してください。
3)救いの働きを成し遂げられる聖霊の御働きを通して、三位一体の神様を味わうことができる。
▶今も、聖霊は、私たちの中で働いておられます。聖霊の御働きを事実どおり信じる者は、その信仰の中に聖霊が働きます。聖霊は、今も私と皆さんを通して神様の救いの御働きを成し遂げていきます。使徒8:26-40を見ると、聖霊様が伝道者ピリピとエチオピアの宦官との出会いを導かれます。この出会いの祝福を聖霊様が導いてくださいました。使徒16:6-10を見ると、伝道の門が塞がっていましたが、その塞がれた門を、神様は聖霊の祈りをとおして開かれました。聖霊は、今も信じる者をとおして、救いの働きを成し遂げられていきます。

3.三位一体の神様の働きに対する個人適用
▶ともにおられる三位一体を、私たちが個人的にどのように適用したらよいのか。
1)この三位一体の神様の働きについてわからなければどんなことになっていくのかから見ていきましょう。
▶創世記1:2のように、私たちは、暗やみ、混沌、空しさの中で人生を送っていくしかありません。その中から抜け出すことができません。サタンはその中で人生を最後まで滅亡させようと付きまといます。人生はどこから始まって、何をしてどこに行くのか全く原因すら知らず苦しめられて終わってしまうのです。だから、漱石3章のサタンにだまされるしかありません。神様が主人であるにもかかわらず、自分が三位一体を否定して分からなければ、自分が例えば救われたとしても、自分が主人になっていますから、全く味わうことなく自己中心的になって生きていくしかありません。そうすると、途中、途中ではなく、人生丸ごとがサタンにだまされて、創世記6章のネフィリムの影響を受けて生きていくしかありません。そして、結局、自己中心ですから、成功しようと努力しますが、創世記11章のバベル塔のように崩れていくしかありません。
▶解決しようと何かを求めていきます。自分の問題があるから解決しようと努力します。あがいて行きます。けれども、それが使徒13章のように、シャーマニズムの中に陥っていくしかありません。なぜ私の人生にこのような問題が来たのか。答えがなくて悩み、結局また使徒16章のように占術などの占いに頼ってしまいます。どんなに人に尋ねてみても、自分の問題の答えを正確に知っている人などいません。だから、結局は、使徒19章のように、宗教や各偶像の方に人間は行くしかありません。拝んでみたり、伝えてみたり、いろいろなことをやってみますが、それ偶像崇拝ですから答えがありません。▶結局、個人が滅亡していく未信者の6つの状態に陥るしかありません。この中では暗やみの文化、サタンの文化ですから、その災いに打ち勝つ方法がないのです。
2)この状態から回復される道として、ただ唯一の道を、完全な答えを私たちに与えられました。
▶その唯一の答えとは何でしょうか。それがカルバリ山の契約、ただの契約です。ただイエス・キリスト。オリーブ山に登って、ただイエスのミッションを与えられました。ただ神の国。そして、マルコの屋上の間に集まって、その契約を握って祈れる祝福を与えられたのです。皆さんの信仰生活では、この三位一体に対して正しいことを知り、味わうことから始めていただきたいと思います。
3)三位一体の神様を正確に知って、その方が本当に私とともにおられるということを信じたうえに、この福音が正しく味わって行けるようになります。そして、新しいこの契約が刻印されていきます。
▶三位一体の神様が私とともにおられることを味わいながら福音の根が降り始めます。そして、神様が願われる新しい契約が刻印されて行きます。そして、刻印されたその体質が、新しい体質として変わっていくようになります。
▶皆さんは、神様のみことばに捕らわれていく者になっていただきたいと思います。そして、みことばが成就されていく現場で、皆さんが主役になるように願います。そして、そのキリストに捕らわれるようにお願いします。キリストの御名が宣べられるその現場に、暗やみの勢力が打ち砕かれるその現場の主役として、皆さんが用いられるように願いたいと思います。そして、聖霊の御霊に捕らわれてください。聖霊が救いの働きを成し遂げられていきますから、その聖霊の御霊は救いの御霊ですから、その中の世界福音化の主役になってください。

結論-三位一体の神様がともにおられることを味わえば
▶では、結論を結びます。三位一体の神様を本当に味わっていくならば、どんな結果が現れるのでしょうか。
1)天命が理解できるようになります。世の中のほとんどの人々は、人生の答えがなくてさまよっています。そして、三位一体の神様を事実的に今も私たちともにおられることを味わえるならば、私たちがその霊的な奥義を今までは知らないで生きていたのではありませんか。でも、悟ったならば、それが分かるようになります。天命が分かるようになる。多くの人類が、暗やみに捕えられてさまよっています。そんな中で私たちは召され、神様から天命が与えられました。Ⅰテモテ2:4を見ると、神様はすべての民が救われることを望んでおられます。そして、すべての民が救われ、真理に至ることを神様は望んでおられます。神様はすべての人が救われ、本来の創世記1:27-28の祝福を回復することを望んでおられます。その神様の願いが何であるか。そして、神様の願いが何であるか、本当に福音を悟ったときに理解できるようになります。それが天命です。そして、なぜ私たちは福音だけを語らなければならないのか、それを理解できるようになります。そして、キリストがなぜ私に必要なのかということも理解できるようになります。
▶ヨセフはエジプトの奴隷でしたが、奴隷の現場を見たわけではありません。最高の強国エジプトをヨセフは見ました。サムエルとダビデは、イスラエルを苦しめる戦争だけを見たのではありません。彼らはペリシテという全体を見ました。神様はなぜパウロを用いられたのでしょうか。パウロは、ローマを見たからです。「私はローマも見なければならない」。その祈りの課題を持っていたパウロに神様はローマにまで行く、どんなに苦しい道のりであっても行けるように導いてくださいました。ユーラクロンの暴風の中でも、主はパウロに言われました。「パウロよ、恐れてはいけない。あなたはカイザルの前に立たなければならない」と言われました。「あなたがカイザルの前に立つそのときまで、わたしはあなたとともにいる」と言われました。
▶皆さん、神様の天命を受けた方たちではありませんか。三位一体の神様の御名を事実どおりに皆さんが味わっていくならば、神様の天命がまことに理解できるようになると思います。時代の霊的な流れが理解できるようになりながら、時代の神様の御声が聞こえ、神様の御旨である天命がわかるならば。
▶その時、神様がなぜ私を召されたのかという召命が分かるようになります。神様が私をなぜ今召されたのかが分かる。神様が召された理由が分かるし、だから、私に与えられたタラントを、この福音のために与えられたということが分かるようになります。そして、自分に与えられた職業、自分がやっている仕事も、このことのために与えられたのだなということが分かるようになります。神様からの召命が理解できるようになります。
▶そして、これら天命、召命が理解できるようになったならば、残りの人生、自分はどのような生き方をすればよいのかということで結論が出るのを使命と言います。自分の生涯、私が何をやっていくべきか、自分の残りの生涯、やっていけることが分かるようになります。これが使命です。三位一体の神様の御名を味わう人は、神様の天命が理解できるようになるということです。なぜ私が召されたのか、神様の召命に対する理解ができるようになります。そして、この世にあって生きる限り、自分の使命が発見できるようになります。このような特別な恵みが皆さんに臨まれるようにお願いします。
2)皆さんが今から最も幸せな時間を味わっていただきたいと思います。
3)誰よりも、何よりも幸せな時間、深い祈りの時間、三位一体の神が私とともにおられるという事実から味わう最も幸せな祈りから始めていただきたいと思います。その祈りの中で力を受けてください。その祈りの中で答えも見つけてください。その祈りの中で、自分はどのように進んでいけばよいのか、人生の方向性も握ってください。聖霊は、その恵みの中に含まれた大きな祝福が皆さんの祈りをとおして、皆さんの人生に聖霊を持って働かれると思います。
4)では、この祝福を皆さんが十分に味わって、この祝福を多くの人に伝える証人として立っていただきたいと思います。聖書に現れている神様の御働きを味わったすべての答えの人たちは、みな三位一体の神様を事実的に味わっていた信仰の人々でした。毎日、三位一体の神様の祝福を味わいながら、このすべてのことがらは、神様の恵みであると告白していただきたいと思います。それではもう一度、お話ししますが、思い煩いや心配、悩みの種がまた見えたときには、すべてが神様の恵みですと賛美していただきたいと思います。今までも振り返ってみてください。皆さん、信仰を持って十分によく進んできました。だから、些細なことで揺れる必要はないと決断して、すべては神様の恵みだと霊的なけじめをつけていただきたいと思います。たとえ散々なことがあって、すぐには解決されそうに見えないような問題の前でも、放って置いておください。三位一体の神様の御名をもって祈るならば、問題解決より先に与えられる現場の暗やみの勢力が打ち砕かられることを体験していただきたいと思います。この三位一体の祝福が、今週、皆さんが歩まれるすべてのところに、皆さんの現場に十分に望まれますように祈って行きたいと思います。


(祈り)
神様、恵みを感謝します。このすべてのことは、神様の恵みであると瞬間、瞬間、告白できるようにお願いいたします。私たちに三位一体の神様の御名を味わえる身分、祝福が与えられたことを感謝します。どんな現場が私たちの前にはだかろうと、三位一体の神様の御名によって十分に勝利することができますように、私たちの中で働いてください。これからは現場で、その三位一体の御名の奥義を十分に味わいながら、その御名の奥義を伝達していく証人として用いられますように。三位一体の神様の御名の証人として、すべての信徒が用いられますように。今週一週間も与えられた講壇のみことばを握って祈っていく中で、現場で霊的な大きな力を得る勝利の一週間になるようにしてください。主イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。