地域(区域)教材 2015.01.11

2課
まことの答えのはじまり
(創世記13:14-18)

  
*地域(区域)教材と資料*
▲信仰生活の重要な部分を知らないので、今、世界教会がますます難しくなっているのですが、それはキリストが私たちの主人になられることです。私たちの主人になるということは、私たちとともにおられるという証拠です。今この時代を生きていくクリスチャンに一番だめな部分が、まさしくこれなのでうが、キリストが主人になれば、福音の奥義を味わいながら,祈りの答えの祝福でサタンの勢力が崩れて、伝道運動も持続できるようになります。
▲アブラハムは救われたのですが、神様の約束が信じられないから、ずっと未信者の水準に留まっていました。生まれ故郷、父の家を出て、わたしがあなたに示す地に行きなさいとおっしゃったみことばのとおり従順にしたのですが、答えがなかったのです。そうするうちに危機がきて、エジプトに夫人を奪われて殺されそうにもなりました。また、おいロトを通して家にずっと問題が起きたのですが、多くの信仰人がこの水準に留まって、命を終えたりもします。
▲万王の王であるキリストは私たちの主人です。創世記13;14節に、アブラハムがいよいよ自分を空けるようになります。すなわち、おいロトを送ったのです。このとき、アブラハムは、まことの神様の中での自分を発見するようになります。このとき、神様はアブラハムに目をあげて東西南北をながめなさい、そして縦と横で歩いてみなさい。あなたが見る所、踏む地をあなたに永遠に与えると約束されます。単純に私を捨ててはいけません。自らのことを神様のことに変えることが必要です。神様が主人になったのです。イエスがキリストというのは、悪魔も知っていることですが、イエス・キリストが私の主人になる瞬間から、みなさんの現場と産業と集っている教会が生き返るようになります。
▲この世の中は霊的戦いの現場であることを忘れずに、福音を悟った瞬間、救われたという事実を記憶しなければなりません。しかし、私が主人ならば、必ずサタンの攻撃を受けるということも分からなければなりません。そうですが、キリストが主人になれば、絶対に失敗しません。このようになれば、サタンが攻撃してきてもなにもできません。教会が紛争にまきこまれるのは、キリストが主人ではないためであり、信仰生活が難しいのも、すべて同じ問題の中にあるからです。
▲今、私に問題がきたとすれば「私の主人がイエス・キリストだ」と告白してください。すべての問題を解決されたイエス・キリストが、救われた私たちの主人です。(ヨハネ19:30)これが私の告白になって、この事実が信じられるならば、そのときから奇跡が起こります。ヨハネ2章のカナの婚姻の宴会場でイエスがお客さんとしておられたときは、何の答えもなかったのですが、そこにキリストであるイエス様が主人として役割をされたとき、奇跡が起こりました。足りない私たちの人生のすべての道と現場で、このような答えが始まらなければなりません。
(The end)

*地域(区域)教材と録音資料*
*序論
▲今回の教材はまことの答えのはじまりです。アブラハムを持って話をします。創世記13:14-18です。ロトと別れた後に祭壇を築く内容です。

1.アブラハムの不信仰
▲アブラハムが、はじめには不信仰をしました。私たちが不信仰をするのに、3種類があります。
1)知らない不信仰−刻印、根、体質
▲私も知らない不信仰です。こういうものは、何かというと、刻印されたこと、私の体質のようなものです。知らずに刻印されて、根をおろして、体質になった不信仰があるのです。私たちが信仰生活をするのは難しくありません。こういう部分をよく捜し出せば簡単に答えを受けます。
2)分かる不信仰―子ども(創世記13:1-13)
▲また私が分かる不信仰もあります。今、アブラハムの場合は子どもがいません。ですから、子どもを産みそうでなくて、不可能な話だという不信仰になります。私たちもそのようなことがあります。私の状態がとうていだめなのに、どのように私ができるのか。このように分かっているのです。
3)環境不信仰-創世記12:1-10
▲そして、私がまた環境に出会うようになります。このようなとき、また不信仰になります。
▲アブラハムは多くの難しい部分と、こういう環境に出会うようになりました。それで、創世記13:1-13を見れば、息子がいないから、おいの世話をしてあげるふりをしながら、おいを連れて出て行ったのです。神様は、たしかに、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家をみな捨てて出て来なさい、あなたに子どもを与えると言われました。他の人が見るときは、おいの世話を良くするように見えるから良いのですが、目に見えない不信仰が入ったのです。このようにして、行くと言って行ったのですが、創世記12章を見ると、ずっと困難がくるのです。それで、できた不信仰です。生まれ故郷、父の家を出て行ったところ、飢謹になって、死が迫ってくることが起こるということです。こういう不信仰が私たちには時々できたりもします。このとき、アブラハムが悟るようになりました。子どもの代わりにおいを連れて出たところ、これが問題になるのです。

2.アブラハムの重要な決断-主人を変えました
▲そのようにして、アブラハムが重要な決断を下しました。主人が変わったのです。私たちの信仰生活で最も重要なのは、主人が変わらなければならないのです。
1)創世記13:18
▲その日から創世記13:18にアブラハムが樫の木の下に、祭壇を築き始めました。みなさんがこの祝福を必ず味わわなければなりません。少しだけ不信仰を捨てて、本当に祭壇を築けば良いのです。みなさんは、みな30年、40年、50年を生きたので、自分も知らない不信仰があるということです。それを捜し出すことが最も重要です。それで、知らずに、度々不信仰に陥るのです。ですから、答えを受けられません。それとともに、私はなぜ答えられないかと思います。ところで、アブラハムがそれを悟ったのです。私がこのときまで不信仰に陥っていたんだなあ!
2)創世記14:14
▲すると、創世記14:14を見れば、しもべ318人になる祝福を与えられました。
3)創世記15:1-4
▲アブラハム、わたしがあなたの盾で、あなたの報いだ。
▲これがアブラハムが受けた祝福で開始です。私たちはこのように開始をしなければなりません。

3.キリストが私の主人
▲どのようにでしょうか。キリストが私の主人になるのです。これが私たちが受けた完全な答えです。
1)マタイ1:19-23
▲神様がキリストを送られたのですが、インマヌエルで私たちに来られました。
2)マタイ28:16-20
▲キリストという証拠で復活されました。
3)ガラテヤ2:20(私)
▲私は死んで、私の中にキリストが復活されたのです。ところで、大部分の人々が私中心なのではないか。
でしょうか。さらに問題になるのは、頭が悪い人はこれもわからないのです。なぜこのように困難がくるのか、また何のために私が度々このようになるのか、よくわからずにいます。それで、主人が変わらなければならないのです。私は死んで、しかし、私が死んだのではなく、キリストが私の中に生きておられるのです。これが、私たちが握らなければならない信仰生活です。

*伝道講義02-必ずしなければならないこと*
*序論
▲それでは、重職者が伝道運動をするために何をすべきでしょうか。先週のことを少しの間見ます。
1)私を勉強しなさい
▲私を勉強しなければなりません。みなさんは重職者だから、当然、祝福を受けなければなりません。私を勉強するということは、なんでしょうか。
(1)創世記3章(私の固執)
▲創世記3章の事件に私が陥っていないかを見なければなりません。創世記3章に陥れば、いくら正しい言葉でも、私の固執で自己主張です。悲しくても私のために、仕事を熱心にしても私のために、全部「私の」が問題になるのです。このように、創世記3章から抜け出すことができないのです。それで、みなさんがこれを勉強しなければなりません。そして、教会に行って詳しく見てみると、ある人は牧師が自分が主人のようにするのですが、それが創世記3章に関わっているのです。そうでしょう。私がどのように主人なのでしょうか。教会の主人は神様です。ある長老は、一生答えを受けられないのですが、自分が主人であるためです。それが創世記3章に関わっているのです。ある人は、こういうものすごいことを知らずにいます。これだけ分かれば簡単なのです。それで、私たちは私たちの主人が神様です。悪魔がアダムとエバを倒したとき、あなたがこれを食べれば神様のようになると言いました。ですから、そこに目がパッとしたのです。
(2)創世記6:4-5(習慣)
▲神様のようになると思ったのですが、そうでなく創世記6:4-5に引っかかったのです。これがしっかりと習慣になったのです。私たちはお金を儲けて、世の中的に儲けて、やむを得ずここに陥ってしまうのです。
(3)創世記11:1-8(動機)
▲そして何でしょうか。創世記11章です。私たちは動機を捨てません。何でもないようでも、これのために全部、世界教会に問題がきて、みな来るのです。
▲これを勉強しなければなりません。そうすれば、私がそれほどしたこともないのに、答えがきます。それで、みなさんはこの時代に一番重要な重職者の方であるから、必ず答え受けなければならないのです。海外に出て行ってみればよりひどいのです。完全に私の考えがすべてです。そうすれば良いでしょうか。それなら、救われた人ではないのではないでしょうか。それは救われなかった人がすることであって、私の考えではなくて、神様が私の主人で、神様が私の主権者で祝福する方だということです。とうてい理解できないのですが、それが信徒と未信者の差です。救われたか、救われていないかの差です。救われなかったとすれば、徹底的に私が主人です。そうでしょう。神様が私とともにおられないならば、徹底的に私の思うとおりにします。そうではないでしょうか。そして、嘘もついて、そうするしかありません。なぜでしょうか。神様もいないのに、私がどのように正しく生きることができるでしょうか。しかし、私が救われた神の子どもならば、そうではありません。それでは、このようにしたのに答えがくるのです。みなさんは、今年は必ず答えを受けなければなりません。
2)人を勉強
▲伝道するとき、人を勉強しなければなりません。先週に話しました。人を見るとき、とても内面に隠された部分があるのですが、それを見てこそ、正しく伝道ができます。人は隠されている内面の自分の問題があるのですが、この部分に答えを与えるのです。
3)私の伝道
▲そして、大きくしようとせずに私の伝道を見つけなさい。みなさんが遠くへ行ってすることも良いでしょうが、それも私の伝道と言えますが、しかし、私の状態にぴったり合う私の伝道を見つけなさい。これを見つけるのが、みなさんがとても答えを受けるはじまりになります。

*伝道講義02-必ずしなければならないこと
▲これを参考にして、必ずしなければならないことがあります。この答えを受けるためには何をしなければならないのでしょうか。
1.私の霊的状態
▲私の霊的な状態を見なければなりません。私の霊的な状態を見るとき、すぐに答えを受けられます。私は昔に伝道運動ができないとき、これを見ました。私が事実は、福音をよく知らずにいるということを分かったのです。それだけ思ったのに答えがきました。そして、この福音がものすごいことなのではないでしょうか。ところで、私たちは他のところに関心が多いのです。私がそうだということを分かったのです。ですから、みなさんが自分の霊的状態を少しだけ分かれば、大きい答えが起きます。
1)創世記3:15
▲それで、創世記3:15、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。
2)創世記6:14
▲あなたのために、箱舟を作りなさい。
3)創世記12:3
▲ここに陥らずに、抜け出しまさいと言われます。そうして、わたしがあなたに示す地に行きなさい。あなたに敵対する者がないようにする。
▲これが先週の1番に続いて来る答えです。それで、先週のことを前にまた書いたのです。今年は、私たちの重職者の方が、本当に世界を生かして、現場を生かす答えがくるようになります。

2.私の生活の状態
▲この答えを味わおうとするなら、私の生活の状態を少し見なければなりません。
1)ことば、仕事、選択−不必要
▲私が大部分の人に会ってみれば、ことば、仕事、選択をするとき、不必要なことをずっと話します。ですから、答えを受けて祝福されるのは、みなさんに当然のことです。難しいことではありません。ところで、普通見れば、話すことでも、することをそのまま見れば、不必要なことをしています。ところで、本当にこれは言ってあげるのが大変なのです。そうではないでしょうか。牧師たちが集まって話すのを静かに聞いてみれば、話すことができませんでした。そんなことがとても多いのです。この頃、韓国教会の集いに行ってみれば、私はなにも言わなくなっています。本当にとんでもないことを継続するのです。そして、やたら争います。すべきでもないのですが、必要ないことをするのです。私たちがやや間違うと、このようになります。みなさんが考えてみてください。何も必要ないことば、必要ないことをすれば、答えを当然受けられないのです。みなさんの家族でも、みなさんが度々必要ない話をすれば、子どもたちが嫌います。そうではないでしょうか。みなさんの子どもが必要ないことを度々してみたら、どうでしょうか。いくら子どもを愛すると言っても、そのまま気楽にしていられないでしょう。それで、少しだけこういう部分を私たちが信仰的にだけ見つければ、答えは大きく起きます。
▲それで、私はいくら考えても、神様が私たちにくださった祝福は完ぺきで、難しいことではありません。みなさんは、一番大変なことはなんでしょうか。職場に行ってみてください。話が通じないことです。そうでしょう。みなさんが同じように仕事をしているのに、ある人はあまりに話が通じなかったら、人がどれくらい苦しいでしょうか。それで、みなさんがそのような人になったら、絶対に伝道できません。「あの人は本当に話が通じない」このようになってはいけません。みなさんが職場に通っているのに、本当に話が通じない、私たちの社長は本当に話が通じないと感じられれば、みなさんの下に職員に月給をいくら多く出してもだめです。あの人には何かがある、本当に私たちが習うべきことが多い!このようになれば、門がどんどん開かれるのです。人を見れば、たくさん学んでいるのに、必要ないことをする人がいて、あまり学歴はないのに必要なことをする人々がいます。こういうものだけ、みなさん重職者が少しだけ直せばみわざが起きます。
2)タラント−唯一性
▲そうすれば、みなさんのタラントが見え始めます。これが何でもないように見えますが、唯一性の答えを受けます。重職者の方たちが、必ず握らなければなりません。
3)メディア(道具)
▲それでは、みなさんがする事業が何になるのでしょうか。伝道のメディアになってしまいます。みなさんがメディアということばは分かるでしょう。たんに私がこの文を書いて手で消そうとするなら、大変ではないでしょうか。それで、チョークで書いて、黒板消しでこのように消せばやさしいのです。それで、この道具がメディアです。例えば、人々に知らせようとするとき、歩き回りながら話すのが難しいから、放送で送り出すのです。その放送がメディアです。メディアということばは、中間の道具ということです。みなさんの事業が伝道の道具になったら、それよりも大きい祝福はありません。みなさんのしていること、事業、職業が、伝道の道具になったら、最高の祝福を受けます。
▲今、方法に入る前に、私たちが解決しなければならない部分から話すのです。

3.私の祈り、私のみことば、私の伝道
▲そして、今から1年間だけ悩んでください。神様がくださった私の祈りはどのようなものなのか。そうすれば、みな見つけるのです。神様が私にくださるみことばを、私はどのように握るのか。そして、私の伝道は何か。このように握れば良いのです。それで、方法に入る前に、この間から続いて二番目にするのです。みなさんがじっくり考えてみれば、大きい答えの門が開きます。これは、事実、だれでもできるのです。救われた人はだれでもできます。ところで、本当に不思議なことに、なにも難しいことではないのにしないのです。
▲私が昔に釜山中央教会に行ったのですが、そこに教役者がたくさんいました。私はそこで初めて感じたのです。伝道をがんばるのに学生たちが変化するということです。私が何か大きく上手にしたからでしょうか。それでもありません。そのまま福音を話したのですが、生き返ったのです。ところで、そのまま顔色を見たら、副教役者が団結をして私を締め出すのです。自分たちは伝道のみわざが起きないから、彼らが力を合わせて私を静かに抜いて、自分たちどうし何かをしていました。私がそんなに足りないことをしたのでもないのにです。人々がそうだったのです。それで、私があまりにもあきれて、私が連れていた教役者一人を呼びました。私より年が下だったから私が言いました。あなたたちがなぜそのようなことをするのか。教役者がそれでよいのか。福音を熱心に伝えるべきで、何のために憎んで、毎日そのようなことをするのか。直接、話したところ、申し訳ないと言いました。ところが、その人たちを今、見てみると、みんな今でも苦労しています。ほとんど教会も成り立たなくなっています。だから、なぜそのように損害を受けることをするのでしょうか。ところで、そのままのぞいて見れば、長老もそうで、ほとんどみながものすごく祝福を受けなければならない人々が、こういうもののためにみなのがしているのです。自分の意見に合わなければ、ずっと主の働きをみな滅ぼすのです。それが創世記3章に関わっているのです。インマヌエル教会だけは、私たちのタラッパンする人々だけは、このみことばをわからなければなりません。みなさんが家に帰れば困難もありえます。その困難に陥らずに、問題になる必要がありません。この契約をぴったり握れば、みなさんは答えを受けるようになっているのです。
▲私は昔に牧師を通して習うべきなのに、むしろ一般信徒を通してみて習うことがさらに多かったのです。母教会にいた時でしたが、ある人がとても良い方なのに、男を誤って選んだのでした。この男は仕事をしません。仕事をしなければどのように暮らせるでしょうか。ところで、知ったところ幼い時からそうだったのです。表面を見れば正常に顔だちがよかったのです。私たちが男なのに見れば、ほんとうに素晴らしいという気がするほど顔だちがよかったのです。ですから、女がそこにほれたのでした。ところで、この女性が本当にしっかりした女性でした。私より5歳ほど上の女の人だったのですが、とても良い人でした。それで、この女性がどこかへ行って商売もして、お手伝いもしていました。そうするうちに、あまりにもだめだから屋台のようなことをしました。それが、ちょっと収入ができたということです。自分の思うとおりに聖日も守れたということです。ところで、屋台をしていればお客さんがくるでしょう。この夫が遊ぶので、男たちがきて食べて長時間たって行けば、それで文句を言うのです。だから、この女の人が狂いそうな状況です。教会の信徒がみんな知るほどです。それで互いに祈ってあげていたのですが、私がそのとき、その人を見ながら福音が何かということを感じました。私たちの教会の信徒がその男の悪口を言うでしょう。それとともに執事に頑張れと慰めるということです。ところで、この執事がいつも言う話がありました。違うということです。自分が足りないからだということです。初めにはかなり謙虚だと思ったのですが、あまりにも言うので、何か問題があるのかと思ったのです。ところで、そうではなかったのです。自分は救われた神の子どもなのに、あんな夫に会うようにしたのも神様の計画があるということです。この男は、しないことがないほどで、ギャンブルもして、とにかく悪いことはみなするのです。そうしたところ、ある日、家を出て行ってしまいました。それで、教会も来なくて、私たちの町からいなくなりました。あまりにもだめだから、理解できたのですが、そうするうちに、およそ3年たって現れました。家に帰ってきて、それとともに言うことが、私が町中をみな通ってみたが、あなたのような女はいない。そのとき、私たちならば、何かと言うでしょう。ところで、この執事は、そうではないと言いました。あなたがとても良い人なのに、私がよくすることができないからだと。私は今、このように生きているのは、私の力ではなくて、キリストが私とともにおられ、私は神様の娘として生きているのだ。簡単に話せば、福音を話したのです。ですから、この男が本当に感動したのです。死ぬほど苦労だけさせて、自分を悪口を言うことができたのに、福音を話すから、この人が偽りでなく本当に感動しました。そして、驚くべきことに、目立つことは、その間に、その子どもたちが、とても祝福を受けて、良く育ったということです。私がそのとき、福音を聞くのではなく、見たのです。私は福音を理解できなくて、そのままよく信じればあのようになるようだと理解したのでした。
▲みなさんが受けた福音は、ものすごいものです。それで、みなさんが少しだけいくつかを修正してしまえば答えを受けます。私たちはまた修正するとすれば、律法的にするのですが、本当に詳しく見てください。今年は間違いない答えをすべての重職者が受けるようになることを、イエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神様に感謝します。全国、世界にいる私たちの重職者に、本当に答えを受ける霊的な目が開かれる祝福のはじまりになりますように。アブラハムの開始のように、私たちの開始がまことに神様とともにする答えになるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)