[2004年 10月 23日 / ソウル 産業宣教メッセージ / ソウル メイフィールドホテル / 柳光洙 牧師]


共同体と産業宣教(27)- あなたがたのために非常に労苦したマリヤ
(ローマ16:6)

     
@ 序論 : ‘あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく(ローマ16:6).’
* 結論 - 福音 : 初代教会の多くの弟子は、結論を持っていました。ヨセフが信仰が良いと見るのですが、ヨセフは世界福音化の結論を知っていたのです。ダビデも同じで、どのように困難を耐えたのでしょうか? ここに対しての分析も必要で、ダビデの信仰も信仰ですが、世界福音化に献身する結論があったのです。ダビデが祈って待ったのです。結論が明らかだったからです。ローマ16章の人物が、これを持っていました。そして、彼らの特徴が3つありました。
(1) 先駆者 : 彼らは、皆、先んじていました。この当時に、世界福音化という単語を使ったのです。ユダヤ人社会で、とうてい想像出来ないことでした。彼らは、ものすごく先んじていたのです。産業人の彼らが結論を持っているけれど、先んじなければなりません。困難ということがここで出てきます。あまり数百年、先んじても困難があるのですが、遅れて行けば、事業に困難がきます。こういう部分に祈りながら、一歩ずつ先んじてこそ、世の人をリードすることができて、事業にも成功できるのです。少しずつ、少しずつ、先んじなければなりません。弟子達が迫害を受けたのですが、ものすごく先んじる人でした。
▲ やさしい例で、韓国も深刻に戦っているのですが、その中で外国に問題になることが、北朝鮮問題です。片方では慌てるように開こうとして、片方で慌てるように防止しようとします。小さな問題ではありません。外から心配するのです。片方では話しもせずに、片方で敵だと見ます。敵だと見れば、南北統一ができません。先んじてこそ、商業もできるのです。
また大邱の現在の産業を見れば、良くならずにいます。大邱は、おもに織物系統です。先んじることができないから、門を閉める立場です。何でも私たちは、少しずつ先んじなければなりません。初代教会の人々が、ものすごく先んじていました。
(2) 専門性 : その当時、建築は天幕を建てることでした。プリスカ、アクラ夫婦が世界福音化をする程に専門性を持っていました。
(3) 力 : 彼らには、力がありました。霊的な力があって、祈りの力があったのです。主の働きをしようとするなら、力がなければなりません。弟子がこういう力があったのです。福音の完全な結論で作られている、そのような労苦でした。私たちの役員、多くの産業人が記憶しなければなりません。祈りをたくさんしなくても、祝福を受ける道があります。教会にもいろいろな働きがあります。役員は、教会の方向を福音に向かうようにすれば、大成します。多くの一般信者が、伝道運動に参加するようにさせなければなりません。私達がお金を儲けて、献金を多くするのも良いけれど、全信徒が福音の方向へ行かなければならないのです。重要な位置です。産業人を見ましょう。そのような意味での労苦を話すのです。
 
1. 感謝の水準 : 誰でも労苦をしますが、水準が違います。
(1) 答え(ピリピ4:6-7) : 答えが来たら、私たちの水準では‘感謝する’と言います。大学に入っていって、息子が就職して、私達が大きいお金がもうけて、みな感謝するのです。
(2) 福音(ピリピ3:1-20) : 初代教会の弟子は、これよりもっと重要な感謝することがありました。私達が福音を知っていることに、とてもとても感謝しました。パウロの弟子は、一段階、違いました。
(3) 苦難(ピリピ4:10-13) : 福音ゆえに苦しみを受けることを感謝しました。そのような意味の労苦を話します。‘本当に労苦したマリヤ…’, 感謝の水準だけ見ても、その人の水準を見ることになります。無尽蔵な感謝がありました。この福音が貴重で、人間関係に苦難が来ても、それも感謝しました。彼らが答えを受けるしかないのです。祈りを多くして、力があって、専門性があったのです。初代教会の少ないことは、数字のようですが、先んじるメンバーでした。神様が私たちに希望されることが、大きい労苦ではありません。小さな労苦です。
 
2. 小さな労苦 - 大きい答え : こういう重要な特徴を持っていました。
(1) 出エジプト3:18 - 犠牲のいけにえ : ‘イスラエル民族を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなさい.’ これは小さな労苦でした。信仰生活の原理も同じです。福音の方向だけ合せてもかまわないのです。時代を変えることでした。私達が悟らなければならない労苦でした。
(2) ルカ7:36-50 香油を注いだ女性 : たぶん、5人家族が一年食べることができる財産でした。一気にイエス様に注いだのです。弟子達は、これを見て‘お金がどれくらいなるのに、そのように浪費するのか’そのように話して、ある人は怒ったということです。イエス様が、このようにおっしゃられました。最も良いことを選択したと言われたのです。それで‘福音が宣べ伝えられる所ごとに、この女性のした事が宣べ伝えられるはずだ’とおっしゃられました。実際には、特別なことではありません。自分が貴重にしていた香油を注いだだけなのに、大きい答えがきました。皆様が福音ゆえに集まったことは、小さな労苦のようですが、大きい答えです。私たちは、この部分を見ることができなければなりません。
(3) 使徒1:12-15 貸した家 : マルコが自分の家を貸して集まったのに、大きいことではありません。しかし、この集まりが地球上では、唯一の集いでした。私たちは万事に感謝が出てきます。マルコが自分の家を貸して人々が集まったのに、数千年間の契約と預言が成就したのです。
使徒10:1-6 皮なめしのシモンの家。単にペテロを迎えていたのですが、地域を生かすみわざがありました。
使徒16:15 : ルデヤが‘私を主に忠実な者と思われたら、私の家にきて留まってください’と話しました。ぱっと見れば、ありえる小さな話のようですが、大きい答えでした。ここでピリピ運動が開始したのです。イエス様が‘あらゆる国の人々に行って、弟子としなさい’と言われたみことばが成就したのです。細かく悟らなければなりません。
 
3. マリヤの労苦 : さっと見れば小さな労苦なのに、
(1) 迫害の中の労苦 : こういう中での労苦です。
@ 異端に定罪 : この当時、イエスを信じる者を異端の罪に定めました。
A 社会から断絶 : マルコのタラッパンに行って福音運動をすれば、社会から完全に断絶されました。これが標準です。そうであったのに、勝ったのです。
B 家庭問題 : 家庭にも問題がきます。結婚、子ども問題も来て、奥さんとも問題がきます。信仰の葛藤でなく、家庭と社会の葛藤です。夫が福音を受ければ、家庭全体に問題がきます。
C 禁足令 : 法的に禁足令を下されました。行くことができないように、禁足令を下したのです。初代教会の現象です。福音運動をしながら、恐れる必要はありません。
D 拘束、死刑 : キリスト・イエス運動をすれば拘束すると言われました。この程度にすれば、皆様はするでしょうか? 拘束して一度入っていけば、死刑にすると言われました。果して皆様の何名がするでしょうか? 知る訳には行かないでしょうが、果してこの程度になれば、何名がするでしょうか? 雰囲気だけそのようにしても押さえられるのに、完全に死刑です。福音がこれくらい価値があって、これくらい力があるのです。簡単な労苦ではありません。
(2) あらゆる伝道者のための労苦 : あらゆる伝道者のための労苦でした。こういう意味で、どれくらい価値があって大きいのでしょうか?
(3) 福音運動を悟った労苦 : 小さな労苦に見えるけれど、福音運動の労苦でした。
(4) 死を覚悟した労苦 : 死を覚悟した労苦でした。それで、私たちは、しばしば習慣が、どこか知らなく、むかしの習慣へ行きます。たくさん話せば良いかのように理解するのです。核心を持っていなければなりません。 この部分をのがせば、復興すれば問題がきます。すると、耐えられないのです。これを一つの方法だと見れば、問題がきます。これはとても重要な生命的な部分です。世界を征服するしかありません。
▲ 初期に、釜山、大邱地域で心配になったことは‘これが本物で、時代的な方法’と言ったのです。そうしたところが、正しいのですが、方法を求めて来たら、また方法を探しに行くのです。世の中の方法は、どれくらい優れているでしょうか? 私たちは、方法ではありません。福音であって、方法ではないのです。すると、後ほど問題が多くなれば、耐えることができないのです。
▲ 献金 : 初代教会が100%献金をしたのです。私たちは、謝礼をもらいますが、初代教会は100%宣教費を出しました。だから、彼らに太刀打ちできません。勝つことができないのです。彼らの考えに勝つことができなかったのです。色々な問題、経済問題、みななくなるのです。彼らは集まったら、ほとんどみなそうでした。 必要ない土地を持っていたならば、みなだして、自分が持っていることを出しました。そして、ここで出会ったこの人が、どれくらいうれしかったか、集まれば1時間ずつ泣いたそうです。あまりに感激して、礼拝をささげる前に、大きく泣いていたそうです。抱き合って泣くのですが、男と女が抱き合って、後ほど気がついて、驚いたのです。韓国もスペインとサッカーをした時、そうだったでしょう? 知らない男と女が抱き合って、後ほど申し訳なく思ったのです。私たちは教会に行けば、そうのようにするでしょうか? 彼らが、こういう中でそうだったということは、誤って解釈して、その時の状況といまは違うと言えます。しかし、今がよりむずかしいのです。異端の宗教ができて、教会が福音を伝えないでいます。そのような中での苦労は、小さなことではないのです。この福音でいのちの運動をすれば、自然に出てきます。
▲ 私達が10年ぶりに20個の戦略を出したのですが、問題が出てきています。これを方法だと見ているからです。私たちの戦略の中で、共同体、地域教会があります。一般信徒が地域教会をしようとするなら、本当に真の弟子を中心に運動をしなければなりません。真の弟子が集まれば、彼らが集まる時、出てくる答がひとつしかありません。‘どのように、祈りの答えを受けるか’, ‘どのように伝道運動が起きるか’と祈るのです。集まれば教会がとても貴重です。世界宣教に参加しなければならないと話さなければなりません。あまりたくさん集まるので、子ども達もいて、信仰生活を本格的にしなければならないのに、子ども達が教会に行くのに遠いと言って生まれたことが、地域教会堂です。すると、経済問題がなくなって、起きる人間問題がなくなります。はじめに、チームの働きが生じて、行ったり来たり問題が生まれて、回りながら牧師、本部関係なしで回ったので、問題が起きたのです。後ほど福音で問題が覆われたのです。
▲ 釜山で、むかしに西部教会しかありませんでした。西部教会の信徒は、たくさん集まるので、食堂もありません。牧師が特殊でした。なぜ教会で食事の仕度をするのか? 伝道して、各自でご飯を食べようと言いました。聖歌隊もありませんでした。賛美するのに誰かを決める必要があるか? みなが賛美しなければと言っていました。指揮者が出て、3/4を振って、指揮だけします。そして、長老が出て、まん中で広告を出すのに‘1!, 2!, 3!…’として、必要ない話はしません。あちこちで起きるのに、何百箇所で伝道と献金がなされました。彼らに福音だけ入っていけば、本当に良かったのに…, 弟子訓練は、西部教会だけが良くする所ではありません。福音でなく、律法の上の律法です。高神より強いのです。いつでも説教すれば、中間で聞いて出てくるのです。どの説教をしても、即、聞けば正しいのです。正しく生きなさいと言って、救われた民が、あのようにしても良いか? と言います。西部教会の信徒は、プライドがすごいのです。みな違っているが、自分達が正しいと言います。福音を除いて、みな先んじています。大層に行って集会をするのに、なんにもなくて講壇だけがあるのです。人々が雲の群れのように集まって、自分が食事の支度をして、そして行くのです。それを利用して、大層でニンニク味噌も売ったりします。集会以後には、ゴミなく皆、片付けます。‘あの人々は、すごい’と考えました。ところが、福音がないことが問題です。彼らにはないから‘あなたが正しい、私が正しい’と言うのです。
福音を知っていれば、初代教会の労苦は、単なる労苦ではありません。キリストの福音があまりに良いから、私が苦難を受けることをとても感謝する。この人達は、小さな事をしているようですが、最も重要なことをしたのです。迫害の中での労苦です。私たちと関係ないことのようですが、この時代、これを発見してこそ、信仰生活ができるのです。‘これゆえに私が労苦する’ これが発見されてこそ、役員も毎日恵みを受けて、労苦することができるのです。
 
@ 結論
* 祈り : 人によって、祈りを違うようにしなければなりません。役員は、一般信徒と違わなければなりません。牧師は、開拓を始めれば、その地域の福音化のために祈らなければなりません。他のことはどのようにするかというと、その中にみな入っています。地域を置いて、本格的に祈らなければなりません。産業人が役員ですから、皆様は、職業を置いて祈らなければなりません。
(1) 職業
(2) 教会
(3) 子孫 : 教会と子孫を置いて、本格的に祈らなければなりません。
▲ やさしい例で、さる土曜日に韓国の希望あるパク・ジュヨン選手を呼んで、食事をしながら話しました。サッカーをして、他の人に勝とうとするなら、力がなければならないと言いました。その力が宗教的な力でなく、福音の力がなければならないのです。福音で祈りなさいと話しました。一度は、むかしにチャ・ポングン選手を見ました。1時間、座っているのに話をしません。何の話しもせずに座っているのです。質問をすれば、簡単に返事をしました。まるで申し訳ないというように座っていたのです。ところが、ジュヨンがまったく同じです。ご飯だけ、もくもくと食べるのです。尋ねることがないか? と言ったら、それで‘あの、私はこれから、どのようにすれば良いのですか?’と聞きました。選手だから、信仰生活を良くすれば良いと言いました。 よく走ろうが走るまいが、選手生活に祝福を受けて、子孫を育てることが重要だと言いました。運動を良くして、福音を持ち出して指導者になって、子孫を育てながら、福音運動することだと言いました。‘あなたは道が決まっているのです。どれくらい感謝なことか’と話しました。ところが、ジュヨンがどれくらい素直かというと、ジャーナリズムがそのように大騒ぎをしても、それが何かも知らないのです。‘最後の日、中国と初めてゴールを入れたのは、良くできたね’と話したところ、単に相手の足とボールだけ見ていたと言いました。それがどれくらい感激的なことでもないのです。それも分からないと言いました。ボールだけ見ていたと言いました。それほど、純粋なのです。ジュヨンのお母さんが、あの子が重要で、祝福を受けたのに、どのように祈れば良いのですか? と聞きました。それで、私は他の祈りをしない。ただ世界福音化のために祈る。お母さんは、ジュヨンのために‘ただサッカーだけ祈りなさい’と言いました。その中にみな入っています。特別な働きしようとするなら、そのようにしなさいと言いました。皆様は、特別な方達です。本格的に祈ればよいのです。皆様は信徒が祝福を受けた役員で、これを置いてずっと祈れば、福音ゆえにこういう働きがおきるしかないのです。まちがいなく、みわざが起きます。自分の能力の上に含まれるのです。例を上げれば、皆様に仕えてお手伝いしようとするなら、自分の力、自分の考えでしようとしてはなりません。自分の考えでしようとするなら疲れます。なにか越えることがなければならないのです。そうでなければ、こういうお手伝いができないのです。この契約をとらえて、ずっと祈らなければなりません。積まれていけば、相当な答えできます。
 
- 要約 -
<共同体と産業宣教(27) - あなたがたのために非常に労苦したマリヤ(ローマ16:6)>
1. 感謝の水準
(1) 答え(ピリピ4:6-7)
(2) 福音(ピリピ3:1-20)
(3) 苦難(ピリピ4:10-13)
 
2. 小さな労苦 - 大きい答え
(1) 出エジプト3:18 - 犠牲のいけにえ
(2) ルカ7:36-50 香油を注いだ女性
(3) 使徒1:12-15 使徒10:1-6 貸した家
使徒16:15
 
3. マリヤの労苦
(1) 迫害中の労苦
@ 異端に定罪
A 社会から断絶
B 家庭問題
C 禁足令
D 拘束、死刑
(2) あらゆる伝道者のための労苦
(3) 福音運動を悟った労苦
(4) 死を覚悟した労苦