[2005年4月16日/産業宣教メッセージ/ソウル・メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(49)-使徒2:9-11以後
(使徒2:9-11)


@序論:時代ごとにいつでも
(1)レムナント中心になる時、生かされました。聖書にも見れば、この中心で記録されています。18-19世紀にも、完全福音ではないがレムナント中心でした。
(2)そしていつでも歴史を見れば、失敗する時ごとに司祭中心でした。その時ごとに失敗したのです。代表的な例が、カトリックです。この人達は、教会の行政をよくして、お手伝いまでみなしました。どの程度だったかというと、聖書も自分たちだけで読んだのです。一般信者は、聖書を見させないようにしたのでした。聖書を見ようとさせた人がマルティン・ルターです。長老教が、プレスピテリアンチャーチです。スコットランドで始まりました。presbyterとは、長老という言葉で、司祭中心体制に反対をした人ということです。長老が参考にしなければなりません。そのように見る時、長老と一般信者は、司祭中心に反対という言葉が分からなければなりません。必ず正確な話ではありません。ホーリネス、メソジストもあるのですが、長老教はカトリックに反対という言葉です。司祭中心になれば、教会は失敗します。かと言って、長老中心になっても変になります。それで、第2の改革を起こしたのがメソジスト、バプテストが出てきたのです。しかし、長老教一つしかありませんでした。すぐ世俗化されて、雰囲気が変になったのです。それで、だめだといって出てきたのがメソジストとホーリネスです。長老になるくらいで、人々がどんどん長老教に行きます。それで、メソジストも長老制度を作りました。いつも必要だけれど、不必要な戦いを、目に見えないところでしていました。とにかく、こういう部分はたくさん考えながら祈らなければなりません。
(3)時代ごとに、祈りの答えを受ける時は、産業人が起きました。最高に復興する時、支える部分として、産業人がいました。それで、今回のメッセージでたくさん考えなければなりません。それで、共同体宣教を知らなければ、文鮮明のような団体に勝つことができないのです。後ほど教会は小さい団体となります。代表的に成功したのが使徒2:9-11です。マルコのタラッパン以後です。これ後に、どうしたのでしょうか。イエス様が直接おっしゃられたことがあります。これがまさに‘聖霊’の力で行いなさいということです。人の方法を使わないということではないのですが、結局は‘聖霊’だということです。産業人が機能も準備しなければならないのですが、結局は‘聖霊’だということです。結局‘聖霊’の力から出なければなりません。
これが必要だということより、この中から出てこなければならないということです。産業人のあなたがたに向かって、神様が準備されたものがあります。

1.神様の準備
(1)ヨエル2:28終わりの日に、このようなことがおきるだろうと約束されました。終わりの日に、男女のしもべに,,,それでは、終わりの日とはいつでしょうか。イエス様が復活されてから再臨までが終わりの日です。そのみことばは、この祝福が今でも適用されているということです。イエス様が復活された以後、聖霊充満を約束して下さいました。再臨する時までですから、今でも、そのまま適用されるという言葉です。このようになる時、周囲に付いてくる祝福が一つあります。
(2)使徒1:3神様の国です。目に見えない多くの変化が起きます。
(3)使徒2:1それで、聖霊充満を受けなさいと言われました。五旬節の日になって
(4)使徒2:9-11それで力を受けるようになると主が約束されたのです。その日が来たのです。もちろん、聖霊充満を受けなさいという言葉もあります。受けなさいという言葉は、なることができるという言葉です。エペソに出ています。正確なのは、聖霊充満をくださると約束されたのです。この祝福が
(5)産業人に強く働いたのです。牧師よりも、産業人に聖霊充満がさらに必要です。牧師は朝起きて、明け方祈りをして、訪問にも通います。それでは、聖霊充満受けることができないことが愚か者です。行って礼拝して、帰っても礼拝、牧師はみなそうです。長老は産業現場で朝を食べて、忙しく一日中走らなければならないのに、本当に力が必要です。普通、明け方祈りに行ってみれば、おばさんがおもに来ているのですが、本当に朝の祈りは産業人が必要です。

2.使徒2:9-11以後(聖霊充満を受けた後、どんなことが起きたのでしょうか。)
(1)使徒2:41 3千人の弟子が起きました。だから途方もないみわざが起きたのです。
(2)使徒2:42引続きみことば運動が起きました。知っているとおり、使徒の教えを受けてという言葉は講壇です。この時、神様が講壇を最も重く祝福されました。それと共に、交りをして、パンを裂きながら,,,初代教会は、集まる時ごとにパンを裂きました。組織です。それと共に祈りに専念したのです。
(3)使徒9:1-43産業人がぱっと広がりました。初代教会が第2の開始をしながら、あちこちに産業人が広がったのです。
(4)使徒10:1-6皮なめしシモンが出てきます。ここには事業も、名前も明らかにしました。皮なめしシモンの家に、どんなことが起きたのか想像できるでしょう。皮なめしシモンの家が、どれほど大きかったのか、どんな影響力を持っていたのか想像することができます。ここでしばしば違ったことが行われたのです。ここで大きな魚を釣ったのですが、まさにコルネリオです。まちがいなく、皮なめしのシモンの家にも行って、訪問もしたでしょう。もちろん記録にはありません。コルネリオはイタリア特殊部隊の隊長です。百人隊長でしかありません。私たちの国の式で見れば、小隊長、中隊長程度でした。しかし、影響力はすごかったのです。その地域に、皇帝が直接派遣するイタリア隊長です。この人がイエスを信じたので、どうなったでしょうか。

3.パン種のように広がる産業宣教
(1)使徒8:26-40財産を管理している宦官が福音を受けました。最も重要なのは、この人はイエスを信じないでも、権力がそのまま維持されるのです。この人に、正確なイエスが伝えられたのです。聖書を見れば、再び見ることができなかったと記録されています。これを見ながら‘最後の出会いだな。初めての出会いであり、最後の出会いだ’と考えました。一度会ったのですが、永遠な出会いだという暗示が感じられたのです。これが産業人が持たなければならない答えです。偶然なことであるように見えるが、必然です。初めて会ったのですが、同時に最後の出会いです。なぜならば、聖書には再び見ることができなかったとあります。ただ一度だけ会ったのです。しかし、永遠な出会いです。この時、別の話をしたならば、どうなったでしょうか。この時、一般信者のピリポが違う話をしたとすれば、大きいことになりました。正確なキリストを説明したのです。これが、まさに産業人を神様が置かれる理由です。皆さんに、こうしたことがずっと起きなければなりません。
(2)使徒11:2-26本格化されました。いよいよ大きい群が集まったのです。もちろん、その中には子どもも、女もいたでしょう。聖書には大きい群の弟子と言われています。その当時の背景では、子どもや女はそれほど含まれません。イエス様も黙認されたのですが、女や子どもたちは、数字に入っていませんでした。この時、弟子の群と言われた時、多分ほとんど牧師で産業人であったでしょう。
(3)使徒13:1-12これが世界宣教の、ものすごい門として開かれたのです。初めて宣教師が派遣されました。牧師だけ100人集まっても、宣教師派遣しにくいのです。産業人が群になって、世界宣教の門が開いたのです。この時、総督が戻って、地域が生き返りました。そのより重要なのは、いよいよ神様が、それほどまでに望まれた宣教師が初めて派遣されたのです。悟れなかったので、仕方なくさせられる宣教はあったのですが、宣教師派遣は初めてでした。この宣教師という一つの単語を分かるようにするために、ヨセフ、モーセを神様はどれくらい苦労させられたでしょうか。この一つの単語を分かるために、イスラエル民族をバビロン捕囚にさせて、1400年以上散らされたのです。それなら、一つ類推できることがあります。本当に宣教を理解したとすれば、苦労して捕虜になる必要がありません。皆さんは、事業をおもにするから、計算をするしかないでしょう。本当に宣教が何か分かる時、新しい祝福をされるでしょう。私が分かることに、宣教大会の時に話すでしょうが、一つの国に派遣される大使よりも、宣教師がさらに影響を与えるのです。国家の顔色を見ながら、あちこち行ってご飯食べること以上のことをするでしょうか。大韓民国の国民1人を助けるという時、状況把握が1ケ月ももっとかかるのに、何か影響を及ぼすでしょうか。宣教師1人が福音だけ伝えたように見えるのですが、宣教師がいないならば、ものすごい問題が起きるのです。事実上、韓国にアーレンという宣教師が入ってきたのですが、この人が医師です。入ってきて、高宗の主治医でした。それでは、終わるのです。それ以後に、宣教の門がものすごく開かれました。高宗が認めたのです。診察だけして、注射を打つというるから、すぐわかります。宣教師ひとりの影響はとても大きいのです。宣教を本当に悟って、教会が宣教すれば、最も早く産業人が祝福されるでしょう。宣教費を与えるということは惜しいかもしれません。しかし、本当に計算すれば、そうではないのです。人間的な計算をしてみましょう。新しい信者と話して、後ほど驚く時があります。‘そうだったね’ということがあります。その時が来たのですが、韓国の宣教師のおいである時があります。不信仰の話を一度してみましょうか。それでは収入なのか、支出なのでしょうか。信仰を取り除いて話しても収入です。計算上でも結局、利益です。それならば、使命を正しく悟ればものすごいのです。例を一つ上げます。フィリピンのパク・ジュンソク宣教師を正しく手助けするのでしょうか。いつも助けてくださいとお願いをしています。やっと少しずつ手助けしています。しかし、ここに通訳するソウンがまさにパク宣教師の娘です。東南アジアの人々はソウンが通訳する英語を、他の人の通訳する英語よりさらに簡単によくわかるということです。梨花女子大に通う大物です。正しく結婚して、素晴らしい子どもを産めばレムナントです。それでは損でしょうか。益でしょうか。釜山(プサン)インマヌエル教会の教役者半分以上が、私たちの教会の仕事をしません。堂会員が幸いに理解しながら、よく手助けしています。今まで、よく進行してきました。今はそうではないのですが、昔には支出がとても多いと考えたこともあったでしょう。‘度が過ぎるのではないか。いつも歩き回りながら楽しく遊ぶようだ’という考えもできるでしょう。今はグローバル時代です。教会に座っている人の中で、4分の1はその人々のためにきています。米国が何のために全世界に軍隊を送って、武器を送るのでしょうか。ぱっと見れば、手助けするように見えるのですが、手助けするふりをしながら、良いことみな持っていくのです。韓国の指導者は、反対にするのですが、日本は一緒にしようと約束しています。韓国は反米運動もして、イラクに行くのに行かないと言うから、心の中で退けられました。韓国大統領が行くと、食事を一食、食べますが、日本の総理が行くと、自分の家に招いて一緒に遊びます。何を意味するのでしょうか。この人達は、計算がはやいのです。すでに全世界を見通しています。いろいろの是非を計算されたうえのことです。とても人間中心主義を強く使っているのです。常任理事国に加入することと、今起きていることが合わさっているのです。私たちは、未信者より目が良くなければなりません。宣教を正しく悟れば、神様がすべての準備をされるのです。こういう意味で見る時、宣教はとても重要ですが、怖い話でもあるのです。教会が知らなくて通えば、神様が祝福されるでしょうか。イエス様がわたしについて来るなら、死ぬ覚悟をしなさいと言われました。弟子に対して知らないから言われた言葉です。イエス様が‘わたしは、寝るところもなくて家もない’と言われました。弟子達がとてもたかぶって走るから‘たかぶるな’ということです。宣教を知らないということは、普通の話になりません。正しく答が出ていない宣教師をたくさん送りだして、むしろ問題が起きています。詳しく見れば、ほとんど違うようにして危機です。ここで、再び目を開かなければなりません。
(4)使徒16:15宣教師が単純に宣教だけするのではなくて、一般信者が単純にお金だけ儲けるのではありません。答えを出して牧師を求めました。今日、宣教に違うように行っているのです。福音もない宣教が、先に席から占めるのです。産業人が目を開くから、産業人が教会からたてました。だから、すぐ働きが起きたのです。職員だけでも信徒であるから、すぐ働きが起きます。
(5)使徒18:1-4のような事が起きます。産業宣教を失敗すれば、産業が失敗して、共同体がないということは失敗するのです。うちの子がこの価値が分かれば、両親が保障するようになるのです。昔に、私の息子に時計を一つ買ってやったところ、一日後になくしました。時計をなくしたら、探したり、泣くべきなのに、神経を使わないのです。後ほど見たら、タンスの下から出てきました。それで、私がまた時計を買うでしょうか。価値を知らないためです。価値を知らなければ、答えを受けることができないのです。しかし、最近‘お父さん、ローレックス時計をくれませんか’と話しました。それで‘おまえは、まだこういうものをつけてはいけない’と話しました。二つあったのですが、一個は妻の父に上げて、一個はカン・ホイン牧師にあげました。いつがカン牧師の手首を見たら、ローレックス時計をはめていたので、尋ねたところ‘にせ物’だと言いました。それであげたのです。私たちの息子がなぜくださいと言ったのでしょうか。価値を分かったためです。後ほど年を取れば、あげなければならないと思いました。価値だけ分かっても働きが起きます。使徒18:24-28あなた達が信じる時、聖霊を受けたか、アポロに話した時、聖霊を話しました。長老が副牧師を呼んで、聖書を教えれば、どうなるでしょうか。執事が伝道師を呼んで聖書を教えれば聞くでしょうか。按手執事が牧師を呼んで聖書を教えれば、聞くでしょうか。マルコのタラッパンで起きたことを証ししたのです。その時、アポロは大きい恵みを受けました。アポロがその話を聞いて、みことばにすばらしい力があったと言いました。一般信者が聖霊を受けて証することは、誰もができます。マルコのタラッパンに参加した時、起きたことを証ししたのです。聞く人に、また胸に火がついて、こうしたことがずっと起きました。
(6)ローマ16:23家主が起きたのです。ガイオという人物は、とても重要な影響力を及ぼしたのです。これが産業宣教です。時間がたつほど、このようにならなければなりません。これから産業宣教にどんなことが起きるのか一度、見ましょう。悟りさえすれば、神様が答えられます。このことがとても重要で、むやみにできないのです。ある場合を見れば、私と仕事をする人々が難しいのです。自分の特徴、二個があります。絶対に叱責したり、首を飛ばしません。本人が悟れなければ、神様が呼んで行かれます。これが怖い方法であるから、私は絶対に人間中心主義を使いません。産業宣教を知らなければ良いでしょうか。神様はご存知でしょう。教会史的に見てもそうです。自分の言葉が違えば、どうでしょうか。それで、むやみに話すことができないのです。確かにこのことを王が邪魔すれば、王は除去されるでしょう。ヘロデを呼んで行かれました。政権が邪魔になれば、政権は倒れるようになります。必要な人を先に祝福されたり、時代を変える祝福をされたりもします。伝道と宣教を深く理解するほど、一方では恐ろしくて震えるのです。パウロが、この話をしたのが理解できました。あまりにも重要な話であるためです。自分の名誉や自尊心ですることではありません。誰かが認めるからするのではないのです。本当に震えることです。このことが、このように重要なのです。イスラエルが何度かなくなったり、さまよったりもしました。そうだという時、全世界を見通しましょう。途方もない危機がきました。完全に福音がなくなったのです。このような時、皆さんと産業宣教を呼ばれたのです。どうして良くなるのか、分かるでしょうか。どうして、タラッパンの開始が愚かなのに、なっていくのか分かるでしょうか。それなら、私たちが受ける祝福を分かるでしょうか。簡単です。事務室で仕事をする人、1人1人が震えながらしなければなりません。現場の幹事1人が震えながらしなければならないのです。これが何かご用でしょうか。時々、幹事の話を聞きます。幹事の共通点、99.9%ある話があります。上の人がとても無理を言うから大変だという話をします。タラッパン離れたいという話さえします。こんなにまですることなのでしょうか。本当に福音を悟れば安らかで簡単ですが、本当に悟れないと、このように大変なことだなと考えました。私たちは、福音を捕まえてやり直さなければならないでしょう。今回、多くの人々を送って下さいました。神様がされることであり、私たちが神様の働きの中で、献身しているという重要な現れです。これから産業宣教は、世界的にずっと起きるでしょう。

--本文要約--
<共同体と産業宣教(49) –使徒2:9-11以後(使徒2:9-11)>

1.神様の準備
(1)ヨエル2:28
(2)使徒1:3
(3)使徒2:1
(4)使徒2:9-11
2.使徒2:9-11以後
(1)使徒2:41
(2)使徒2:42
(3)使徒9:1-43
(4)使徒10:1-6
3.パン種のように広がる産業宣教
(1)使徒8:26-40
(2)使徒11:2-26
(3)使徒13:1-12
(4)使徒16:15
(5)使徒18:1-4,使徒18:24-28
(6)ローマ16:23