[2005.5.21 /産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/イ・サンベ牧師]


共同体と産業宣教(54)-みことばの力を見た産業人
(ヨエル2:28,使徒1:8)


@序論:先週のメッセージを見れば、産業人は単純に商売をしたのではありません。みことば運動をしました。みことば運動がある伝道弟子でした。
(1) 300%の専門性を持ってみことば運動をしました。自分自身に対して専門性がありました。世の中に対して専門性がありました。自分の機能、職業に対する専門性がありました。その全てのものを持って、地域ごとに伝道弟子をたてることに全力を尽くしたのです。聖書に見れば、シモン、プリスカ夫婦、タビタという名前がずらっと出てきます。この人たちの名前の前に必ず自分がする職業が記録されています。聖書に記録されたのを見れば、この人たちは、産業人で、伝道の働きしたことがずっと記録されています。産業にしばられて、他のことができないのでなく、いくらでも伝道したのです。私たちが、初代教会の産業人の祝福を回復しなければならないと信じます。
(2)また、みことば運動の原理三つがあります。タラッパン運動の特徴でもあります。
①救い中心、福音中心です。
いくら立派な説教でも、その人をつかんでいる呪い、死から救うことができなければ、仕方がありません。聖書が記録された目的、キリストが来られた目的も救いです。すべてのメッセージで、救われるように助けるべきです。
②霊的世界中心です。
すべてのメッセージで、霊的事実が宣言されなければなりません。それで、私たちの身分と権威が重要です。私たちの敵がどのように活動しているのか、細かく明らかにしなければなりません。それで、私たちの力ではなく、神様の力になることを言わなければなりません。それと共に、聖書勉強をするのではなく、生きて働くみことば運動をするのです。神様のみことばは観念ではありません。福音は、哲学でもないのです。いのちであり、力です。イエスの名前を話すのに、足のきかない者が起きながら、足首と足に力を得たと言われています。ペテロが手術したのでも、薬を飲ませたのでもありません。按手祈祷したのでもないのです。単にイエスの名前の話したのです。すると肉体が治りました。その心と霊が治ったのです。40年の間、神殿の前に座っていながら、神様を賛美したことなかったのです。しかし、彼が神様を賛美しました。イエスの名前で話したが、肉体と霊が治ったのです。それで、私たちが現場でみことば運動をするのです。どうして、初代産業人はそのようなことが出来たのでしょうか。
③ヘブル4:12
1.約束されたみことばの力(使徒1:8)
(1)ヨエル2:28,使徒1:8 10預言者を通して、すでに預言されていたのです。そのみことばが、約束のとおりに臨みました。聖書を見ると、神様は必ずすることを、みことばからくださいます。みことばを先にくださって、ご自分が成就されるのです。それで、神様がなさったことに信じてついて行くだけで良いのです。みことばをくださったその方が、みことばを成し遂げられるということを知って、ついて行くのが信仰です。それで、マルコのタラッパンの弟子たちは、その契約を信じて祈ったのでした。
(2)使徒2:1-3,風,火のような働き,使徒2:14-21風と火の働きはものすごいのです。前に、江原道(カンウォンド)で火事が起こった時、ニュースを聞きました。風に乗って松かさが100メートルまで行くということです。風と火が合わさったので、防げなかったのです。何も持っていなくて、力もない、そこに聖霊が働かれたのです。その力を誰が防げるでしょうか。それだけでなく、約束されたみことばが、そのまま成就するということを体験しました。
(3)使徒6:7,8:4-8,9:1-43,10:1-6この働きを体験した産業人を通して、ずっとみことばが成就したのです。エルサレム全域に伝えられて、数多くの祭司の群も服従したと言われています。宗教人の理論が、このみことばを拒絶できないのです。どんな神秘な力を持った宗教も、神様の神秘なみことばを越えることができないのです。堅く閉ざされたサマリヤの門が開いて、アフリカの門も開かれました。異邦人にも伝えられて、迫害者を屈服させたのでした。
(4)使徒11:19-30アンテオケまで伝えられました。アンテオケ教会は最初の教会です。患難以後にたてられた最初の教会です。異邦人の地域にたてた最初の教会です。一般信者70人弟子を通して立てられた最初の教会です。世の中から初めてクリスチャンと称した人々がたてた最初の教会です。宣教をした最初の教会、献金をいろいろと使うことができた最初の教会です。一般信者が立てられました。みことばの力を味わった産業人がたてた最初の教会です。約束されたみことばの力を信じる産業人を防げなかったのです。地域、人種、身分が防止できませんでした。それで、福音は全てのものを跳び越えるのです。不信仰の壁、異邦人や選民とかを、跳び越えるのです。互いに軽べつしたユダヤとサマリヤの壁を跳び越えるのです。その働きを初代教会が見たのでした。

2.第2の力の働き(使徒13:1-3)マケドニアまでずっと広まりました。宣教師をたてて派遣するのに、直接、働かれたのです。
(1)使徒13:1-12アンテオケ教会の信徒は、その聖霊の働きを信じて断食しながら祈ったのです。みことばの力を見たので、みことばの前に服従するのです。とても難しいことを、アンテオケ教会は従順にしながらしたのです。パウロとバルナバが指導者なのに、彼らを派遣したのでした。神様の聖霊の力を分かるから、そのまま従順にしたのでした。
(2)使徒16:15ピリピに出て行きました。
(3)使徒17:6,Iテサロニケ1:3-5テサロニケに広まりました。
(4)使徒18:1-4コリントに行きました。
第2の働きは、聖霊のとおりずっと広まりました。エルサレムとユダヤで留まったのでなく、異邦の地域にずっと広まったのです。私たちが宣教師のために祈ります。宣教師が来られて訓練を受けます。私たちがすることに同労者となります。私たちのタラッパンの働きが宣教地域にも、そのまま再現されることを信じます。私たちが偉大なのではなく、福音の力の働きがそうなのです。むしろ防ごうとするならさらに広まります。それで、ステパノ執事の患難以後に、むしろ、さらに広まったのです。

3.第3の力の働き
エペソから始めて、ローマまで広まりました。
(1)使徒18:24-28アポロは偉大な人です。幼いころから聖書をよく分かっていたと言われています。そして、熱心に教える人です。しかし、この人が教えた時、一般信者であるプリスカ夫婦が見たのです。ヨハネのバプテスマだけを知っているので、マルコのタラッパンの聖霊の働き、真の福音の力を知らなかったのです。それで自分の家に呼んで、静かにみことばを証ししたのでした。神様の道をさらに詳しく解いて伝えたと書かれています。その時、マルコのタラッパンで体験した聖霊の働きを、たぶん証したのでしょう。柳光洙牧師の言葉通り、一般信者が、どのように聖書のみことばを教えたでしょうか。そうだったならば、聖書の博士が、一般信者の教えを受けるでしょうか。それで、聖書を教えたのではなく、神様の聖霊の働きを知らせたのです。契約を捕まえて体験した聖霊の働き、力の働きを証ししただけでも、広まるしかありません。私たちが教えようとせずに、証しとフォーラムをしようとすれば、神様は私たちを用いられるでしょう。
(2)使徒19:1-7エペソに降りてきたパウロが確認した内容がまさにこれです。確認した内容は一つしかありませんでした。あなたたちが信じた時、聖霊を信じたか。弟子たちに確認したことは、一つしかありません。私の人格、能力、実力を跳び越える神様の力、私と関係なく起きる福音の力を確認して体験したのか。これが確認されてこそ、弟子になるのです。それを確認しました。使徒パウロにくださった祈りの課題が、そのまま成就したのです。
(3)使徒19:21,23:11,27:24,28:30-31大きい働き以後に、パウロはそのまま陶酔しませんでした。神様の大きい計画を見たのです。ローマも見なければならない。私たちに起きた多くの証拠は、神様がくださったのです。とても感謝して驚くべきことです。しかし、それだけでしょうか。ここに陶酔して止まっても良いのでしょうか。神様が本当になさろうと思っておられることがあります。ローマも見なければならない。パウロのその祈りを主が受けられたのです。あなたはカイザルの前に立たなければならない。暴風の中でおっしゃられました。パウロ。恐れてはなりません。あなたはカイザルの前に立たなければならない。カイザルの前に立って、福音の正当性と偉大性を言わなければならない。これがわたしの計画だ。それのために、暴風もどうしようもなかったでしょう。世界福音化が神様の方向ならば、私たちをどうしようもないでしょう。パウロ恐れずに、静かにせずに、話せおっしゃられました。わたしがあなたとともにいて、あなたを害する者は断じていないだろう。この町の中にわたしの民が多いと。パウロがちりを落として離れようとしたのですが、神様は多いと言われました。この町の中に、わたしの民が多い、害する者はいない。韓国に福音を伝える人が多いので、伝道者は滅びることがありません。これは、私たちが強いのではなく、神様のみこころであるためです。神様のみこころについて私たちが行くのです。使徒28:30-31たとえ借家であっても、神様の福音を防げなかったのです。
▲私の個人的な証しですが、このみことば読んで、どれくらい力を得たのかわかりません。私が初めに福音運動する時、教会がありませんでした。それで、しばらくは気落ちしていました。これで何をするのか。しかし、使徒行伝を見たら、借りた家から始まって、借りた家で終わったのです。使徒行伝を見たら、借家でしました。福音は、福音自体が力です。それで、私たちが貧しいこと、ないことは関係なく働かれるのです。私が足りないこと、ないことに縛られる必要がありません。もしかしたら、より大きく用いられるでしょう。みことばの力は誰も防げないためです。
(4)ローマ16:1-27

4.続く力の働き
主が来られるその日まで、世界が福音化されるその日まで、福音の力の働きは続くでしょう。
(1)ガラテヤ6:6-9植えた通り刈り取るとおっしゃられました。自らの肉体のためで植える者は、肉体からったものを刈り取り、聖霊のために植える者は、聖霊から永遠のいのちを刈り取るでしょう。それで、私たちが善を行って、気をおとさないようにと言われました。時になれば刈り取ると言われたのです。現場で、福音だけ伝えれば、神様の時がくるでしょう。福音はいのちだから、必ず芽が出て、花が咲いて、実がなるでしょう。
(2)エペソ5:18それで、ただ聖霊充満を受けなさいと言われたのです。聖霊充満は、私をなくすのです。祈りの基準が、私がなくなる時まで祈れば良いのです。私の心配、目標までなくなってこそ、聖霊充満したのです。それで全て神様だけ、見上げるのです。しかし、神様が何の力もない者を通してずっと働かれました。全てのものを跳び越えたのです。誰も防げませんでした。そのみことばの力が、私たちの中で働くと信じます。それで、私たちが他のことをする必要がありません。
(3)Iテサロニケ1:3言葉だけでしたのでなく、聖霊と力と大きい働きでしたとおっしゃられました。
(4)ピリピ4:13それで、その力をくださる方にあって、私たちはどんなこともできるのです。力をくださる方にあって、するのです。
(5)コロサイ3:1-3聖霊がそのようにされると信じます。それで、私たちを見て、他のことをせずに、上のことだけ見なさいと言われたのです。上のものを探せと言われました。

@結論:霊的戦いが巧妙に起きる所が産業現場です。巧妙にだますのが財産です。その現場を放置することを神様は願われません。
(1)神様の願いは、その現場でみことば運動が起きることを希望されるのです。それで、私たちに産業宣教をすることを希望されます。人間中心義が総動員するその現場に、神様の力、弟子運動が起きることを希望されるのです。これが神様の願いです。
(2)私たちの産業人が5つの祈りをいつも味わわなければなりません。
みことばの力を味わった産業人が、伝道者の保護者、同労者、家主として生きるように望みます。未来の主人公であるレムナントの土台になるべく、働きが起きることを希望します。私の産業が、共同体をたてて、文化を変える程、働きが起きることを希望します。神様は、こういう祈りの課題をくださると信じます。私たちががんばれば良くて、しなくてはならないのではありません。神様は、みことばでご自分が成し遂げられる方です。それで信実な方だと言うのです。一度も変わらないと言われました。それで、私たちが捕まえて出て行けば良いのです。みことばの力は、全てのものを跳び越えます。みことばの力は防げることができません。今でも続いています。神様が産業現場に、火のように起きることを願われるのです。私たちが、この契約の成就を見ると信じます。

--メッセージ要約--
<共同体と産業宣教(54) -みことばの力を見た産業人(ヨエル2:28,使徒1:8) >
1.約束されたみことばの力(使徒1:8)
(1)ヨエル2:28,使徒1:8      (2)使徒2:1-3,風,火のような働き,使徒2:14-21
(3)使徒6:7,8:4-8,9:1-43,10:1-6   (4)使徒11:19-30
2.第2の力の働き(使徒13:1-3)
(1)使徒13:1-12    (2)使徒16:15    (3)使徒17:6,Iテサロニケ1:3-5    (4)使徒18:1-4
3.第3の力の働き
(1)使徒18:24-28    (2)使徒19:1-7    (3)使徒19:21,23:11,27:24,28:30-31  (4)ローマ16:1-27
4.続く力の働き
(1)ガラテヤ6:6-9     (2)エペソ5:18
(3)Iテサロニケ1:3.1:5  (4)ピリピ4:13    (5)コロサイ3:1-3