[2005年07月16日/産業宣教メッセージ/ソウル・メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(62)-苦しみの経済と光の経済
(創世記3:18)


聖書のみことば(創世記3:18)
土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。

要約資料
1.神様が与えられる新しい経済
(1)創世記1:1-13
(2)創世記1:27-28
(3)創世記2:1-14
2.苦しみの経済の開始
(1)創世記3:5
(2)創世記3:18
(3)創世記3:19
3.光の経済
(1)創世記3:15
(2)出エジプト3:18
(3)イザヤ7:14
(4)イザヤ60:1-22
(5)Iペテロ2:9
4.光の経済の主人公
(1)イザヤ60:1-2、イザヤ60:3-5
(2)イザヤ62:6-12
(3)ローマ16:1-27
(The end)

説明資料
・序論
▲創世記3章の事件以後に、創世記3:18-19 ‘土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない…’創世記3章の時から、苦しみの経済が始まりました。理由は、すなわち創世記3章以後、暗闇が入ってくるしかなかったからです。それなら、神様が産業宣教に希望されるのは、そこに反対になる光の経済です。皆さんが、必ず記憶しなければなりません。こういう苦しみの経済の中で神様がくださった力を得られなければ、実際に大変です。
▲皆さんが一回ぐらいは、こういう体験がなければなりません。
(1)福音+祈り(体験)
▲福音の深い恵みと祈りの体験がなければなりません。タラッパンには、合宿のような訓練が多いのです。深い祈りをしながら、体験する部分がなければなりません。合宿を受けながら断食もしてみましょう。事実上、福音を持った人が断食祈祷すれば、すばらしいみわざが起きます。使徒13:1-3パウロが断食して、聖霊の導きを受けたということです。この後になることは、ものすごかったのです。私が大学生に話したのですが、断食祈祷を何日したら、大変でお腹がすいていました。その時も、伝道、福音の契約を捕まえて断食をしたのです。しかし、それほど祈りができなくて、時間だけ送りました。しかし、一つ私に来たことがあります。霊的にとても澄んだのです。‘それで、聖書で断食をしなさいと言われたのだなあ’と思いました。私が必ずお願いすることがあるならば、福音の深さを知らなければ断食しないように。本当にパウロのように福音にあって断食すれば、すばらしい体験になるでしょう。これにならなければなりません。
(2)持続
▲これが小さい開始になって持続するようになります。断食を持続するのではなく、祈りを持続するのです。
(3)なるようになる祈り(5つの力)
▲持続するところで味わったので、なるようになる祈りの段階となります。具体的に、これを聖霊充満と言うのです。私はそのように思っています。これが聖霊充満であって、少し体験したということが聖霊充満ではありません。異言受けたとしても、聖霊充満だと断言できません。一つの証拠であって‘なるようになる祈り’のレベルにならなければなりません。ここから力が出てくるのです。産業する人々の現場を見ると、想像を絶するほど複雑です。
①霊力(目)-霊的な力がなくてはいけません。ひとまず霊的な力からあってこそ、目に見られないことが行われるのです。私たちは目に見えることだけ継続するのですが、目に見えない霊的なことから始まるのです。
②知力-霊力の次にこれが出てくるのです。神様が与えられる力があってこそ、知力が出てきます。ところで、このようになられなければ世の人に勝てません。今回レムナント学生の中で20才もならない学生が食事しながら話しました。この子が米国で自分の分野で最高のプログラマーとして浮び上がったのです。ビルゲイツが会いにくるほどです。記録に見れば、ビルゲイツは普通の人と違います。この人が人物を呼ぶ時は、特別です。ビルゲイツが人物を分析をしてみて、その人物がいる会社が難しいとします。それで、ビルゲイツがその会社にお金をみな与えて人物を呼ぶのです。その程度の人なのに、私たちの学生を訪ねてきたのです。どうしてそのようにできたのか? と聞かれて、単にメッセージをとらえて祈って、そのようなアイデアが出たと言いました。米国がどこでしょうか? 米国を驚かせたのです。絶対に産業人が霊的な力がなければ、同じように生きているのですが、絶対に未信者に勝つことができません。
③体力(調和)-三番目に体力をおいたのですが、これは上の二つにならなければならないのです。このような時、調和を作り出すので健康にもなります。
④経済力-上の3つになってこそ、経済力が付いてきます。これは霊的なことが含まれてこそくるのであって、突然付いてくるのではありません。
⑤人材(目標)-上の四つになる時、人材が付いてくるようになります。人材が最も重要なのです。これがまさに私たちの目標です。人を育てて、探すのが目標です。牧師と私が世界を巡回するのは、人を探して立てようとしているのです。
▲どの場合もこのようにだめになれば、世の中に勝つのが難しくなります。しかし、詳しく見ると、このような部分はとてもやさしいのです。神様が私たちに恵みですべてくださいました。だめなことをなるようにさせるのも大変ですが、なるのをならないようにするのも大変です。私たちの牧師もそうで、一般信者もこれだけなれば良いのに、外で探そうとするから大変なのです。誰がなんと言っても、信徒が見る時、牧師にこういう部分が感じられれば、信徒ら付いてきます。一般信者はそうではないのでしょうか? みな同じです。必ずこのようにならなければなりません。それで、私たちの産業人がすばらしい力を得なければなりません。私たちが少しの間、先進国の米国、ヨーロッパに行ってみれば、本当にすごいということを感じるようになります。ドイツへ行ってフランクフルトに行ってみると、韓国と対照的です。世界の60%人々がくるしかない施設があります。世界的な銀行や、コンファレンスルームがあります。そして、米国のホテルを見れば、世界的なホテルです。ホリデイインのようなホテルが、みな世界的に連結しています。私たちの韓国でする単純なホテル、モーテルと違います。私たちのメンバーの中でひとりが、日本で商売をしているのですが、日本で一番良い建物で商っています。それで尋ねました。‘この建物を賃貸しようとするなら、お金をどれ程上げなければならないのか? ’すると‘ここはお金をものすごく出すべきなのに、一つも出さなくなっている’と言います。話になるでしょうか? お金を多く出さなければならないのに、自分は一つも出さなかったということです。日本人がどれくらい頭が優れるのか、建物1階から10階まで専門家を呼んでお金を取らないということです。そして、そこから出る途方もない収入で計算するということです。あるビルディングの中に最高の専門家たちを呼ぶということです。それで、商売になるしかはありません。日本人が頭が優れていることは確かです。こういう世の中で、私たちに神様の力が事実通りなければ大変です。それで、聖書に聖霊充満を受けなさいと言われたのです。

1.神様が与えられる新しい経済
▲神様が与えられる新しい経済を知っています。まず最初に祝福されました。
(1)創世記1:1-13全てのものを創造して、神様がとても喜ばれたということです。全てのものが神様が創造されたので、すべてくださったのです。
(2)創世記1:27-28人間が何なのかに対する定義が出てきます。人間は神様のかたちに創造されました。それと共に、直ちに28節に経済に対して出てきます。‘征服して治めなさい’と言われました。神様が本来人間に川が流れる肥沃なエデンを与えられたのです。これが神様がくださったのです。しかし、苦しみが始まったのです。ですから、経済も苦しみになるしかありません。一番最初に始まったのが創世記3:5です。
(3)創世記2:1-14

2.苦しみの経済の開始
(1)創世記3:5サタンが現れて、一つだけ知らなければなるようにしたのでしが、神様に対して信じることができなくさせたのです。
(2)創世記3:18その時から、苦しみが入ってきました。
(3)創世記3:19多くの汗を流して苦労しなければなりません。このような時、神様が皆さんのような信じる者を通して光の経済をくださろうとしているのです。

3.光の経済
▲根源をよく分からなければなりません。下の聖書箇所5ケが重要です。信者にだけ与えられたのです。それならすばらしいのです。
(1)創世記3:15蛇の頭を踏み砕くと言われました。この祝福を受けました。
(2)出エジプト3:18血の契約を悟る時、多くのことが生き返ります。この言葉をただ見てはいけないのですが、こういう意味で見れば正しい言葉です。この祝福を回復するのです。
(3)イザヤ7:14インマヌエルの祝福です。聖書に確かに記録されています。
(4)イザヤ60:1-22起きて、光を放てと言われます。それで、残り全てのものが回復してくるということです。‘光を放ちなさい’としながら、前で主の光があなたに臨んだと言われています。こういう面で、勇気を出してもかまわないのです。がんこにがんばれということでなく、勇気を出せということです。主の光があなたに臨んだからです。これを分かるようにさせるのが産業宣教です。私たちの身分をそのようにされたのです。これが事実ならば、他のことをする必要なく、応用することができます。
(5)Iペテロ2:9光を宣べ伝えるように呼ばれました。それで、この部分が本当に正しいということと、違うというのは違いが生じます。本当にこういう部分が正しいと思う人と、違うという人の考えと言葉は違います。ここでどんどん違いが生じて、問題がくるのです。それで、ここにおられる執事、長老は役員です。この部分が事実ならば、牧会が変わらなければなりません。これが事実でしょうか? 偽りでしょうか? これが事実ならば、役員会は変わります。考えが違います。この後に答えが確かに始まるのです。それで、伝道運動を始めながら確信しました。イエス様がサタンの頭をうち砕かなかったとすれば、私たちは勝てません。キリストが私たちを運命、呪いから解放させなかったとすれば、私たちは生きていけません。神様が私たちとともにおられる救いの門をくださらなかったとすれば、何もできません。目を開いて見たら、全部、暗やみの中でした。それで、光を与えられたのです。私はこれを悟ったのです。もし福音を知らなかったとするなら、どれくらい努力をしなければならないでしょうか? する必要がありません。神様が私たちに身分で与えられたからです。ここで宗教、福音の違いが生じるのです。すばらしいのです。正しいと思うので、その時から考えが違ったのです。それで教会で役員会するのに、後から考えてみて、どんな気がするかというと、こういう役員をして良いのか? いろいろ話して、お金の話をして見たら、ほとんどすることが不信仰です。これでは世の中に勝てません。むちゃくちゃに‘信じます’ではなく、神様がくださったみことばがあります。この契約を捕まえるだけでも、世界福音化ができて、私たちのレムナントらが起きます。レムナントの中で、答えを受けています。本人や見る人々が、普通の働きでないことを見るようになります。それで、皆さんが世の中を長く生きていたら、どれほど多いことがあるでしょうか? はやくこちらに入らなければなりません。それでこそ回復するのです。それで、前の内容は未信者と私たちが違う秘密です。同じ条件で競争するのに、私たちにはこの秘密がなくてはいけません。同じ状況で未信者と戦わなければならないのに、この秘密がなければ押されます。それでレムナント見て話をしました。本当に契約をつかめば、あなたが行く時、答えをくださいます。戦っては勝てません。ヨセフがポティファルに戦っては勝てません。ポティファルより祝福を受けるべきで、戦っては勝てません。監獄の囚人で行ったのに、競争では勝てません。行く前に祝福されるのです。この契約を本当に味わえば、出エジプト1413-14にモーセに先立って神様が働かれたのです。ですから、確かに信じなければなりません。間違いない事実です。皆さんが来る前に、聖霊で働かれたのです。

4.光の経済の主人公
▲神様が主人公として呼ばれました。
(1)イザヤ60:1-2、イザヤ60:3-5起きて光を放ちなさい。その中にレムナントらが戻ってきます。あなたの息子と娘が遠方からくる。
(2)イザヤ62:6-12 道だけ整えれば、すべての民が戻ってきます。
(3)ローマ16:1-27そのような働き人でした。こういう主人公として呼ばれたのです。
▲私はそのように考えます。今日、直ちに目に見える答えがなくても、開始しています。私たちが本当にイエスの名前で祈れば、暗闇が確かに離れます。手術で成功すれば必ず治ります。それで、皆さんが完全にこの契約をつかまなければなりません。この契約を持って役員会も行って、現場にも行かなければなりません。現場に行っては、あらわれないようにしなければならないので秘密です。それで、私たちの教会ではいくらでも表わせます。それで、教会に行って力を得て、外に行ってこの事実を秘密に味わうのです。可能ならば、教役者に知恵がなければならないのですが、信徒が色々な問題を持っています。違ったことを正しく指導するのですが、こういう部分が入らなければなりません。信徒の違ったことを正しく指導するのも、こういう部分を分かるようにしなければならないのです。それが指導者であり、牧会で、皆さんの働きです。教役者と役員が記憶しなければなりません。もしソウンが間違ったとしましょう。誤りを継続するとしましょう。こういう場合に、私と対話しながら悟らなければなりません。結局は、これが確認できて、1番に行かなければなりません。しかし、子どもと対話して、多くの傷を受ければ通常の問題ではありません。1番に入ることもできなくて、傷となります。それでは、それは人を完全に滅びるようにするのです。その程度、知恵があってこそ、指導者となります。この程度は理解してこそ、役員になるのです。この祝福を持って行くのです。ないことを持って探すのではありません。ペテロが‘私にあることをあなたに与えよう’と言いました。とても重要です。金銀はないが‘私にあることをあなたにあげよう’と言いました。私たちが持った秘密を持って世の中に行くのです。みな切り捨てるのではなく、秘密を持って応用するのです。また、ぶつかることもあります。余裕をもって妥協しながら、この秘密で生かすのです。すばらしい神様の知恵が出てくるのです。神様の知恵ですれば、すばらしいことが出てきます。同じ信者なのに違うのです。私が釜山(プサン)にいる時、信徒に法的問題があれば手助けしました。手助けする時も、私がおもに人々に会う時、キム・カンイル長老に行ってみます。多くのお金はないのですが、その長老に会いに行くのです。この方が見れば、普通のよく学んだ程度の人ではありません。事件を持って一つ一つ説明をするのです。“あなたがこういう部分が弱くて、こういう部分に長所がある。今回の裁判をしてみてだめなこともある。不利ならば、他の人にしなければならない。それでもするならば、こういう部分に最善を尽くします。根本的にあなたが悟らなければならないことが、こういう部分だ”と話します。完全にメッセージが出てくるのです。それで感動してお願いしにきた人々が感動するのです。しかし、キム・ガンイル長老が政治をするとソウルへ行って、法的な部分をお願いしようとして、誰かに行ってみたら、完全に違いました。この人も執事というのに単語が違いました。初めから自分にくればみなできると言いました。そのようなニュアンスでした。自分が判事をよく知っているということです。弁護士が判事をよく分かっていれば、何なのでしょうか? このような形で話すのです。私たちの信徒が尋ねれば、返事もよくしません。私たちの信徒が仕事をお願いしたのですが、事件を任せたのも忘れてしまうのです。だから、この信徒が気をおとしました。私が分かることでは、法律では言葉が良ければよいのではないと理解しています。しかし、キム長老は、事件を依頼しに来た人々が完全に恵みを受けてくるのです。事業も同じです。色々な人がいます。それで二人を比喩で出したのです。同じ信者なのに、違いが生じます。それで、その後者なる方が長老なのに、教会でもそうなのではないでしょうか? 確かに役員会もそのようにして、牧会の働きを助けるのにもそのように助けるでしょう。それでは、信徒がこういうものを見られないのです。何か教会で見えなければなりません。正確に神様がくださった力を見なければならないのです。率直に、世の中がどれくらい大変でしょうか? 見れば見るほど難しいのです。想像を絶することです。産業人が世の中にあるのに、こういう力を得られなければ難しいのです。神様がくださる力がなければ、苦しみの経済を光の経済に変えられるでしょうか? しばしばこのように話します。牧師が知らないからそうであって、教会と世の中は違うと言うのです。認めます。しかし、絶対に違いません。
もちろん、世の中の方法がどのように教会と同じなのでしょうか? 本当に認めます。それなら、なおさらこの力を得なければなりません。違うならば、この力を得なければなりません。これが全世界産業宣教で入っていかなければならないのです。それで、今日、参加した皆さんに神様がくださる祝福と秘密がともにすることを希望します。VIP宣教会員に特別な力があることを希望します。
(The end)