[ 2005.09.10./ソウル産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(70)教会中心信仰生活の7つの原理
(使徒1:8)


@序論:イエス様が最後におっしゃられて‘聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人になります’と言われました。名前は明らかにすることができないのですが、未信者なのに新聞に載ったのを私が見ました。女の人1人が食堂をしていました。自分が愛する人が南北問題で北朝鮮に行ったのですが、今まで帰って来ることがなかったのです。この方が、その男の人を待ちながら一生の間、食堂をしたのでした。食堂の建物だけで40億円でした。ところで男が死んだのか、生きているのか確認できないのです。韓国のかなり有名な詩人だったのですが、たぶん死んだだろうと発表されたのです。それでも生きているのかわかりません。統一されれば会える、これ一つで今まで生きていたのです。お金もたくさん儲けました。多分、韓国の最高の食堂だということです。ところで、その方が仏教信者です。この前に年齢をとてもとったので、食堂ができなくなったのです。自分の家に食事しに来る僧侶の寺にお金を捧げたのです。これを見ながら、未信者も中心が正しければ、あんな多くの事を成せるのだということを感じました。まして、私たちは神様の人なので、祈りの答えを受けられるのです。皆さんの中に7つのことは、常になければなりません。見ることも、会うこともできない人を愛して、いつも思うのに、私たちは神様の恵みをどれほど多く受けたでしょうか?
(1)弟子:私は釜山(プサン)から始まったので4万、韓国の40万、世界の一千万弟子のためにいつも祈っています。皆さんの祈りの中に常に出てこなければなりません。
(2)20個の戦略:そして20個の戦略が常に出てこなければなりません。これが常に出てこなければならないのです。
(3)共同体:そして、ここで出てくる共同体に対する祈りがいつもなければなりません。そして、皆さんの祈りの中に三つの大会はいつもなければなりません。
(4)産業人:タラッパンで行われる産業人大会
(5)レムナント:レムナント大会
(6)宣教大会:世界宣教大会です。
過ぎ去りながら、日が迫ってきたんだなあとなれば、多くのことをのがすようになります。皆さんの祈りの中にいつもなければなりません。
(7)訓練:そして特に時間がないので、時間ができれば訓練分野に対する祈りがいつもなければなりません。これが時々あるのと、いつもあるのは違いが生じます。これが聖書の特徴であり、私たちのタラッパンの特徴です。いい加減に思い出せばするのではなく、いつも祈りの中になければなりません。この祈りはいつも出てこなければならないのです。さらに正確に話せば、いつも出てくる皆さんが正常です。それなら、皆さんはまちがいなく答えを受けているでしょう。この間に続いて、産業人が教会中心の信仰生活の原理を捕まえなければなりません。いくら世界が広くても、皆さんがいる所は教会なので、教会中心が重要です。これは、利己主義的な集団の教会中心ではなく、福音中心の教会中心ならば重要です。教会中心の信仰原理7つを必ず記憶しなければなりません。

1.産業人:それ以前に産業人を見ましょう。答えを受けた産業人です。
(1)メルキゼデク:創世記14:17-24を見れば、アブラハムがこの人に仕えるのを見ることができます。メルキゼデクに十分の一をささげました。これが何でしょうか? アブラハムが単に事業をして生きたというのではなく、教会中心の産業をしたことが見られます。
(2)血の契約,救い+人生:モーセにも血の契約を分かるようにするのです。ここで私たちはとても注意しなければならないことがあります。大部分の救われた人が、この救いの中から生き方が出てこなければなりません。しかし、大部分の牧師、一般信者、特に神学者を見れば、救いに生き方を付けるのです。救われた中から出るべきなのに、救われたことに神秘主義を付けるのです。この救いの中からみことばが出てくるべきなのに、みことばを持って付けるので、律法主義が出てくるのです。問題は持って付ける時が問題です。持って付ける時、私のレベルで持って付けるので、結局は私のレベルで生きるのです。これが最も問題になるのです。教会も救いの契約の中で何かが出るべきなのに、持って付けるのです。それで、私たちも知らない間に救いが弱くなって、聖徒は混乱するのです。救いを味わう前に持って付けるので、信徒は霊的に混乱するのです。そして、救いは不十分で、生き方を持って付けるので、新しい信者が見る時は生き方がより良いのです。だから、教会に通う意味がないのです。それを私たちは試みにあったというのです。救いから出ることでなく、持って付けるので、その付けたものが自分はより良いのです。私が知っているある男性は、死ぬ時、私に信仰告白をしました。自分はイエスを信じるというのに、一度も教会に行かなかった。私に言ったのに、ちょうど奥さんがいず、家族がいました。自分の奥さんが教会生活するのを見て、教会に行かなかったのです。生き方が正しい、正しくないではなく、救いから出るのではないから、その人が見る時はそんなことです。生き方が良い、悪い以前に、救いの途方もない祝福から生き方が出てこなければならないのです。言わば、すべての人にみなそうだったのですが、神様がモーセに経験するようにさせられたのです。血のいけにえをささげためにイスラエル民族を連れて出て行けと言われたのです。
(3)三つの祭り、幕屋:ここで多くのことが出てきました。その中でとても重要な三つの祭りと幕屋が出てくるのです。
(4)神殿建築:皆さんが分かるように、ダビデの胸の中には一つしかありませんでした。王の仕事を良くすべきですが、なぜ良くすべきなのか? ダビデはいつも神殿建築からでした。これのために王になって、経済復興をさせなければならず、多くの準備をしなければならなかったのです。これのために、民が一つの心にならなければならなかったのです。こうなれば終わります。救いの祝福で、ものすごいことが出てくるのです。一番最初に、新しい家族に話す事項がこれです。救いの祝福の中にものすごいことがあるので、その中から生き方が出てくれば、意味と恵みがあるのに、ずっと何かを付けるのです。付けるのに、ほとんど自分自身のものがつくので、違ったものが出て来るのです。それがこんにちの教会の姿です。それで、多くの信者、エリートが教会に出てきて失望して崩れるのです。もし救いから出たとすれば、この人が足りなくても、多くの恵みを受けたということを知るようになるのです。私も弱くて、この人も弱いが、このものすごい救いの中で私たちが生きていくということを知るようになるのです。それで、私たちが教会中心ということはどれくらい重要かわかりません。
(5)使徒1:12-14:ここで集まり始めたが初代教会が始まったのです。

2.7つの原理:宣教大会の時も申し上げたのですが、教会は必ず7つの原理があります。この中心に生きなければなりません。他のものはだいたいにしても良いのです。
(1)力(使徒2:1-6):救われた神様の祝福の中から出る力があります。誰もこれを味わわない以上は、自分の信仰に対する正しい満足が出てきません。
(2)救いの働き(伝道)(使徒2:9-11):この祝福の中にあれば、必ず救いのみわざが起きるようになっています。これを伝道と言うのです。だから、伝道の門が開かれ始めるのです。
(3)みことば(使徒2:14-21):この救いの奥義の中にいれば、私たちはどのようにしなければならないのかに対する多くの心配をするが、多くのみことばが成就し始めるのです。
(4)弟子(使徒2:41-42):私たちはしきりに心配をとんでもなくするのですが、この中で人間関係が問題になることでなく、すばらしい弟子が起きるのです。新しい判事1人が自分が仕えている部長判事にあえて説明をできなくて、テープを与えたのです。ところで部長判事が、このテープを聞いて衝撃を受けたのです。仕事を取り消してずっと聞いたのです。そして、彼を呼んで何のテープなのかと尋ねたのです。それで腹を立てたと思って、申し訳ありません。必ず差し上げたいことだったのでと言ったのです。どれくらい詳しく聞いたのか、中の内容を尋ねたのです。そして、自分の家の問題がこの中にあるということでした。だから、頼みが一つあるが、自分はこの説明をとうてい出来ないから、我が家に行って、家族に一回だけ話してくれと言ったのです。だからおもしろいことが行われたのです。部長判事が自分についた新しい判事を迎えて、家に行ったのです。今日は自分が部長ではないから、心配せずに友人のようにしようということでした。ところでさらにすごいのは、メッセージを聞いた家族でした。どうなるでしょうか? 多分、家族の中の子どもに問題があったのか、家族すべてが恵みを受けたのです。さらにすごいのは、まったく変わらなかった子どもが、そのメッセージを受けて変わったのです。だからどうなるのでしょうか? その後がどうなるのでしょうか? 部長判事と新しい判事の関係がどうなるでしょうか? 仕事の権威を部長判事が握っているのですから、この人の将来はどうなるでしょうか? この人が昇進する時はどうなるでしょうか? 簡単な話です。これが弟子です。私たちはキリストの弟子という、この話はものすごい言葉です。私たちはしばしば人間関係を言うのですが、それは基本的な話です。基本的な人間関係ができなければ話にならないことですが、その話ではありません。
(5)現場(使徒2:46-47):このようになれば自然的に現場に答えがきて変化するのです。現場まで変化すべきなのに、そうでなければ、クリスチャンはいつもこの中で三重の問題がくるのです。これが福音の中から出る力です。
(6)宣教(使徒11:19-30):これが間違いないならば、必ず出てくること2つがあります。宣教です。これが間違いないならば、私たちだけ分かることでなく、全世界が分からなければならないのです。
(7)共同体(文化)(ローマ16:1-27):これが間違いないならば、自然に出てくるのが子孫です。子孫がこの福音を正しく知らなければならない、これが共同体です。共同体の鍵は文化です。キリスト教文化がありません。教会は遊び文化もあまりありません。世の中のことを持ってきてするのです。これがものすごいのです。産業人と牧師は、他のことでなく、これが重要です。教会の中で神様の力を味わえば、その次のことは問題になりません。

3.条件:このようになるための必須の前提条件があります。
(1)キリスト-イエス:使徒1:1にルカがテオピロにした話です。その主題が何でしょうか? 私たちがよく知っているキリストです。正確に話せば、キリストという言葉とイエスという言葉は違います。それで、イエス・キリストというのです。盧武鉉と大統領は別のものです。彼が大統領になったので、盧武鉉大統領と言うのです。キリストという言葉は、父、子、聖霊の驚くべき奥義を統一させる奥義があるのです。私たちの霊的な問題と肉体的な問題を確かに解決できる鍵です。このキリストが誰かという時、私たちはイエスだと見るのです。聖書と歴史を見て話すのです。それで、韓国で不十分に信じたのですが、100年前に福音が入ってきて、全部、教会の文化になったのです。このキリストという単語を持って、ローマが迫害したのですが、250年後にローマは完全に征服されたのです。私はキム・ジュンゴン牧師に会った時、そのように言いました。私が大学に通った時、キム・ジュンゴン牧師の本を読みました。その方が何を質問したかというと‘いったいイエスキリストは誰か?’と質問したのです。私はその言葉を見ながら‘正しい、イエス・キリストは誰か?’と思いました。キム・ジュンゴン博士がメッセージでした言葉です。その方はこのように表現しました。その方は本を一冊も書かなかったが、この方に関する本が地球上で一番多い。一度も誰かを殴ったり、攻撃しなかったが、多くの英雄、将軍を合わせた力より、もっと大きい影響力をおよぼした。いったいこの方は誰なのか? このように質問したのです。その時、私は正しいと思ったのです。その時から、私はキリストに関することを置いて祈り始めました。この答えが大きいのです。その話をキム・ジュンゴン博士と食事をした時、話をしたのです。だからこれがまさに1:1節の‘テオピロよ。私が前の書で書いたのは’という内容です。
(2)国(権力):これを分かるだけ、皆さんの家、職場と現場に神様の国が臨むのです。‘国’という時、一番重要な意味が入っています。国民、国土、指導者がいる主権があってこそ、国です。いくら自分たちがかたまって住んでも、王がいなくて、国民がいなくて、国土がなければ国ではありません。だから北朝鮮と韓国の戦いも、このような力の戦いです。私たちは韓国、北朝鮮はまだ国ではないと思っています。事実は、北朝鮮でもなく、北朝鮮、南朝鮮であって国ではないので、私たちが生かさなければならないと思うのです。それだけ、国という言葉は重要です。この中には、権力と主権、国権と王権が含まれているのです。この言葉を霊的にそのまま変えてみましょう。ものすごい話になります。そのような意味の国です。この味をどのように味わうのでしょうか?
(3)聖霊充満(祈り):これが聖霊充満です。聖霊充満は格別なことではありません。神様がくださったことなので、私たちが作るのではありません。聖霊充満に最も近い単語が祈りです。祈りが全くできないのは、聖霊充満の不足です。祈りができるのは聖霊充満です。キリストの恵みが感じられること、神様の国、福音の味が感じられるのが、聖霊充満です。この三つを見て、救いから出発したというのです。
* 平安-感謝:それでは教会も、皆さんの働きも平安になるのです。だから、悪霊につかれた人の一番最初の特徴が不安です。ない人の特徴が不安なのです。ある人は平安です。持つことが出来ない人の特徴が不安です。持っている人が何で不安なのでしょうか? だからこの祝福を持てば平安です。それで、イエス様がこのようにおっしゃられたのです。‘あなたたちは、心配してはなりません。神様を信じ、また私を信じて、心配してはなりません。また天国が準備されているので心配してはなりません。もう一つ重要な聖霊があなた達と一緒におられるので、心配してはなりません。助け主聖霊をあなたたちに送る’それと共にこの話をされました。‘わたしは、あなたたちに平安を与えます。この平安は世の中が与えるものではありません。だから、心を騒がすことも、恐れてもなりません’する理由がありません。本当に救われた人は、心配する必要がないのです。私は人々が、疑って、不安に思うならば、本当に救われたのかと疑いを持ちます。過度に教会にきて、地位を戦って、けんかするのを見れば、救われた人に間違いないのか心配になりました。私たちが人であるから、とても変に仕事をする人を見れば心配なのです。こういうものをいうのであって、とても地位で戦う人は変なのです。私が見る時は、だいぶ霊的な問題です。救いの祝福は、本当に平安なのです。それで、パウロも何も心配せずに、ただ祈りと願いを感謝をもって神様に申し上げろと言ったのです。ここで出てくるのが感謝です。福音の真の平安から出るのが感謝です。私が良い家をくださったので感謝するのですが、平安の中から出るのが感謝です。良いことが起こったので感謝するのも正しいのですが、平安から出なければならないのです。戦う教会を見ると、平安がないのです。自分の教会がうまくいけば聖霊の働きで、自分に不利ならばサタンの働きです。このような形で押し通すのです。私たちが本当に救われれば、この中から事業も、教会もなるようになっています。これが初代教会7つの原理です。それで宣教師大会の初めての日に本当に正しい教会を作りなさいと言いました。私たちの産業人は、いつもこの祝福の中で事業の現場を走らなければなりません。これをそのまま持って行って、世界宣教をしなければなりません。そして、このまま子孫に与えなければならないのです。それで、私たちの産業人は、必ずこの契約をとらえて、祈りが継続されなければなりません。それなら、この席に参加したのも大きい答えになるのです。こういう重要な祝福が続くことを希望します。

-要約-
<共同体と産業宣教(70) -教会中心信仰生活の7つの原理(使徒1:8) >
1.産業人の答え-教会中心
(1)創世記14:17-24 (2)出エジプト3:18-20 (3)三つの祭り、幕屋 (4)I歴代29:10-14 (5)使徒1:12-14
2.教会中心信仰生活の7つの原理
(1)力(使徒2:1-6) (2)伝道(使徒2:9-11) (3)みことば(使徒2:14-21) (4)弟子(使徒2:41-42)
(5)現場(使徒2:46-47) (6)宣教(使徒11:19-30) (7)文化-共同体(ローマ16:1-27)
3.必修前提条件
(1)使徒1:1  (2)使徒1:3  (3)使徒1:8