[2006年4月8日/産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(97) –役員の殉教精神
(使徒7:54-60)


@序論:使徒7:54節を見れば‘人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。’と言われています。ステパノは死ぬと思いながらも福音を確かに伝えました。事実は、ステパノを死刑させることなのかどうか裁判する現場です。ところで、ステパノが福音だけ話したのでなく、一段階跳び越えて話したのです。今までイスラエルが福音を受けなかった。むしろ福音を持った預言者をいつも迫害したという話をしたのです。言わば攻撃したのです。この人達がこの話しを聞いて歯ぎしりしたと言われています。だから死んだのです。これは、ステパノが覚悟したのです。55節を見れば‘しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、’と言われています。それと共に言われているのが‘天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます’と言われています。このようにステパノは殉教したのです。
* 殉教精神:ここで私たちは皆死ななければならないのではなく、聖書で話している殉教精神を記憶しなければならないのです。先に殉教という時、いくつか前提になることがあります。初代教会はほとんど100%殉教しました。
(1)価値発見:最も重要なのは、この人たちがみな殉教したのです。この福音を通して死んだら死ねる程の価値を発見したのです。
(2)神様の恵み:今日みことばを見ると、死ぬ瞬間に聖霊が充満したと言われています。簡単に話せば、神様が恐れないで死ねる恵みをくださったのです。死ぬ段階になれば表に現れます。死も恐れないだけでなく、ステパノは聖霊が充満しました。これは、神様がくださった大きい恵みです。
(3)結果:ところで一度死ぬ人間に殉教は大きい結果をもたらしました。皆さんは産業人で役員なので、聖書にある殉教精神を見なければなりません。

1.最後-開始一番重要なのは、教権を持った人は殺して迫害することが最後だと思っています。免職させれば終わりだと思うのです。しかし、これが福音を持った人には開始です。これが差です。各宗教で断食することは最高の人たちがすることですが、福音を持った人には基礎です。それで、教権を持った人々が終わらせたと思ったのですが、これが実際に開始です。
(1)迫害:迫害を通して本当に正しく始めるのです。私がどのようにすれば利益を得るかという水準ではありません。
①初代教会:この迫害の中で始まったのが初代教会です。この人達は命をかけて始めました。これは負けん気ではなくて価値を発見したのです。
②唯一性:そして、世界中で救われるべき名としては、どのような名もくださったことはないと言いました。この唯一性をペテロが話したのです。
③法:使徒8枚を見るので教権を持った人々が法を持って迫害しました。幸いに、今はこのようにできないのですが、昔の宗教人は、国家的に法を持って迫害したのです。今回も新聞にも出ていました。イスラムの人が、改宗して捕えられて死刑宣告を受けました。しかし、初めてイスラム国家法で釈放しました。これくらい、法を持って迫害すれば難しくなるのです。
④組:そして完全に迫害する組をつくって本格的に迫害したのです。その中の長がパウロでした。使徒9章の事件です。
⑤文化:使徒17章を見ると、他の宗教、他の人、他の文化を利用して迫害しました。使徒17章を見れば、ならず者を動員することもしました。
⑥宗教:また他の宗教で迫害し始めたのです。宗教が威嚇を受けるので、一つになるのではなく、迫害し始めたのです。
(2)殉教:このような時、起きたのが殉教です。ステパノは、公式的な最初の殉教者です。聖職者でない、単なる一般信徒です。
①使徒9:1-15(証人):ここに現場にいた人の中で、パウロのような人がステパノが死ぬ時にいました。言わば証人で立ったのです。
②使徒11:19:これで終わると思ったのですが、これで立てられたのがアンテオケ教会です。だから、初代教会を防げませんでした。この役員が持った殉教精神は、全てをみな得るのです。

2.勝利:死ぬと思ったのですが、完全に勝利しました。
(1)教権:初代教会の役員が持っている信仰のために完全に教権が崩れました。
(2)暗闇の文化:死ぬと思ったのですが、暗闇の文化が完全に終わるのを見たのです。
(3)サタン:結局は、ユダヤと全世界の中にあるサタンが終わったのです。それで私たちは死ぬのが問題ではないのです。殉教するのは、すばらしい祝福です。

3.祝福:皆さんが知っているように、ステパノが殉教した以後、どんなことが起きたのでしょうか?
(1)以後:ステパノが死んだ後で福音が切れることができたが、より大きい祝福が起きました。
①使徒8:1-8:ステパノが死んだ後でサマリヤの門が開きました。
②パウロ、役員:ステパノが死んだ後、大きい事件が広まっていたのですが、パウロが悔い改めたのです。そして、使徒9章を見ると、役員が弟子をすべての現場に敷いておきました。今、タラッパンが目標にしている役員です。個人的に、または私たちの教会が目標にしている役員です。こういう役員が、イスラエル全体に敷かれたのです。ステパノが死んだ後、起きたことです。
③コルネリオ:そしてコルネリオという人が戻ってきたのです。単に戻ったのではなく、完全に福音を受けて戻ってきました。
④事件:そして大きい事件がおきました。迫害の主導者であるヘロデ王が死にました。これが、ステパノ殉教以後の事件です。
(4)世界:そして本格的に今は世界を生かす宣教の門が開きました。
(5)時代:そして殉教に先に立ったパウロのような人が一時代を生かす働き人に変わりました。そして、19章、23章、27章を見れば、ローマ福音化をし始めたのです。このように、殉教精神がここまで連結しました。それでは、私たちが今、みな殉教すべきでしょうか? 今は、そのような時代ではありません。しかし、こういう精神を持っていなければならないのです。私たちは死も恐ろしくありません。私たちがどれくらいこの福音に関心があるのでしょうか? 殉教するほど、価値があるのです。この時代に、産業宣教がどれくらい重要なのでしょうか? 殉教するほど、重要なのです。
* 今日、全世界の役員と産業人は、どんな精神を持っているべきでしょうか?
(1)宗教精神:全部、宗教精神だけを持っています。これだけ持っているので、殉教精神を持つ必要がありません。多くの宗教の中で、キリスト教を選択したんのですが、これのために死ぬ理由がないのです。今日、多元論を主張する人々の立場で見れば、福音のために死ぬ必要がありません。すべての宗教が同じならば、あえて教会が必要ありません。すべての宗教が同じならば、仏教に行けば良いのに、あえて死ぬ必要がないということです。そして、すべての宗教が同じならば、宣教に出て行く必要がありません。だから、怖い結果を産むのです。
(2)教権精神:全部、教権精神に変わります。殉教精神がなくなって、教権精神に変わるのです。だから、はなはだしきは、統合側はこの戦いを継続しています。長老が私たちも総会葬をさせてくれと話すのです。それで、ひどい戦いが始まっています。
(3)御利益信仰:それと共に変わるのが、信仰というものが、祝福を受けるための御利益信仰に行くのです。祝福を受けることができなくなります。今、時代時代ごとに福音がどれくらい重要なのかというと、殉教するほど重要です。それで、タラッパンの産業人の最も大きい使命は、殉教精神に変えることです。単純に、祝福を受けるために信仰生活するのではありません。そして、教権を守る信仰生活ではありません。私たちが死んでもかまわないほど、価値があるのです。これが事実ならば、ならないことがありません。
▲命:私たちは本当に命をかけられれば良いのに、私たちはしません。全部、命をかけようとする言葉でなく、それだけ価値があるという言葉です。世の中で一番怖い人が、命をかける人です。命をかけるということは、全てのものをみなできるということです。考えてみてください。神様がアブラハムに息子を捧げろと言われることも、重要なものをささげなさいということです。みんながこの程度に、信仰生活をしなければならないのです。私は、私が見る時、そのように信仰生活する人の中に、時代的な答えを受けない人を見たことはありません。本当に福音のために命をかける価値があります。そうすれば、今日、起きる問題はみななくなります。教団のなかで教会が戦うのは、宗教、教権、御利益信仰であるためです。ここで怖いのは、これのためにサタンが働いて全体が崩れるのです。私たちは、教会、働きがとても重要だということを分かります。命をかけられる程、重要です。聖書に見れば、全部、この信仰を持った人が世界を変化させたのです。今が死ぬ時代なのでしょうか? もし、私たちが死ぬ時代がくれば死ななければならないでしょう。しかし、今はこの時代ではありません。しかし、私たちはこの働きが重要だということを、役員が本当に感じられなければならないのです。私が見る時は、皆さんの最高の祈りの課題が‘いのち’でなければなりません。本当に私の命をかけるほど、価値がなければならないのです。私たちの教会が、私の命をかけるほど、価値があるのでしょうか? 私が長老になったのですが、命をかける価値があるのでしょうか? 私は牧師、宣教師で動くのに、命をかける価値があるのでしょうか? それでは、命をかけないでも、そのなかですべての方法と考えが違います。最も重要なのは、皆さんの考えと答えが変わるのです。価値あることを発見したためです。私たちの産業人と役員が発見しなければならない信仰です。神様が韓国教会を用いられる理由があります。とても危機がきた時、命をかける人が出てきたのです。それで、いつでも教権精神は後ほど行けば崩れるのです。しかし、変なことが行われて、韓国が日本の植民地になりました。それで、サタンの戦略は同じです。目を開いて見れば、サタンの戦略はいつも同じです。エジプト、ローマ、バビロンのような戦略を使ったのです。偶像を作って仕えるようにしました。権力を作るようにするので、すばらしい力があります。同じことが行われました。日本が全国と韓国に神社を作って拝むようにしたのです。本人は御利益信仰でしたのですが、その後にすごいサタンの戦略がついてきました。これを日本人と韓国の人は知りません。これは、霊的な目を開いた人だけ分かるのです。もちろん、神社参拝を反対した人には、教権、宗教精神で反対した人がいます。小学校の子どもたちにさえ、お辞儀をさせました。後には教会にもしろと出てきたのです。だから、普段の時、偶像崇拝するなという人は拒否したのです。私個人の考えですが、この人たちが果たしてサタンというものを知って反対したのでしょうか? 分かろうが知らなくても、明らかなのは神様が勝つ力を与えられたのです。教権が強いように見られるのですが、どれだけ力がないかというと、全体の雰囲気を見ると日本の雰囲気です。そして、静かに見ると、このようにすれば、とても自分に利益がきそうだったのです。最も反対になる言葉は、このようにすればとても損しそうだったのです。御利益信仰でしたのです。だから、途方もないサタンの隠された戦略を知らないのです。だから、総会で決議しました。日本の神社にお辞儀をするのは、偶像崇拝ではない。私たちが先に生きてこそ、福音を伝えられ、後ほど日本を生かすことではないのか? 神様が国家法も認定する。今は私たちが日本に属しているので、日本の話を聞かなければならない。教権を利用して作業をしたのです。そのような人々が集まって作業をしました。日本神社を崇拝しよう。それで、総会で決議したのでした。こういう怖いことが迫ってきたのです。それで、教権が強いように見られるのですが、何でもありません。私は、教権が怖くならないのが、私たちのタラッパンが大きくなって、文化征服をすれば、皆入ってくるようになっているからです。世界の歴史を見れば、そのようにして入ってきたところで、一度も悔い改めしたことがありません。命が教権なので、一度したことは解かないのです。解くこと自体が、降参だと思うのです。自分が決めて解くのを負けたと考えるのです。それで、終わるのではなく、真理を持った人がどんどん大きくなれば、自分たちが負けたと考えるので、真理と関係なく押すのです。これがサタンの戦略です。それでも、ある日見れば、大きさに計算してみて、だめだと思うのです。プロテスタントがある日、大きくなって米国を動かす経済力もできました。その時になって、降参して入ってきたのです。これが教権です。完全にサタンの戦略です。こういう目を持った指導者がいません。それで、総会で法で、日本神社にお辞儀をしてもかまわないと言ったのです。その総会で司会をした人がホン・テクキという人です。その方が通過させたのです。どのように通過したかというと、日本神社参拝は、偶像崇拝でなく国家儀式だといって同意と提案を受けました。それで、司会者は必ず尋ねなければならないことがあります。同意と提案が入ってくれば、同意するならは「はい」と、そうでなければ違うと必ず尋ねなければなりません。しかし、この人が同意するならば「はい」と言いなさいとしながら‘そうでなければ違います’と言いなさいという言葉は尋ねないで決定してしまったのです。そして通過したと槌を打ったのです。その中で真理を持った人々が、じっとしていないでその中である人が‘反対です’と手をあげたのです。記録に見ると‘反対です’と言った人が誰かというと、一部では宣教師でした。その人の英語の名前がブルース・ハンターです。この人が‘反対です’と言ったので、警察が捕まえていきました。そして、神社参拝が通過したので、今日、会議を終えればすべての会員は神社にお辞儀をして行けと言ったのです。そのリーダーが誰かというと、釜山でナンソンという学校を作った金キルチャン牧師です。すると反対者が立ち上がったのです。しかし、ごく少数でした。その中に命をかけて出てきた反対者がいたのです。その中の代表者がチュ・キチョル牧師です。彼は命をかけたのです。一死覚悟の原理を出したのです。私たちが2度、3度死ぬのか?一度死ぬ。だから嘘をついて死んでも良いか? このようにするので、当然、日本ではチュ・キチョル牧師を捕まえて行きました。問題は役員です。大多数の役員が教権について行きました。総会で通過したので、なったことだということです。その中で堂会院の中の1人も真理を持った人がいなかったのです。もちろん、先輩が宗教を教えたためです。その中でチュ・キチョル牧師を愛する人は、残念なのですが、一言も言えない雰囲気でした。そのようにして、堂会でチュ・キチョル牧師を免職させたのです。今日から私たちの教会堂会長ではないということです。これで終わるのではありません。教権は怖いのです。総会決議に反対したので除名させました。こういう怖いことが行われました。その中で真理を持った人がいました。一部では、宣教師が捕えられるのに、その場に一部では宣教師のお父さんがいたのです。自分たちどうしで、一人の宣教師が捕えられるのに、英語で簡単に妥協しないでくれと言ったのです。お父さんが言った言葉です。そして、チュ・キチョル牧師の夫人が面会しに行って、夫に恐れないでくださいと言ったのです。死んでもかまわないと言いました。私たちがどのように、偶像の前にお辞儀をできるか? そのような力がある人がいます。ソン・ヤンウォン牧師もいました。この時、役員だけ立ち上がってもかまわないのに、役員がじっとしていたのです。初代教会は教役者がみな捕えられて死んだ時、役員が起きたのです。だから、ソン牧師の奥さんが子どもたちがとても腹がへるので変装してご飯をもらいに通ったのでした。その時、夜に政治をする牧師が訪ねてきたのです。本来、教団に政治犯がいます。学校に通う時、勉強もよくできずに、行ったり来たりする人々がいます。彼らが政治をする人になるのです。釜山の人々は分かるでしょう。私を触った人々が、私の同期です。学校に通う時、勉強もしませんでした。私たちが心配したのです。牧師になれば大変だというほどでした。彼らが牧師になるので、時代を揺さぶったのです。教会は時代を振り回しやすいのです。政治屋が訪ねてきて、ソン・ヤンウォン牧師の奥さんにお金を与えました。このお金で子どもたちにご飯を買えということでした。それと共におもしろい話をしました。私たちが神社に行ってお辞儀をするのに、その後にキリストが現れた。これは神様のみこころだ。それと共に、子どもたちがお腹がへるので、子どもたちにご飯を買いなさいと言ったのです。ソン牧師の奥さんが、その封筒で牧師のほおを殴ったということです。そして、牧師という言葉も使わずに、あなただけでもよく食べて生きなさいと言ったのです。そのような人がいて、韓国教会が維持されました。その中で、裁判して出てくるソン牧師に、解放する人が神社は多いから、1ケ所にだけ行って神社にお辞儀をして行けと言ったのです。本当の話のような冗談を言ったのです。すると、ソン牧師が私は出て行かないで、ここにいるとまた入ったのでした。このようにして、韓国教会は成長したのです。その後に、神様が韓国教会をものすごく祝福されました。今は宣教と福音の主導権を握る程福を与えられたのです。どれくらい福音が重要なのか、答えが出てくるでしょう。そして、今、死ぬことはないのですが、この程度に重要だということを知って信仰生活をしましょう。
* 民主化:それで、皆さんが最後に記憶することは、すべての総会と違った団体が、なぜ今、伝道運動にならないかを分からなければなりません。福音も福音ですが、制度にも問題があります。今まで一番良い方法である民主化を使っているのです。しかし、いつでも教会は2つのことがなければなりません。
* 弟子化:弟子化です。そして、参考にすることは、民主化になる時、一緒に話合いをして決めるのが重要です。しかし、問題はその後です。それで、弟子化が重要です。弟子は選挙するのではありません。民主化は選挙をします。聖書にはくじも引きました。しかし、弟子化ということは、とても重要です。皆さんが参考にすることは18世紀を越えてきながら、20世紀に福音運動が起きました。幸いに、20世紀に宣教団体が起きて、弟子化になったのです。それで、私は個人的に20世紀最高の牧師は金ジュンゴン牧師だと自負するのが弟子化運動です。20世紀にきて、宣教団体運動が活発になったのです。しかし、宣教団体は、相談しません。命令が下れば終わりです。フィリピンに行けといえば理由がありません。私と一緒にいた働き人一人が宣教師に出て行きながらこういう話をしました。職場を止めて宣教師で行くので、どこへ行くのか尋ねました。しかし、衝撃的な話をしたのです。それを私がどのように分かりますか? と言うのです。3日後に金牧師が面談して行けという所に行ったのです。行ってきて報告するのにフィリピンに行くようになったということでした。面談でフィリピンに行けと言われたということです。その話の中に全てが入っています。宣教費も自分が処理しなければなりません。それがC.C.Cの方針です。いくら入るのか話もしなくて、自分たち自ら作り出すのです。当然だと思います。これに勝てるでしょうか? 選挙して、総会で派遣して、お金をみな出すその人が勝つでしょうか? 年月が経ちながら負けるのです。幸いに、完全福音なのかは分からないのですが、ネビゲイト、CCC、UBFに弟子が立ったのです。もちろん、これも弱点があります。
* 総会(Local),協会(Para),21世紀,常任委員会:それで祈りながら考えたのが、民主化も必要だということです。それが総会、老会です。ところで危険なのは、偶像も決められるのです。これが弱点です。全く検証できない人も投票して決められるのです。これが弱点です。とても民主化されるのが総会です。それで、協会を作ったのです。総会と協会が一緒に行かなければなりません。それでこそ、韓国教会とタラッパンがほろびないのです。これが私には時代的な祈りの課題です。それで、私たちは総会、教会があって協会が別にあるのです。それでは、産業宣教はどこに属しているのでしょうか? 産業宣教は、この2種類を理解しなければなりません。皆さんが教会に行って役員が働きをする時、この2種類を理解できなくてはいけません。英語で総会をlocalで協会はparaと言います。localは私の教会、私の場所だけ見るのですが、paraは全体を見るのです。それで、時代的にこの2つが連合して行ったことが一度ありました。それが初代教会です。総会を率いた人はペテロで、弟子運動を率いたのがパウロです。この二人が一つに率いて行ったのです。だから、世界福音化が急速に起きたのです。これをタラッパンがするのです。それで、少し間用語に問題がきたのですが、この2つを一緒に行くようにさせようというのが21世紀です。ところで、してみると、どんな問題がくるかというと、21世紀のメンバーが苦労をするのに、総会と協会が付いてこないのです。それで、この頃になって祈る中に、21世紀は宣教フィールドに入れと言ったのです。そして、総会は教会、協会は弟子訓練を管理するようにしたのです。そして、この三つを私たちが共に直接関わるために作ったのが常任委員会です。例えば、皆さんが自律的に仕事をしなければなりません。しかし、皆さんが投票をして意見を集めれば、タラッパンが流れと関係なく、他に行くのです。それで、可能ならば常任委員会は全体を見て指示もして、任命もするようにしたのです。自分の個人的に動く秘書も、ここに報告をして動くのです。皆さんが困難があれば活用すれば良いでしょう。フィールドに専門性を持たなければならないから、21世紀はフィールドに専門性を持ちましょう。協会は訓練に、総会は教会管理に専門性をおけということです。この三つが良く行けるように、常任委員会は祈るのです。それならこのサタンの戦略を見ながら、産業宣教は参考にしなければなりません。皆さんの教会も全体を見ていくべきです。格別なことではない話に見えるでしょうが、とても重要なのです。一言で、私たちのタラッパンは改革です。その単語を理解しなければなりません。今回、産業宣教集会メッセージ3つは重要なのです。改革です。本来のことを取り戻さなければなりません。それなら、この祝福の中に入った皆さんと事業はどうなるのでしょうか? この祝福の中に入った個人と教会はどうなるのでしょうか? 質問する必要がありません。当然、皆さんは答えを受けるようになっています。この祝福を子孫代々味わうことを希望します。


-要約-
<共同体と産業宣教(97) –役員の殉教精神(使徒7:54-60) >
1.福音の真の開始-教権の最後の戦略が福音の開始だ。
(1)迫害
①使徒1:12-14②使徒4:1-12③使徒8:1-3④使徒9:1-15⑤使徒17:1-9⑥使徒19:8-21
(2)殉教(使徒7:54-60)
①使徒9:1-15②使徒11:19
2.役員の殉教精神は全てのものに勝ちました。
(1)教権
(2)暗闇文化
(3)サタン
3.殉教すれば時代的祝福が現れます。
(1)使徒7:54-60以後
①使徒8:1-8②使徒9:1-15,使徒9:16-43③使徒10:1-45④使徒11:19⑤使徒12:1-25
(2)世界的人物(使徒13:1-3)
(3)時代的人物