[2006年5月27日/産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(104) -世々にわたって長い間備えられた産業人
(ローマ16:25-27)


@序論:ローマ16:25節を見れば‘私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが’と言われています。このみことばをもう一度見なければなりません。私たちが救われたのと、伝道するのは世々にわたって長い間、準備されたことだということです。‘今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。’今年はレムナント大会に皆さんの多くの祈りが必要です。普通5-6千名が集まったのですが、今年は1万人が集まるということです。現在、登録された人員がそうなっています。そして、各国ごとにレムナントが活発に起きています。訓練と違った分野にも、多くの復興が起きています。当然でしょう。しかし、レムナントが緊急に起きているので、私たちが祈りで準備しなければなりません。神様の計画が明らかなので、私たちのタラッパンがずっと復興する中で、私たちが覚えておかなければならないことがあります。なぜなら、世々にわたって長い間、準備されたからです。ところで、個人的に見ればうまくできない人が70%です。全体的にはうまくいくのに、個人的にだめな人が70%ということです。ある面では、信仰生活が福音で根をおろす過程でだめなのです。うまくできないと考えられる人は、三つをいつでも考えなければなりません。
(1)聖霊充満(答え):神様が準備されたことなので、聖霊充満だけ受ければ良いのです。米国の教会から、本部に手紙を送りました。職分者をたてる過程で、地域教会をたてるのに問題が出たようです。それも内容上では、何の問題もありません。とても緊急に動機を持ったりするから、聖霊充満にならないのです。私たちの問題は、ほとんどこれのためです。聖霊の導きを受ければ良いのに、受けないので問題が出るのです。聖霊の導きを受ければ、必ず答えがきます。牧師や、特に役員は必ず記憶しなければなりません。パウロは聖霊の導きを受けるためにあがきました。365回も心配せずに、思い煩ってはならないと言われました。ところで、Ⅱコリント7:10節は憂い(悲しんでも)良いと言われています。私がどのようにすれば聖霊の導きを受けるのかに対しては、憂いをしてもかまわないのです。特に牧師と宣教師は、聖霊の導きを確かに受けなければなりません。指導者が受けられなければ、そばの人々が大変なのです。誰でもみな失敗するのですが、聖霊の導きを受けるために、あがきをしなければなりません。パウロは、ある時は断食までしました。すばらしい門が開かれたのです。また答えがきたのですが、パウロは聖霊の導きを受けたのです。エペソに大きいみわざが起きたのに、それを感謝することより、ローマも見なければならない。そして、私たちは二番目ことを銘記しなければなりません。
(2)ローマ16:25-27(弟子):多くの仕事をするのですが、必ず念頭に置かなければならないことが、ローマ16:25-27節です。この話は、伝道して私たちがする世界福音化というものは、神様が備えておかれたものなのです。私たちは、これについて動くので、どのようなことでも弟子に合わせられるのです。韓国教会のお知らせを見れば、文句が弟子養育に支障になることが多いのです。時間が過ぎれば崩れるのが多いのです。これはどこでも適用できます。軍牧がこれを知らなければ、軍隊で仕事だけ作るのです。この言葉が分かれば、ほとんど気をおとして失望することがありません。序論であるためです。本論は弟子です。本来、私たちがしようとすることは、弟子を探すことです。それで、牧師、一般信徒、すべてのことに序論と本論があるのです。時間が経つほど、動機をなくして、ただキリストだけ残るようにするのが結論です。こうすれば、絶対に危険ではありません。この答えを持った信徒が一人ずつ集まれば、教会が強固になるのです。ここに迫害を加えれば、さらに固くなるのです。それで、ローマで迫害を加えた時、序論で離れて行ったので、弟子ではありません。いつも記憶しなければなりません。
(3)方法(唯一):そのような中に三番目のことは応用をしなければなりません。本当に神様が私たちに、私に、願われることは何でしょうか? 浮き立たずに謙そんと事実的に発見しなければなりません。それで、いつも答えがくるのです。ここで、多くの人が失敗をするのです。浮き立たずに、変にせずに、謙そんと事実的に発見すれば良いのです。初期の頃、ある牧師が本を二冊出しました。伝道に関する本を出したのです。伝道に関する本を前後二冊で出したのですが、私たちのタラッパンに関するメッセージをそのまましたのです。私はそれを発見できなかったのですが、動作がはやいカン・ホイン牧師が発見したのです。当然、電話をしたということです。なぜ他人のものをそのまま使ったのか? 法的に対応すると言ったのです。だから、この牧師が集会場所に本を2冊持って訪ねてきました。涙を流しながら間違っていたと許しを乞いました。自分の判断で告発すれば、大変なことになると判断したようでした。それで私が言いました。大丈夫だと言いました。私のものではなく、聖書にあることです。私は聖書にあるのを発見したので、作ったのではありません。ただ、この内容を初めて話しただけであって、本来あることです。大丈夫だから売りなさいと言いました。そして、必要ならば本部と話して本部で販売しなさいと言いました。私は2つのことを思いました。これは確かに聖書にあることであって、私たちのものではありません。もう一つは、聖霊の導きを知らない人が作った本はだめだということです。その方は3つのことをみな知らないのです。聖霊の導きを知らずに、神様の真の目的と、それにともなう方法を知らないのです。それで、純粋な動機で私が見る時はそうでした。伝道する前に、教会の中をよく見てみたら、ほとんど福音を知らないのでした。最も活発でなければならない青年、大学生が、伝道を難しいと思って、福音を知らないのです。それでは、福音と伝道を分かるように説明しなければならないのです。それが神様が喜ばれることです。そして、必要ならば、牧師と他の国に話すのです。この3つの中で、どれが重要なのかすれば区分できないほどです。可能ならば、唯一なことであるほど良いということです。この話は孤立せよということでなく、他の人がみなすることを、あえて私たちがする必要がないということです。他の人がよくしていることをする必要があるのではなく、福音運動にならなくなっているので、私たちがするということです。全く難しくないのが、一般教会の牧師が集まってみると、ほとんど伝道を知らないのです。そのまま説明するのです。さらに恐ろしいのは、現場に行けば、以前に教会に通ったが、通わないという人が多くいます。難しい、やさしいではなく、福音を知らないのです。実際、霊的な問題が来ている人が多いのです。それに対して話すので衝撃を受けるのです。これがみな私の問題と言うのです。それでは、イエスを伝えるのがどれくらいやさしいでしょうか? イエスを信じれば良いのです。神様がこの問題を解決するためにイエス様を送られました。この問題を解決するために、神様がイエス様を送られたのです。その人がわかるので、じっとしているのではなく、核爆弾が爆発するように伝えるのです。この3つのことを知らなければ、答えを受けても、とんでもない動機で集まるのです。私はいつも心配するのが、それのために困難にあったのです。タラッパンがなるので、隣の教会で内容を知らずにタラッパンをするのです。チームの働きが出てくるので、お互い区別することがなく外国でも開かれるのです。私がさせたのではなく、いつも止めることをしていました。今まで働いたのではなく、止めさせることをしたのです。すべての人が走るのに、走らないように止めさせることをするのです。聖霊の導きを受けないで走れば、止めさせるのです。隠された弟子でなく、目に見えることをするので、神様の計画より動機だけ持って走るので残念なのです。この3つがが集まれば、三位一体になってだめになっているのです。失敗の三位一体です。熱心と、目に見えることと、動機を持ったりするからだめなのです。事業もそのようにすれば、成功できません。米国が先んじる理由を米国に行ってみて分かりました。例をあげれば、自動車の販売をするようになれば、加入をさせます。そして、米国の人は全体が一緒に儲けられるようにするのです。ところで、加入もしなくて、むちゃくちゃに走る人が韓国の人です。最初はなるようでも、後ほどにはだめなのです。必修です。これはさっと見れば、あらわれるように見られないでも、とても重要なのです。少し高慢な話をしようとするなら、私たちのタラッパンは、ここに対する専門性を持っています。あえて必ず話すべきではない言葉ですが、私に長所が一つあるならば、私はこの部分に対する専門性があるのです。違う方々は力が多くても、私は力がないから聖霊の導きのとおりするのです。他の教団は力が多くて、聖霊の導きを受けないでもかまわないのですが、私たちは受けなければなりません。合同側でもこうする方々は、教団が大きいから、彼らは力を合わせれば良いのですが、私たちは聖霊の導きを受けなければなりません。それで、事業、教会、個人生活も聖霊の導きを受けなければなりません。そのようにすれば間違いありません。なぜそうでしょうか? 私たちが作ったことではないためです。神様がすでに世々にわたって長い間、準備されたということです。このみことばに同意したら、前で申し上げたようにしなければなりません。もし事実でない場合、前に言った通りにしてはいけなくて、今するというまましなければなりません。これが事実でなければ、今することが正しいのです。むちゃくちゃに走れば良いのです。目に見えるまま、食べなければなりません。前に話しまいた。山東省で1人が金塊を盗んで逃げたのです。市場の真ん中でです。あまりにもあきれて警察が悪口を言ったのです。金の塊りを盗み出すのか?市場で逃げれば捕えられないか?おかしな人だ。その時、泥棒が話しました。相場を見た瞬間、金だけ見えて、何も見えなかったということです。これが動機です。私たちも良くするようでも、他のものが見られないのです。信仰生活の開始と終わりは、動機を変えることです。動機を変える人の代表者がパウロです。もちろん、答えがたくさんくるので感謝しました。パウロはこれがちりあくたに過ぎないと言いました。パウロは、これよりさらに感謝することがあると言いました。それは、私たちが福音を持ったということです。ところで、それよりさらに感謝することは、永遠な世界を置いて福音のために私たちが苦難を受けるようになったということです。途方もない未来と希望をおいて、私たちが苦難を受けるようになったということです。とても感謝する。その感謝という単語が理解できるでしょうか? 私たちのように、良い車に乗って通いながら感謝したのではありません。パウロは四角のベッドに横になって感謝すると言ったのではありません。その悪いユダヤ人によって、足にかせをはめ、手に手錠をかけられて感謝したのです。完全、福音的な動機に変えたのです。これだけなれば、すばらしい答えが開くのです。私は他の賛美歌がみな‘アーメン’にできるのですが、一つできません。‘山や谷にも福音を持って行ってきましょう’こういう歌詞があります。昔、田舎で1ケ月いたのですが、いることができませんでした。青年たちと島に行ったのですが、島でドライヤーをつけていたら、おばさんがドアをさっと開くのです。そして、なぜドライヤーをするのかと言うのです。だめなのですか?だから、なぜ許可もなしでするのかと言うのです。電気コードがあるのに、許可を受けるべきなのですか? と言ったら、許可を受けるべきだとドアを閉めるのです。しまったと思いました。この地域にいる牧師は、とても苦労するでしょう。これが島の水準です。島の人々は電気をさせば、お金が必要なので、使わないということです。山や谷や、田舎にも私は行けないですと言いました。それで、私は神様に田舎に送ってくださいという祈りはしません。また、私たちに合わない賛美があります。‘尊貴、栄光、すべての権威は、主だけが受けて、蔑視、過小評価、十字架は私が負って行ってきましょう’どのように、蔑視、過小評価、十字架を背負って行くのでしょうか?少しだけ気分が悪いことが起こっても、問題が生ずるのです。他の見方をすれば、上で申し上げたようになれば、信仰生活がやさしいのです。少し牧会で話すと、このようになれば牧会もやさしいのです。問題がある人がいれば、序論の人生です。その人が序論の人生ではなくても、事件自体が序論です。それでは、確かに神様は世々にわたって長い間に準備されたことがあるということです。通り過ぎれば良いのです。そのまま通り過ぎるのではなく、本論があるためです。私たちが少しすることが一つあるならば序論です。すべての栄光は主だけが受けて下さい‘私’でなく、キリスト中心です。私たちの教会でなく、キリスト中心です。結論が出てくるのです。しかし、もし福音がないならば序論で引っかかるのです。本論が出てきても、見られないのです。なぜなら、見えればさらに問題になるのです。それで、私たちは産業宣教がうまくいく役員が集まったので、必ず答えを受けられる機会であることは、2人が集まっても答えになります。千人が集まっても聖霊の導きを受けられなければ、後ほど問題がくるのです。

1.世々にわたって:神様が世々にわたって長い間、準備されたことは何でしょうか? 3つのことです。
(1)福音(ローマ16:25):福音を準備されました。
(2)救われる者:そして、福音だけでなく、救われる者を準備されました。
(3)救う伝道者:ローマ16章に伝道する人を準備されました。そして、今日見ると、伝道する産業人を準備されたのです。間違いない事実です。救う伝道者です。この三つを神様は世々に渡って長い間、準備されたということです。皆さん以前に、アダムと人以前に、サタンが存在していたということを分からなければなりません。皆さんの子どもが行く所に危険があるならば、両親は確かにあらかじめ準備して行くのです。危険に陥りなさいということでなく、陥ることをあらかじめ準備して行くということです。

2.3つのことを探すべき:それなら、私たちは3つのことを探さなければなりません。隠されたものを探さなければならないのです。確かに隠されています。
(1)子ども:それでは、隠された神様の子どもを探さなければなりません。これを探すのです。
(2)経済:それで、このことができるように神様は確かに隠された経済の祝福が別にあるのです。
(3)産業人-運動:隠された産業人、皆さんのような人を通してこの福音運動をするために準備しておかれたのです。

3.ローマ16:25-27:ローマ16:25-27節を見れば3つの運動をするのです。隠されたということは、何の話なのでしょうか? 奥義ということです。公開されたことは奥義ではありません。奥義ということは、特別な人だけ分かるようにすることです。神様が願う人だけ分かるようにするのです。この奥義の形が
(1)世々にわたって長い間の奥義:世々にわたって長い間の奥義で、
(2)隠された奥義:隠された奥義だということです。
(3)啓示-奥義:福音を持った者に啓示する啓示された奥義というものです。私が分かることでは、少しだけ皆さんがしても答えを受けます。牧師に一番難しいことは何でしょうか? 他の方は分からないでしょうが、私にはそうです。私は確かにだめなので、だめだと話すことが難しいのです。牧師は、その時が一番大変です。信徒がなるのを言えばうれしいのですが、だめなことを継続する人がいます。この時が大変なのです。行ってならないことなのに、祈ってくださいと言われたら、一番大変です。それで、あらまし祈ってくるのです。一番たくさん読む聖書が‘開始は弱い後ほどには大きくなる’と言ってきます。釜山の事務室を作るのに信徒にさせてみたら、とてもだめだったのです。それで、仕事をするのを中間で中止させたのです。私は大丈夫ですが、その人が外に出て行って、どのようにご飯を食べて生きるのか心配になりました。紅海の奇跡が別にあるのではなく、これが奇跡です。それで、他の事件を見ながら、聖霊の導きを正しく受けられなければ、大変な人をとてもたくさん見たのです。そして、事実的でない人がとても多いのです。それで、先週に話しました。とても福音的でも、個人的にイエスを信じる人を嫌う人が多いのです。それは失敗をするからではなく、序論がだめだから失敗が出てくるのです。もう私たちが答えを受けられなければ、約束を守れないで、弁解をしていれば、社会的に失敗するのです。それで失敗がどんどんくるのです。私たちは少しだけすれば良いのです。私たちは、多くのことをしなくても、少しだけ契約をつかんでも、多くの答えを受けます。極端な例を一つだけあげてみましょう。とても貧しくて、小学校も出なかった人がいます。それも、米国での話です。それでは、どれくらい貧しいでしょうか? それでは、自分ができるのが何でしょうか? 人の家のお手伝いをすることです。しかし、お手伝いをどれくらい上手にしたかというと、主人がこの人に安心して店を任せるほど上手だったのです。主人が見ると、イエスを信じる人でした。それで、主人の心にイエスを信じる人はすごいという気がするのです。ある日、お客さんが1人きて、お金を渡したのですが、とても新しいお金だったのでくっついていて、より多く出して行ったのです。泥棒もいるのに、追いかけてお金の主人を探して渡したのです。何ドルにもならないお金だったのですが、主人が見た時、感動したのです。それで、この社長が、大きいものを作る時、この人を呼んで任せたら、うまくいくのでした。そうするうちに、一個を完全に与えたのです。だから、とても多く復興をさせました。その一個で、米国全域を復興させたのです。今ではないのですが、その時代に合うことが行われたのです。米国全域でデパートを作ったのです。ある日、大統領がきて、長官をしてくださいと言ったのです。その人は、勉強を正しくできない人です。長官になったのですが、要求事項が一つありました。話にもならないことだったのですが、この方の要求事項でした。大統領がしろといえば長官をするのに、一つはだめだと言いました。いくら国家に急な仕事ができても、私は聖日には行けません。その理由は、私達の子どもたちを聖日に教えるから、絶対にできないと言ったのです。それで、長官もして、教会学校の教師も継続したのでした。皆さんは誰なのか分かるでしょうか? だから、私たちが神様の祝福を受けるということは難しいことではありません。皆さんのために、世々にわたって長い間、準備されたのです。だめなのは、他のことではなく、世々にわたって長い間、準備したことでない、主と特別関係がない他のことをするためです。皆さんは、神様が世々にわたって長い間、準備された人です。この祝福を必ず受けることを希望します。すでに来ています。味わいさえすればよいのです。神様の祝福があふれ出ることを希望します。

-要約-
<共同体と産業宣教(104) –世々にわたって長い間備えられた産業人(ローマ16:25-27) >
1.神様が世々にわたって長い間、準備されたこと
(1)福音(ローマ16:25)
①創世記1:3  ②創世記3:15  ③創世記6:14  ④出エジプト3:18
⑤イザヤ7:14  ⑥マタイ16:16
(2)救われる者
①ヨハネ3:16  ②使徒8:26-40  ③使徒9:1-43
(3)福音の影響を与える産業人る(ローマ16:1-27)
2.3つを探そう
(1)隠された神様の子ども
(2)備えておかれた経済の祝福
(3)産業人を通して準備しておかれた福音運動
①教会復興  ②伝道運動  ③宣教運動
3.ローマ16:25-27
(1)世々にわたって長い間、備えられた奥義
(2)隠された奥義
(3)福音を持った者に啓示する奥義