[ 2006年12月23日/産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(133) -改革の主役(22):産業人の小さい実践
(ローマ16:1-4)


@序論
(1)みことば:ローマ16:2,4節を見れば、少し伝道運動をしたのに、こういう大きい結果が出てきました。皆さんが時々見れば心に残るメッセージがあるでしょう。ひょっとして恵みを受けたとか、集会に参加して恵みを受けることもあるでしょう。それが心に少し残ったとすれば、すばらしい働きを起こします。多分、皆さんがタラッパンに来られて最も強く感じたのがキリストでしょう。それはとても小さいように見えても、大きい実を結ぶようになるのです。もし皆さんが毎週、講壇から聞くメッセージが皆さんの胸に残ったとすれば、すばらしいことを起こすようになります。
(2)フォーラム:このみことばを持って少しだけフォーラムすれば、大きい答えがきます。問題は、私たちが説教をみな記憶できないのです。説教をした人も、先週に何の説教をしたのか完全にみな記憶はできません。説教を聞く人は、さらにそうでしょう。ここにとても簡単な方法があります。皆さんが必ずこのようにしてみるように願います。聖日ごとに説教を聞く時、どのようにするのが最も良いのでしょうか。
(3)実践:小さい実践する部分を探すのです。それではみことばを完全に忘れてしまってもかまいません。私がメッセージを聞きながら「あの部分は私が実践しなければならない」となれば、そのメッセージが完全に適用されるのです。最もやさしい例は、私たちの近くにあります。ある執事が、メッセージを聞くのに自分は世界福音化と全く関係なく生きていたということです。多分、説教を聞きながら恵みを受けたようでした。牧師先生が、今、世界福音化を説明するのに、自分は何かと思ったのです。世界福音化が自分と全く関係がなかったのです。牧師先生の説教が、自分とは全く関係がありませんでした。それでは、イエス様が最後に命令された世界福音化は全く関係ないのではないか。ところで、この方がメッセージを聞きながら、こう考えたのです。「私の周囲には親戚も多くて、友人も多いが、私は福音を一度も伝えたことがないではないか」この部分がかなり重要です。それで、家に帰ってきて電話をしたのです。自分の親戚に普段には電話をそれほどしないのに、電話をしたのです。もちろん、自分の心では、福音を伝えるべきだという心でしたのです。親戚が電話を受けて泣いたということです。どれくらい霊的問題で苦しめられたら、普段の時は、そのような人ではないのですが、電話を受けて泣いたということです。どのように知って電話をしたのかと尋ねたということです。その家庭、その家族が完全に生かされました。これくらい大きいのです。私がある日、このように考えました。私は副教役者であったので、献金に対する考えを一度もしたことがなかったのです。当然しないと思っていました。副教役者が何でお金があるでしょうか。私が今、勉強して生活することも忙しかったのです。もちろん、謝礼が出てくれば十分の一献金をしたのですが、その他は考えてみたことがありませんでした。ところで、ある日、私が考えるようになったのです。私ととても近い、本当に宣教する人が宣教に出て行くようになったのです。その時、私があの人をどのように助けるべきかと考えるようになりました。私がイエスを信じて何十年ぶりに初めてそのように考えたのです。私たちはこのように愚かです。一度も考えてみたことがないのです。私と親しい人が行くようになるから、その時だけ考えるようになったのです。考えたら、少し力ができました。その部分を助けるようになって、祈るようになったのです。これがタラッパン伝道運動の経済祝福まで連結しました。これ一つがとても重要なのです。それでメッセージを聞く時ごとに、小さい実践する部分を考えるのが、みことばが最もはやく適用される方法です。ある日、私が学生たちを引き受けて伝道師をするようになりました。幼年聖日学校を引き受けた時は知らなかったのですが、中高生を引き受けるようになったのです。メッセージを考えながら中高生を訪ねて行きました。訪ねて行ったら、釜山市内にある中高等学校はほとんどみな訪ねて行くようになったのです。中高等学校を通して多くの弟子を捜し出しました。それは極めて小さいことです。ところで、これが今は世界福音化と連結しているのです。ひょっとして、私の錯覚であることもあるのですが、学校をそのように通っても伝道をしに神学校に行く伝道師はひとりもいませんでした。私たちが信仰生活をするのは難しいことではありません。

1.大きい計画-実践
特に私たちの産業人がメッセージを受ける方法です。なぜ小さい実践という言葉を使ったのでしょうか。私たちが少しだけ実践しても、みわざが起きるためです。世的な言葉で、私が少し行って子どもたちを訪ねて行ったのが、世的な言葉で運命まで変えてしまったのです。それで、私たちには大きい計画もなくてはならないのですが、それよりさらに重要なのが小さい実践です。これがなぜ重要かというと、神様の導きを受ける方法であるためです。私たちが神様の導きを受けたら、みな受けることです。ここで3つのことを参考にしなければなりません。
(1)導き:神様の導きを受ける方法
①客観性:私たちが実践する時、客観性がなければなりません。ある人は、客観性が全くないのに、どんどん実践するから問題になるのです。例えば、私たちがとても客観性なしで行動をすれば、誰も話しはしないのですが、断絶されるのです。
②主観性:それで客観性の中で私がしなければならない主観性が出てくるのです。
③専門性:これを継続するならば、この中で専門性が出てくるのです。小さい実践がここまでくるのです。
(2)3つの答え:皆さんがもしこれをすれば、直ちに3つの答えが来ます。
①講壇:少しだけ努力したのに、直ちに皆さんの講壇のみことばが自分と関係があるようになります。そうでなければ、いつもむだな話が出るのです。それなら、とても重要な答えをのがすのです。皆さんがもし教会に行っても、講壇のみことばと役員が関係がないならば、どれくらい大きい損害を受けることでしょうか。
②現場:ところで、不思議に思うように現場に行けば答えが来ています。
③証拠:私が伝道しようとしなかったのに、私に証拠が来ているのです。
(3)小さい実践:小さい実践ができる答えが引続ききます。これが世界福音化に連結するのです。多分、皆さんがこういう部分は大きい働きではないのですが、とても重要なのです。今日、ここに来た理由が、単にメッセージだけ聞いて行けば多くのことをのがすようになります。私はある部分はこのようにしなければならないと考えれば、それはとても大きい結果を産むようになるのです。伝道しに行かずに、当分来週から教会の中で揺れる人だけ手助けしてもかまいません。また教会にきてみれば、信仰生活に適応できなくて行き来する人々がいます。

2.小さい実践は大きい答えに連結する。
(1)現場(創世記39:1-6) -ヨセフは現場で少し契約をつかみました。
(2)両親(出エジプト2:1-10) -大きいことをしたのでもないのですが、モーセの両親が小さい実践をしたのです。
(3)約束-誓願(Iサムエル2:1-10,Iサムエル3:1-10) -ハンナが神様の前に誓願してこれを実践しました。この小さいことが世界を変えたのです。
(4)詩(詩78:70-72,Iサムエル17:35) -ダビデはこの頃で話せば、小さい祈りの手帳を捕まえて祈ったのですが、それでみわざが起きたのです。ダビデが時間がある時、小さい文章を書いて賛美したのですが、これですばらしいことが起きたのです。
(5)メッセージ(I列王18:1-5,I列王19:18-20,Ⅱ列王2:1-11) -エリシャです。エリシャがもちろん重要なこともしましたが、小さいことでした。今、私たちが見る時には大きいことであって、当時、自分を見たら主のしもべに付いて回りながらメッセージを受けたのです。これをしたのに、世界福音化が成就されました。
(6)祈り(イザヤ6:1-12,イザヤ6:13,エゼキエル1:1,ダニエル6:10-22) -イスラエルが今、捕虜になった状態です。このような時、何人かがその捕虜なった契約を置いて祈り始めたのです。私たちは信仰生活する方法を少しだけ理解すれば、多くの答えを受けるようになります。これが皆さんが聖日メッセージを受ける方法で、今日、ここで大きい祝福を受ける方法です。
(7)訓練(Ⅱテモテ2:1-7,Ⅱテモテ3:14-17) -テモテに向かってする話です。他の人は普通だと思う訓練を少し細かく受けたのですが、時代的な祝福を受けたのです。

3.世界福音化-小さな実践は、世界を福音化できます。
(1)ローマ16:1-27 -助けてくれた人、同労者、家主、同国人、愛、労苦、練達した人
皆さんはメッセージを捕まえて少し献身したのですが、これが世界福音化と関係があるのです。その代表的な例がローマ16章です。ローマ16章には、ニックネームが出てきます。助けてくれた人、同労者、家主、同国人、愛する者、苦労する者、練達した者がいます。これが世界福音化になったのです。
(2)Iコリント16:14-24 -手紙を伝達する者、安心させる者
手紙とメッセージを伝達したのです。
(3)コロサイ4:1-18
コロサイ地域にある小さい教会です。重要な人がピレモンという人です。この契約を捕まえて少しだけ実践したのですが、こういう驚くべき答えがきたのでした。
@結論:皆さんはほとんど考えることなく過ぎ去ったかも知れません。
* 十分の一、建築、宣教、RUTC -それで四つの献金は、皆さんの教会に行って静かに実践してみましょう。本当に私が神様の前に差し上げる十分の一を実践してみましょう。牧師もしてみましょう。すばらしい答えが起き始めます。皆さんの教会が大きかろうが、小さかろうが、関係なく、建築献金を置いて初めから開始をしてみましょう。牧師と役員がほとんどのがしているのですが、宣教の部分で実践をしなければなりません。それで今年RUTCが始まったのです。この四つは計画をたてて少しだけ実践しても、経済的なすばらしいみわざが起きます。それで、信仰生活を大きくしようとしなくても良いのです。神様の導きをどのように受けるのか悩まなくても、少しだけ実践をすれば、そのメッセージが私のものになります。ところで、私たちはほとんどメッセージをのがすようになるのです。直ちに牧師に急に尋ねれば、先週の説教は何をしたのか知らないこともあります。長老と重要な方々が先週に何のメッセージを聞いたのか知らないこともあります。それならそれを正確に話せば、講壇ものがして、みなのがしたということです。ところで、もしメッセージを捕まえて少しだけ祈れば、メッセージがそのまま生き返るのです。それこそ小さい実践ですが、皆さんには大きい答えになるでしょう。産業宣教を置いてもメッセージを聞く時、そのように考えたら、これはまたすることと関係します。それで、皆さんが毎週聖日ごとに,メッセージを聞く時ごとに、それが全部、皆さんのものになって、祝福になることをイエス様の御名で祝福します。
-要約-
<共同体と産業宣教(133) -改革の主役(22):産業人の小さい実践(ローマ16:1-4) >
1.大きな計画より、小さな実践が重要です
(1) 神様の導きを受ける方法
① 客観性 ② 主観性 ③ 専門性
(2) 三つの答え
① 講壇 ② 現場 ③ 証拠
(3) 小さな実践
2.小さな実践は大きな答えにつながります
(1) 創39:1-6 (現場)
(2) 出2:1-10 (両親)
(3) Ⅰサムエル2:1-10、Ⅰサムエル3:1-10 (約束 - 誓い)
(4) 詩78:70-72、Ⅰサムエル17:35
(5) Ⅰ列18:1-5、Ⅰ列19:18-20、Ⅱ列2:1-11
(6) イザヤ6:1-12、イザヤ6:13、エゼキエル1:1、ダニエル6:10-22
(7) Ⅱテモテ2:1-7、Ⅱテモテ3:14-17
3.小さな実践は世界を福音化することができます
(1) ローマ16:1-27
- 助けてくれた人、同労者、家主、同国人、愛、労苦、練達
(2) Ⅰコリント16:14-24
- 手紙を伝える者、安心させる者
(3) コロサイ4:1-18