[2008年3月22日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


共同体と産業宣教(192) - OMCの使命(35)
重職者が握らなければならないこと
(ヘブル11:3)
(キム・ドンゴン牧師)


☆☆☆要約資料☆☆☆
重職者、牧会者(伝道者時代の指導者)は必ず証拠を握らなければなりません。それも、正確であればあるほど、答えは早く与えられ、正確です。どのように証拠を握らなければならないのでしょうか。
1.みことばによって証拠を握らなければなりません (ヘブル11:3)
(1) この時代に逃していることを先に見つけなければなりません
① 最も重要な聖書のみことば (創3:15、出3:18、イザヤ7:14、マタイ16:16)
② 逃してしまった教会、福音運動、真の祈りの運動 (使1:1、1:3、1:8)
(2) 未来に迫る問題と答えについてのみことばを堅く握らなければなりません
① マタイ24:1~25:41
② Ⅱテモテ3:1-13
③ 黙1:1-3
2.自分に与えられたみことばを握らなければなりません
(1) 職業別 (詩78:70-72)
(2) 職位別 (ローマ16:1-27)
(3) 現在の働き (使6:1-7)
3.人生についてのみことばを握らなければなりません
(1) 今日のみことば、今日の伝道、今日の祈り (ヨハネ14:16-17、使1:8、使13:1-4)
(2) 事件によるみことば (7人のRemnant)
(3) 現場についてのみことば (マタイ28:20)
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲重職者が捕まえること、実像です。私が柳牧師に会って17年目なのですが、当時51才でした。その時、柳牧師が50才以上の人は大変だと言われました。それでも私は退きませんでした。私は柳牧師に会って17年付いて回りながら、私自ら実像と大きい証拠を見たのです。
▲福音-岩、幸せ、動機、なっていくこと
初めて柳牧師を通して、福音に対して、これが全部だという事実を見ました。以前には、よくしていました。恵みの中で恵みを受けて、その中で生きようと多くもがいたのですが、だめなことが分かりました。結局は、他のものでなく、しばしば揺れるのです。他の見方をすれば、神様に会って、特別に恵みを受けて、事実だと信じて、証拠も多かったのですが、しばしば揺れるのです。霊的指導者が揺れても良いでしょうか。牧師が揺れれば、羊はどうなるのでしょうか。まったく理由を知らなかったのです。
-そうするうちに、私が柳牧師に会って初めての時間に分かったのです。しまった!という気がしました。あの福音が、イエスがキリスト!ということが全部なのに、私はあそこに中心を置かないで、いつも祈って恵みを受ける信仰という、これだけ思っていたのでした。それで、私の心はただこの福音がすべてで、私の人生の結論で、全てのものならば、私がこの中に最後まで入ってみなければならないと考えたのです。祈りの答えも受けてみたのですが、それではなくて、本当に福音が私の人生の全部で結論なのかということです。魅力があります。他の見方をすれば、私の人生がここで結論が出なければ、私の人生は終わるという気がしたのです。その時からずっと福音を聞きました。一日中で一番重要な朝、福音を聞くことをのがしませんでした。一週間に核心まで4回を、柳牧師のそばでメッセージを聞きました。その場で聞いたメッセージを録音して、また、ずっと聞いたのです。聞くそれ自体が、今までの霊的生活と違うということを感じました。また、私がここに最後まで行かなければならないという心を抱いて聞くので、ますます福音が何か新しく聞こえながら、根をおろすようでした。7年、聞いたら、岩という意味を分かりました。確かに揺れることなのに、揺れないのです。その時から、私の考えが変わりました。こういう事があるのでしょうか。
-私たちの産業現場に産業人を見て下さい。いつも揺れます。産業現場が、どれくらい深刻なのでしょうか。特に福音の中に入ってきた人々を見れば、私が牧会を30年余りしながら見たのですが、成功して入ってきた人はあまりいません。他の見方をすれば、両親がイエスをよく信じて、子どもが神様を信じて、来る成功は尊いと見られました。しかし、実はそれほど見られなかったのです。成功した人が何をしに来るでしょうか。私が見る時は、崩れた人が来るのです。ところで、崩れた人々がきて神様を信じるので、神様が祝福されれば、事業もなって、何かがなると思うのに、また相変らず見るとだめなのです。
-私は牧会をしながら、牧師と交わりながらこれを見たのです。いつも牧会が揺れるのです。7年間集中して聞いたのですが、これが私を岩の上に立てるということがこのことなのかというものを感じました。私に大きい試みがきました。私がその話しを聞きながら笑ったのです。問題になることがない。伝道者柳光洙牧師も、なった話し、きびしい発言、すべて聞いて目もちょっと動かさないのに、私も伝道する牧師に付いて回りながら、その程度の話しに私が揺れれば良いのかと思うようになりました。自分自身が先に驚いたのです。柳牧師に会って、これ一つだけでも私は祝福を受けたのです。
-言い換えれば、揺れないことはいつも聖霊充満があるということです。どんな環境、どんな問題にも崩れないことです。それで、柳牧師をながめれば、そのように私が祈って、主をながめて、神様だけ信じようとしてもだめなのに、どのようにこのようになれるのかと思いました。それで、福音に対してどのようにあのように深く柳牧師が発見するようになったのか、という気がするのです。
-だから、ずっと聞いてみたら、私に幸せが来るのです。牧会がうまくいって幸せだということでなく、家庭がうまくいくからではなく、環境で周辺から来ることでない、何か神様の福音にあって幸せがくるのです。この幸せがくるということは普通ではありません。人々は、ほとんど背景を持って幸せを求めます。ある産業人は、事業一回だけ成功すれば幸せなのです。牧師は、牧会がうまくいって教会が復興すれば幸せなのです。しかし、私は神様を信じるほど、それではないということを知るようになりました。人が幸せになれば動機がなくなります。事実、動機というものは自分の欲求を満たすことなのです。自分の場を占めるバベルの塔です。神様で幸せですが、今はキリストで幸せなので、これ以上、要求することがない人になるのです。これをずっと聞いてみたら、これが来るのです。他の見方をすれば、幸せだということは、私がもがくのが幸せなのではありません。じっとしているのに、神様がインマヌエルしながら私の人生を、私の家庭を、私の牧会を、ご自身がしてくださりながら働いて導かれるのを見るので、幸せなのです。
-今までないことを感じながら、なぜ私がこういう恵みを受けたのかという気がしました。その時から、私が福音を聞いて13年ぶりに、私の人生も、牧会もよくなっているということを感じるようになったのです。柳牧師のメッセージの中で確かに出てきました。なるようになる段階があります。より一層、これを見るので、私が手を引くべきだとの気がしました。だから、人に余裕ができるのです。
▲産業(神様の計画)-神様の働き、その時、事実、産業や牧会を思う時、ここに私が努力するのではなく、神様が働かれているということを知るようになったのです。これが大きい証拠です。
-事実はなぜそうでしょうか。すでに私はこれをしながら、ここに神様の計画があることを分かりました。私のある計画を持って牧会をするのではなく、この牧会は、ご自身が主人で、ご自身の計画の中にあるので、当然、神様が働かれるしかないということを分かったのです。それで、一日の中で、一番重要な時間が主にあって福音を聞きながら、主とともにいる、その時間です。17年間、どのようになったかというと、自分自身だけ立てられて、私を通じて神様が働かれるということを私自身が味わえば良いことを分かったのです。
-今、産業現場はどうなのでしょうか。生き残れるのでしょうか。今は国内ではだめです。今は世界です。もう世界という言葉は、国内の中での競争にならないのです。私は牧会専門家です。このような形で入るので牧会がどれくらいやさしいのでしょうか。主がなさるためです。今、多くの牧会があるでしょうが、主が願われる教会、主が願われる牧会を、誰かを通して見せたいのが神様の計画ではないでしょうか。柳牧師は、メッセージを通して、あらゆる分野に答えをみなくださっています。他の見方をすれば、教授に、あらゆる分野の人に、本当に神様の恵みの中でなるようになる恵みを味わうようにするために、メッセージをずっと聞かせてくださっているのです。主が私に、どんな牧会と教会を望まれるのでしょうか。ますます、主の計画の中にある牧会、主の計画の中にある牧師をずっと考えるようになるのです。
-昔には、産業をうまくしてみようと、モデルがいないかと思いました。ところで、聖書を見るほど、いないと思いました。本当に、私たちは今、エリートを通して未来の一分野の最高の成功者、唯一性の祝福を味わう成功者を探して立てています。未来には当然出てくるでしょう。しかし、彼らはインターンシップして土台になる皆さんが出てこなければなりません。必ず、神様がこの時代の産業人として、OMC会員として呼ばれたとすれば、唯一性の祝福を味わえるのは産業人なので、皆さんを通してなさるでしょう。
-それで今、私は答えができたとのことでなく、これから計画するのは、このような形で自分自身をずっと一貫して、13年だけさらに準備したら、これから何かなるのではないかと考えています。その時、年齢は80才です。その時から本ゲームをしてみようと考えています。あせってなるなら、どれくらい良いでしょうか。Noです。皆さんがよく分かるでしょう。満身創痍になるのです。壊れるだけ壊れます。とうてい私たちとしては、希望がない場まで行くのです。そのようなあまりならなかった福音でもがけば、サタンにずっとだまされるのです。ところで、自分自身が驚いたことがあります。私はただ自分自身を福音の中で、時代の使徒のように、本当に完全な福音の中で、こういう準備をしながら訓練の中に入ったのですが、教会は教会としてなり、子どもは子どもとして神様が祝福の中に導かれるのです。私が心を抱いて福音をこのようにすべきだということではなく、福音と訓練の中に入るので、その中で受けた恵みが、そのまま教会の中に流れて行くのです。そのように見れば、他の見方をすれば牧会を柳牧師がみなしているのです。担任牧師である私をメッセージの中で立ちながら動くようにさせて、教会の聖徒たちの訓練を柳牧師がずっとみなしてくれているので、私はすることが一つもありません。それなら、皆さんが今、この時代の産業人として呼ばれたことを信じます。単に福音が良くてこの席に来たようですが、そうではありません。
-多分、まちがいなく、皆さんを通して、産業宣教を通して、全世界の暗やみに奪われた産業と経済を回復すると信じます。それで、今日、見れば重職者、牧師、特に伝道者時代の指導者は、必ず証拠を握るべきだと信じます。事実、私が証拠を握ったら、もうこれから未来に対して考えることはありません。これが、単なることではなく、生き生きした事実体験です。この証拠が私の個人にもきて、家庭にもきて、私の牧会にも入ってくるのを見ながら、どのように、私がこういう祝福の現場の中に入ってきているかを考えれば、興味が沸く牧会になるのです。その程度ではありません。
-それで今回、健康が少し弱くなったのですが、これが私にはこれから置いてくる世代に、より良いものを準備するということを分かりました。証拠を握る時、正確なほど答えがはやいのです。証拠がきたので、答えはくるようになっていることと信じます。他の見方をすれば、全家族にこういうものが積もって信仰になるのです。証拠が積もって、今から少しも不信仰が来ることがありません。
▲重要なのは、何の証拠を握るべきかです。

1.みことばで証拠を握らなければなりません(ヘブル11:3)
▲みことばの証拠を握らなければなりません。今まで、いろいろなことをみなしたのですが、イエスはキリストというこの福音のみことばを握ったのです。
(1)時代-のがしたこと
▲他の見方をすれば、この時代にのがしたことです。これを握ったのです。
①福音(創世記3:15、出エジプト3:18、イザヤ7:14、マタイ16:16)
▲本当に、この時代がのがしたことは福音です。私が本当にくやしかったのです。いつも恵みを受けて祈っていたのに、聖書をそれほど見ていたのに、イエスがキリストというものを見られなかったのです。それで、結局は、聖書の最も重要なみことば創世記3:15のみことば、これが福音ではないでしょうか。出エジプト3:18犠牲のいけにえです。イザヤ7:14、マタイ16:16これをのがしたのです。韓国教会と世界教会が、これをのがしたのです。私はタラッパンの中で働きをしながら、福音がすべてなのに、なぜこの証拠を握れないのかという気がしました。私は教役者に、働きがどうなのかを絶対に尋ねません。働きは主がなさいます。インマヌエルになったら、神様がなさるのが当然です。自分の人生も一つ生きることができないのに、どんなことをするのでしょうか。インマヌエルということは、神様がなさるということです。パウロがそうでした。私が他の使徒より苦労をよくするからではなく、神様がともにされたと言ったのです。最高の伝道者パウロがそのような話をしたとすれば、それは事実ではないでしょうか。福音の中に全てがみな入っています。お金も、全てがあるのに、私たちはだまされるのです。キリストの中に知恵、知識、宝があるのです。
②使徒1:1,1:3,1:8
▲そして、今、のがしてしまった教会、福音運動、真の祈り運動、何をのがしたのでしょうか。使徒1:1のキリスト、1:3節の神様の国、聖霊充満が全部なのに、これをのがしたのです。これがどれくらい重要ならば、これから私がこれから少し訓練を受けることで、事を正しくするということではなく、この中に13年間入りたいのです。私を会った人々が「牧師先生、一手習いましょう」と言うので、何を言うのかと尋ねたら、牧師先生が握って福音に対して話してくださいと言うのでした。それで、話をしてあげました。私は、一日24時間の中で6時間は寝て、6時間の良い時間は、この福音の中に入ります。おもに他の人が聞くことができない夜明けに、静かに原色的な福音をずっと聞きながら、主と対話しながら、何かこの福音がものすごいということをしきりに自分自身が心に入れて祈りながら聞きます。朝、そのように聞いたら、その次からは心と考えを聖霊が支配されます。その時からは、主が働かれて導かれることが何か、少し見え始めるのです。見られるので、任せるしかありません。
(2)問題(未来)-みことば
▲未来に迫ってくる問題です。本当に、これから未来に迫ってくる問題がどれほど多いでしょうか。問題と答えに対するみことばを堅くつかまなければならないのです。
①教会問題
▲マタイ24:1-25:41を見れば、教会問題が必ず来ます。あらゆる迫害を受けます。私が米国を1ケ月回って帰ってきて、ハワイでハーレム街を触れば、政府でハーレム街を触る人は静かにおいておかないという話を聞きました。他の見方をすれば、彼らは自ら崩れることを希望しているのです。私が飛行機に乗ってハワイから帰ってきて静かに考えてみました。それは、何を言うのでしょうか。この福音運動する人を、そのまま置かないということです。私が柳牧師を考えてみました。問題は、柳牧師です。私が見る時、全世界の悪い暗やみの勢力が、柳牧師をそのまま置いておかないと考えるので、先に迫ってくる福音運動で、すごいサタンが働くことなのに、これをどのようにするかと思うと、思わず涙が出てきたのです。最後に迫害がどれくらい来るでしょうか。教会の中で異端ということは、それほど問題になりません。本当に福音を正しく投げれば、統一教は崩れます。この福音が正確に入れば、カトリックは崩れます。僧侶がみな崩れます。それでは、彼らの茶碗が落ちれば、そのままいるでしょうか。教会の中で、異端は問題ではありません。まちがいなく、正しい福音を持って行けば、みな崩れるようになっています。これが福音を持った私たちに迫ってくる問題です。それで、柳牧師がずっとOnenessを言われるのです。単なることではない福音次元でのOnenessは、世の中に勝てると信じます。
②苦しみの時
▲終わりの時には、必ず苦しもの時が来ると言われました。
③混乱の時代
▲まちがいなく、終わりの時は、黙示録を見れば、混乱の時代が来ると言われました。それで、昔には巻き物を読む時、ひとりが読めば二人が伸ばすのに今はどれくらい良いでしょうか。預言のみことばを読む者、聞く者、守る者が幸いだということを信じるように望みます。預言のみことばを聞いて読む程度でなく、完全に私たちの心に根をおろさなければなりません。私が福音の中に入って行くと、他のものはそれほど重要ではないのです。過ぎ去るのです。以前の人がみなしたのです。それで、この福音の偉大さと価値をこの時代に留まるのではなく、主が来られる瞬間まで行かなければならないのです。

2.私に与えられたみことばを握らなければなりません。
▲私に与えられたみことばを握らなければなりません。必ずあります。
(1)職業別(詩78:70-72)-私たちは他の見方をすれば職業別にあります。ダビデのようにということです。
(2)職分別(ローマ16:1-27)-重職者、職分別に
(3)現在の働き(使徒6:1-7)-私たちの現在、働きにもあります。すばらしいのです。
▲私は教役者に、あなたたちがどの時代を生きても、レムナントを起こそうとするなら、産業宣教メッセージを聞かなければならないと言います。昔には霊的にだけ手助けすれば良かったのですが、今は時代が変わったのです。レムナントの中で一時代を変える専門分野に対して出てくるので、産業宣教とともにメッセージを聞かなければならないのです。確かに捕まえなければなりません。一時代の独歩的存在になった人は、信仰にあってでこういう人です。私が海外に出て行く時、本を見たら、おもに飛行機の中で、福音の中で成功した指導者の本をたくさん読みます。そのような本を見れば明らかです。また、イエスを信じないのに、その分野で成功した人の本を見れば、それも参考にすることがあります。どれくらい重要かわかりません。私は個人的に私の牧会がどれくらい重要なのか、それと共に教会職分者などがどれくらい重要なのか、そして、実際に働きの現場で、主のみことばが重要なことを分かります。私がこのメッセージを柳牧師を通してずっと聞いているのです。私は柳牧師のメッセージの中での証拠です。このように作品になったのが、ずっと福音と訓練の中に行って見たら自分も知らないうちにこのようになるのです。パク・ヨンベ牧師がそのような話をしました。私が牧師先生より伝道をはるかによくするのに、牧師先生に会って少しの間、会って話をするのに、感じるものがあるということです。一時代の伝道者柳牧師を通して下さった答えで、神様が私をそのように導いておられることだと言いました。だから、あの方がどれくらい尊いのでしょうか。私が祈りを始めれば、一番最初に柳牧師のために祈ります。柳牧師を助けて、同労する秘書をはじめとして、資料局、総局を置いて、あの方の流れによく乗って補助することができるようにしてくださいと祈ります。その方を通して、全てがみな出てくるためです。私が考えても、どのようにあのようなメッセージが出てくるのかと思います。ところで、ある日、そろそろ私にもこれが流れ出ているということを分かりました。これが一時代の伝道者を通して弟子を育てるということを知るようになったのです。

3.生活に対するみことばを握らなければなりません。
▲私たちの生活に対するみことばを握らなければなりません。どれくらい重要なのでしょうか。
(1)今日
▲今日のみことば、今日の伝道、今日の祈りがどれくらい重要でしょうか。私は今日を考えてみました。自分の人生にまた来ません。私は朝の祈りを中心に、自分の生活が始まるのですが、この頃は健康管理のために朝の祈りに行きません。しかし、明け方6時に起きて、その場で祈りを始めます。また自ら、これまで柳牧師のメッセージを聖書の中でたくさん見たので、その場で聖書をたくさん読みます。そのように祈ったら、心がとてもうれしいのです。それで、インターネットに入ってメッセージを聞き始めるのです。朝の時間であるためです。そしてRUTC放送を聞きます。柳牧師の初期のメッセージが胸を打ちます。そのように見れば、2-3時間が過ぎます。これが私の今日を左右するのです。これで、今日のみことばと伝道と祈りを握るようになるのです。昨日も事務室にいたら、地域の国会議員イ・ソクヒョン議員がきました。もちろん、その人は票を貰いにきたのでしょう。機会です。それで初めて対話をして、後ほど単刀直入に尋ねました。イエスを信じるのか尋ねたら、信じないということでした。自分はカトリックに出ているということです。それで、カトリックでミサを捧げても、教会で礼拝をささげても、神様に会わなければならないと言ったら、会えなかったということでした。それで、その間に私が人を伝道しながらたくさん見たのですが、神様の時刻表がきたという気がして、十分に心を持って福音を伝えました。福音を聞きながら驚くのです。神様に会わなくてはいけないことを感じたのか、自分も神様に会うと言いました。それで手を握って祈りました。感謝しました。本当に私たちの今日が何でしょうか。今日が出会いの祝福です。今は国会議員に会って福音を伝え、本当に今は何か大きく広く行くべきだとの気がしました。
(2)事件
▲事件は機会なのに、事件によって神様のみことばを握らなければならないのです。時代的な人物は、事件について行くのです。レムナント7人も同じです。
(3)現場
▲そして、現場により神様のみことばを握らなければなりません。マタイ28:20節です。何のために、常にともにおられるのでしょうか。この現場の中に神様の計画があるためです。事件の中に神様の計画があるためです。また来ていない今日一日を通して神様の計画があるためです。そのために、神様がともにおられるのです。私はそのように考えます。
▲私がこのように重職者や産業人を見る時、冷静に見るのですが、一番、これまで福音に根を下ろすことができなくて、訓練を受けられなかった人が重職者です。私たちの柳牧師を通して、今は他の教団、他の教会では従えない時代的なドアをあけて、柳牧師が重職者時代を開いたのですが、これからこの重職者の中で伝道者が出てきて、初代教会の重職者のような人が立てられれば、時代は、ばっさりひっくり返されると信じます。結局、私たちは確実な証拠を握る産業人になることをお祈りします。
(祈り)
今は私たちの主イエス・キリストの恵みと神様の手厚い愛と、聖霊の充満、導き、働きが、私たちの産業人の頭上に、またこのインターネットを通してここに参加しているすべてのしもべの頭上に、今から永遠にともにありますように。アーメン。
(The end)