[2008年5月31日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


共同体と産業宣教(202) - OMCの使命(45)
練達した者
(ローマ16:10)



☆☆☆要約資料☆☆☆
1.練達した者の意味と背景は何でしょうか
(1) 福音を知る程度
(2) 自分についての適応
(3) 人格と器についての問題
※ プサン駅、ソウル駅、路傍伝道者たち
2.練達した者が福音を持っていると、間違いなく答えが与えられます
(1) 伝道の門が開かれます (マルコ3:13-15) 
(2) 実が結ばれます (マタイ4:19) 
(3) 実が起きます (マタイ28:16-20) 
(4) 再生産運動が起きます (Ⅱテモテ2:1-7) 
(5) 教会、現場の復興が起きます (ローマ16:1-27) 
(6) 世界宣教の門が開かれます
① 使13:1-12
② 使16:6-10
③ 使19:21
(7) OMCは成り立つようになります
3.誰に認められるべきでしょうか
(1) 福音を持つ者は、神様に認められる恵みが与えられます
(2) 主のしもべ、人々に認められると門は続いて開かれます
(3) 暗やみの勢力に認められると、霊的な問題が去って行きます (使13:1-12)
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
→序論
▲ローマ16章10節を見れば、キリストにあって練達したアペレによろしくとなっています。ここに今、練達したという言葉が出ています。
▲皆さん、弟子とは何だと考えていますか。弟子です。弟子、このようにいう時、色々な人々が違う考えをするでしょう。ところで、私はこのように考えています。弟子とは何でしょうか。もちろん、一般的に話せば、私の話をよく聞けば私の弟子なのですが、それではないでしょう。私がある人に学べば、その人の弟子だということです。
(1)技能⇔福音
▲ところで、私が伝道運動をしながら見る時は、ほとんど私が見る時は、技能、あるいは実力、何か技能と言うかがある方たちが、福音があまりありません。また見れば、福音がある人は、また技能が良くありません。この二つが合わないのです。
▲ここでレムナントも葛藤をよくします。勉強ほどほどにしようとすると、訓練が良くできず、訓練をちょっと受けようとすると勉強ができず。また世の中の事がどれほど多いでしょうか、ちょっと正しくしてみようとしたら、いつまた訓練をするのでしょうか。こういうことで、訓練を受けられないのは良いのですが、福音の部分が弱くなるでしょう。
▲普通、見れば、そのような場合が多いのです。あの方は良い人のようだと見れば、ずっとそれから見ていると、福音の部分が足りなかったりします。この方はちょっと福音が良いように見えれば、じっと見ていたら、技能が欠けているということです。
(2)二つとも(技能,福音)だめな人
▲また、ある方は二つともだめな方があります。福音もなくて、実力もなくて、かといって、これはどうしようもない人になってしまうのです。
(3)一つ(技能+福音)
▲弟子ということは、この2つが一つになるのです。実力もあって福音もあって、代表的人物がダビデです。知性もあって霊性もあって。この代表的人物がパウロです。
▲このように見る時、これが弟子です。私たちはレムナントをこのように教えなければなりません。

1.練達した者の意味とその背景が何でしょうか
▲そのような意味で、パウロが話す時、そのような意味で話したと思います。練達した者という時、あの人は私の話を本当によく聞く弟子だ、練達している、こういう話はしなかったということです。あの人は人気が本当に良いな、こうした話ではないのです。
(1)福音を分かる程度
▲この人を見ると、技能もあって、福音もある。弟子だな、そのように言ったようです。
▲それで、私たちが今、第一にいくつか、産業人が記憶しなければならないことは、練達した者という時、基本的なことを先に話したのではないのかと思います。この人が福音をある程度知っているという基本的なことを話していると思います。
(2)自分に対する適応
▲また、この福音に対する実際的な自分自身にも、適応の部分において、基本的な部分ができていたのではないかと思います。
(3)人格とうつわに対する問題
▲どの程度、そこに合う人格があったことを話すのではないでしょうか。そのように私たちは今、見なければなりません。
▲私がいつも心配するのは釜山駅におりる時ごとに、大邱に行って釜山駅におりるのに、おりる時ごとに心配することがあります。熱心に伝道しているのですが、誰が見ても精神病かと感じられる顔なのです。私はまた残念なのですが、残念に見るのに、誰が見てもおかしな人だなこのように感じるほどです。この人たちが、あちこち釜山駅でするのに、もちろんそのようにして救われた人がいないとは言えません。しかし、とても基本的な部分になっていません。また二週に一回ずつソウル駅に行くのですが、ソウル駅にも見れば全く同じです。ちょっとそのような部分を話したことではないでしょうか。

2.練達した者が福音を持っていればまちがいなく答えられます
▲それで、今、私たちのタラッパンに多くのメンバーの中で産業宣教に参加している皆さんがとても重要です。この福音はどれだけ重要なことかというと、基本がなるだけでもなっていく働きが起きます。
(1)伝道の門が開く(マルコ3:13-15)
▲大きいことを神様が要求されたのではなく、私たちが少しだけ基本をそろえても、神様は伝道の門を開けてくださいます。
▲それで、私がどうしても牧師にこういう話をします。何もしてはならない、何かするからだめだと言います。なぜなら少しだけ基本をそろえていれば、伝道の門は開かれるようになっています。
(2)実が結ぶ(マタイ4:19)
▲そして実が結ぶようになっています。
(3)実が起きる(マ27:16-20)
(4)再生産運動が起きる(Ⅱテモテ2:1-7)
▲実が出るようになれば、自然に弟子運動が起きるから、再生産はなるようになっているのです。
(5)教会、現場に復興が起きる(ローマ16:1-27)
▲私たちが少しだけ福音をそろえて、基本をそろえていれば、教会復興はなるしかないのです。それで、少しだけ出て行けば、単なることではなくて、宣教の門も開かれるしかありません。
(6)OMCはできる
▲そしてOMCはできるしかありません。なぜでしょうか。このように行くしかないようになる働きです。ある面で私たちがOMCをすべきだというのではなく、なるしかないのです。
▲ですから、さらに正確に話せば、伝道はなるしかありません。これを私が見るには、まだ物心がついていないと思ったのですが、私の息子を見ると、結婚したら、連続で子どもを二人も産んでしまいました。見ると、キム・チャンヒ牧師も結婚するやいなや、三人を産んでしまいました。なることではないでしょうか。私たちがいのちを持っているというならば。ところで、少しだけ私たちが基本だけそろえても、神様はこのように祝福される神様です。

3.誰に認められるべきでしょうか
▲それなら、私たちが少しだけ専門性を持てば、すばらしいことが起きます。こういう意味で、練達した者です。神様が多くの実を起こされるのですが、そこに用いられるのに、認められる者ではないでしょうか。私たちが少しだけ専門性を持てば、神様は私たちを用いられるしかない、驚くべきことで、こういう練達した者になるのです。
(1)福音持った皆さんは神様に認められます
▲こういう時代に貴重な産業人である皆さんが福音を持っているか、持っていないかを神様がご存知です。
(2)皆さんが本当に福音を持っていれば、結局は、人も知るようになります。
(3)さらに重要なのは、福音を持っていれば暗やみの勢力がよく分かります。
▲こういう練達する者ということです。

4.結論
▲今日、私は皆さんに祈りの答えを本当に受けようとするなら、どのようにしなければならないのでしょうか。これは皆さんがしっかりと持って行かれなければなりません。本当に祈りの答えを受けようとするなら、どのようにしなければならないのでしょうか。こういう課題は、誰にでも必要ですが、私たちには今、どのように祈りの答えを受けられるのでしょうか。
(1)24時
▲24時間、どのように私たちが祈って答えられるのでしょうか。あるレムナントが、このように質問しました。牧師先生、私が彼女ができたのですが、勉強ができないのです。これは私が何かおかしくなったのではないか、その学生が大邱学生ですが、話さないでくださいと言われたのですが、私が言いますが、名前だけは言わなければ良いということでしょう。ところで、その学生が勉強ができませんが、それで、この子が信仰が良い子で、神様に祈ったそうです。それで、これがサタンのしわざなのか、これが何か、そのような気がしたのです。それで、その学生にこのように返事しました。それが愛です。それが愛なのに24時、あなたの心にある、それが愛だ。それを福音にあって、それをしなさい。そうすれば、ものすごいみわざが起きるだろう。皆さんが24時間考えてしまうことがあるでしょう。それを福音でしましょう。私たちが今、多くのことがあるでしょう。
(2)勉強
▲皆さんに、勉強、この部分も同じだということです。皆さんが24時間祈りができないでしょう。しかし、私たちは24時間考えることはできます。この部分がほとんど答えの鍵です。あなたが、もし24時間、福音の中で祈ったら、相手にもすばらしい祝福を与えるでしょう。これが今、何の話でしょうか。
▲皆さんが今、OMC、RUTC、建築、たくさんあるでしょう。それがいくら聞いても答えられません。それが、福音のなかで、それが24時間来なければなりません。相談した学生に説明したのですが、あなたが度々思い出せること、それが愛だけれど、それをあなたが福音でしてみなさい。それを単語で何とするかというと、私は24時間と表現しましたが、それが24時です。
(3)献金
▲皆さんが今、現在、私たちが教会で献金の部分の話もたくさん出て来るでしょう。主に私は四つは祝福されなければならないと思います。私たちが民族、社会、地域に献身できる神殿は必要だと思っています。また、教会の中が正しく生き返らなければならない、十分の一献金の祝福はする、しないではなく、この祝福は受けなければならないと私は思っています。そして、皆さんが今はこれから世界宣教に関する、こういう部分は確かに祝福されなければならないのではありませんか。RUTCはなくてはなりません。
▲私は24時間が何でしょうか。私はこれを悟りました。切ないこと(哀切感)です。こうなってこそ、みわざが起きるのです。代表的人物がダビデです。私がどのように神殿もないのに王宮に楽に寝ていられるのか。主の契約の箱は、風が吹くところにあるのに、私はこのように良い部屋で寝ているから寝られない。これが24時です。ここに神様は必ず働かれるようになっています。そうでしょうか。私は24時という表現が、切ないことなのです。
(4)今、皆さんが考えてみて下さい。今、私たちがOMCになって、全世界にこの切ないことがなるべき、ここにみわざがあるということです。
▲これを神様が、ダビデにわたしはあなたの心だけ見て...そう言われました。だから、皆さんがお知らせを聞いて、メッセージ、これを見つけなければならないのです。そのまま話せば、何をして、私たち何か、互いに何かをして、他の宣教会でそのようにするんだな、このように話していては、答えられません。産業宣教で当然産業する人々集まったから、私たちが経済をこのようにしておいて、力を合わせて、ワンネスになって、何かしてそれでは答えられません。暗やみの経済が一つになっているんだな、この麻薬を売る人々がどれくらい一つになっているのか、言えないほどです。
▲ユダヤ人が地域を征服する戦略を見れば、とても怖い戦略で入って行っています。それで、本の中にユダヤ人が書いたロビーという本があります。ユダヤ人がどのように世界でロビーをするのか、とても驚くほどだということです。そして、中国人を見れば、自分たちの間で商うこと見れば怖いほどです。
▲それなら、私たちはどのようにしているのでしょうか。私はレムナントと教会と未来のために、どのようにしているのでしょうか。ここに対する切なさが来なければなりません。その時から答えは始まるのです。皆さんがメッセージを握るという言葉は、覚えることではありません。それが私の心に切なく、ごつんとぶつかってこなければならないのです。そんなに福音がない人々によって、異端とかなんとか寃罪をこうむって非難を受けてきたが、私たちがここに美しい神殿を作って、神様にささげて私たちの子孫の前にいのちをかけなければならない。この切なさがなければなりません。ところで、その学生にも男女も同じで、本当に福音なかで切なければ、それは愛であって、それがなければ愛でやないってことです。勉強もそのようにしなければなりません。本当に神様なかで私がこの勉強は勉強ではなくて、私の人生を作ることだ、こういう切ない心を持てばみわざが起きるしかないでしょう。
▲私は昔にいつも経済が行く所ごとに苦しかったのです。私がある日、神様の前にこの哀切さが来ました。切ないことが。神様我が家がなぜこのようですか、私と私たちの子孫は本当に宣教できる家になるようにさせて下さい。そして、教会を生かせる祝福を与えて下さい。教会に行って、毎日、いらない話しだけあるのに、教会を生かす祝福を与えて下さい。少なくとも十分の一献金ではなくて、それ以上ができる家系になるようにして下さい。私たち人生に残るのではなく、私たち人生の全てをRUTCにささげて、神様の前に立つようにさせて下さい。その切なさです。それだけ持ったのですが、答えが来ました。私が、目ざめよ、レムナントと主よ私の人生の中で...それは、単に書いた歌詞ではなくて、切なさです。
▲皆さんが産業宣教に集まる時に、何か産業宣教に行ってみよう、これは悪いことではないのですが、なぜここに来なければならないのでしょうか。私たちがまた一つの貧困と失敗を私たちの子孫に与えてはいけないということです。今、私たちが苦労して死んでも正しく与えなければならないということではありませんか。ある面で、与えようということよりは、土台を置いてやらなければならないのではないでしょうか。
▲私は重職者時代、これは突然にするのではありません。私に切なさがあります。私は教会で長老、執事としてけんかをするのを見ました。何人かが教会を振り回しながら、いつも教役者を追い出すことを見ました。それと共に、十何年間を私が副教役者をしていました。副教役者の特徴が、他のことではなく、長老、牧師の顔色だけ見ていたのですが、私は顔色を見ながら、切なさができました。あれは違う、神様が願われるのはあれではなく、重職者が祝福を受けるべきで、重職者が初代教会のように起きて世界を生かすべきだ。私切なさが心に入ったのです。それで、これが聖霊で通じる方々でが、この重職者時代に合わせて聖霊の働きが起きるでしょう。
▲それでRUTCしよう、それも単なる話ではありません。私は自分の子を考えてみて、レムナントを考えてみる時、その気がします。あまり早くできないのが私たちの誤りです。そのような切ないことを持ってRUTCをするから、神様が働かれるしかないでしょう。
▲皆さんが説教を聞いて、みことばを受ける方法がまさにこれです。建築ですか。それでは答えが来ません。私の人生にこのことをなぜしなければならないのだろうか。そのようにメッセージを握って、ダビデのように心を込めなければなりません。それでは、まちがいなく答えがきます。
▲宣教をなぜしなければならないのでしょうか。パウロの心を胸に入れなければなりません。こんなにも足りないユダヤ人、優秀だと思うのに、世界を知らずに選民思想で滅びたユダヤ人に対する思いがパウロにあったのです。パウロに学ぶことが多いのです。RUTC。どれくらい習うことが多いかわかりません。私は十分の一献金は、パウロを通して感じることができませんでした。私は十分の一献金をどのように感じたかというと、イスラエルの12部族を見ながら感じました。そうだ、なぜ12部族を立てられたのか、その中になぜレビ族を立てられたのか。すぐぶつかることがあるでしょう。だからそこで答えが出てきたのです。レビ族が灯をずっとつけるために、11部族は手助けしなくてはなりません。それでは、私たちの教役者は信徒のために24時間明かりをつけなければならない。それが祈りではありませんか。こういう答えがどんどん来るでしょう。それで、今、全世界は暗やみで手を握っているのに、私たちはOMCで手を握らなければならない。全世界文化が暗やみに行っているので、私たちはRUTC文化で変えなければなりません。
▲ここに対して知らなければならないではなく、切なさがなければなりません。そうでありませんか。皆さんの親子間でも答えを受ける子どもがいます。心配になる子どもがいて切なさがある子どもがいます。そうではないでしょうか。師匠、弟子がたくさんいても、それができる人がいるでしょう。それで、私たちはそれを今、握らなければなりません。そうすれば、その時から驚くことが行われます。正確な聖霊は、その時から働かれるようになっています。それでは、皆さん事業の働きが起きて、それがみことばを握る方法なのです。それが祈りの答えを受ける方法です。
▲それで、私たちの産業人が皆さんが認められる者、弟子という単語を握って、皆さんが切ない気持ちでみことばをしっかりと握って下さい。これだけ握れば、神様は働かれるようになっています。恐ろしいことは、一つも欠かさず答えて下さいます。少しの間、考えてこれを握ったら無条件に神様が答えて下さいます。こういう祝福を産業人の皆さんが必ず味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。
(祈り)
万王の王である主イエス・キリストの恵みと私たちの神様の大きい愛と聖霊様の働きが、今日、神様の祝福を受けたすべての産業人の上に、一時代を率いていくすべての主のしもべの上に、今からのち永遠まで、いつもともにありますように。アーメン
(The end)