[2008年8月2日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


OMCの使命(54)
人間主義は大きなことを成し遂げられない
- 神本主義は世界を生かすことができる



☆☆☆要約資料☆☆☆
1.人間主義の概念 - 人間主義は大きなことを成し遂げられません
(1) 社会的な概念
① ヒューマニズム      ② 民主主義
(2) 信仰的な概念
① 人中心      ② 人間が主人だという意味
(3) 良い人間主義を使った人々
(4) 人間主義によって失敗した聖書の人物たち
① アブラハム    ② エサウ    ③ ヨセフの兄たち    ④ バラム    ⑤ アナニヤ、サッピラ

2.神本主義は世界を生かすことができます
(1) 創13:14-18、創22:1-20
(2) 創45:1-15
(3) Ⅰ列19:1-20、Ⅱ列2:1-11、Ⅱ列6:8-24
(4) ハガイ2:4-10
(5) ピリピ3:1-20
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
→序論
▲創世記13章14節、ここで重要なのは14節にロトがアブラムを離れた後に...ということです。アブラムの考えはロトが役に立つことがあると思ったのですが、神様はそのように考えられませんでした。ところで、ロトのためにずっと問題が起きたのですが、ロトを送った後に神様がなさった約束です。
▲私たちの韓国では、一番学生たちがたくさん集まって集会するのが、私たちのレムナント集会です。それで、もう私たちが一度にみな成就させることはできなくて、一つずつ成就させていくのです。また、これから未来を見通して一つずつ導きを受けなければならないのです。苦労したすべての方が、神様の慰めを受けられるように願います。大きいことをしていれば、困難もたくさんあります。一番重要なのは、仕事をしながら恵みを受けるべきなのに、それが簡単ではないのです。普通、音楽をする方々や専門家が恵みを受けなければならないことが、とても重要です。核心の時も少し申し上げますが、私たちは、仕事を見れば人を少し知ることができます。またその人の未来も予測できます。
▲聖書に最も大きい事件三つのことを理解できなければいけません。
(1)出エジプト、出バビロン、出ローマ
▲イスラエル民族がエジプトから出た時です。出エジプト事件。これより重要な事件はないでしょう。そうするうちに、イスラエル民族がまた捕虜になっていて出てくる出バビロン事件。またローマに属国なっていて出てくる出ローマ事件が聖書の全部だと見ることができます。このような時ごとに、神様は人物を用いられました。
(2)カレブ、イザヤ、パウロ
1)私はどのように見るのかというと、出エジプトで一番重要な人物は誰でしょうか。このように尋ねれば、皆さんは全部モーセと言うでしょう。私もそのように考えます。またヨシュアだと思うでしょう。私もそのように考えます。ところで、私は考えが少し違います。神様はモーセを通して出エジプトしようと決意されたので、可能なことでしょう。しかし、出エジプトの最も重要な人物は、本当に重要な人物は隠されているカレブです。私はそのように見ます。皆さんが教会でもそうで、仕事をしながらもそうで、多くの苦しみがあったりもします。それが重要なのです。他の人には認められることもできなくて、理解もできないことなどが多いのです。難しいことが多いのです。そのような中で、とても重要な役割をしたのがカレブです。
▲カレブがした仕事の中で、3つくらいのことは、とても重要なことをしました。
①12人の斥候を送ったところ、行ってきて10人が、もう行くことができないと言ったのです。このようになれば、どうなるでしょうか。会議をするのに、それもイスラエル民族をみな待機させておいて12人の斥候を置いて会議をするのに、行けるかと言ったら、10人が行けないと...いっそ会議をしなかったら良かったでしょうに、会議をしたので、10人が行くことができないと言ったのです。科学的に、地質学的に、条件で見る時、行けないと言います。軍隊組織を見る時、行けないと言います。そして、施設やシステムがだめだと言います。行けば無条件にみんな死ぬと言います。10人がそうでした。そうするから、イスラエル民族が聖書を見れば、みんな号泣したとなっています。このような時に違うと話した人がいたのです。それよりさらに重要なことを見た人がカレブです。さらに正確に話しました。私たちが来る噂を聞いて、すでにカナンの地の指導者は、全部、失望したり、逃げたりしている。今が機会だ、彼らは私たちの餌食だ。すでにその土地を主が私たちに与えられた。だれが正確に見たでしょうか。だれのことば通りなったでしょうか。カレブがヨシュアと一緒に話したのです。ところで、モーセが聞いて判断するべきなのに、カレブとヨシュアの話を聞きました。入ったら勝利しました。完全に行ってみたら、ぴったりカレブの言葉通りなりました。エリコの城壁を回ったのに、軍人1人見えません。心がしなえたとなっています。皆さんの家に強盗が10人入ってくれば、心がしなえませんか。ですから、ものすごい軍隊が来たから、心がしなえてしまいました。りっぱな人物です。このような人物が必要です。
②そして二番目、大変なことをしました。それが何でしょうか。モーセが突然、死んでしまいました。それで、ヨシュアを指導者として立てました。これがまた重要です。私は今まで仕事をしながら、人を見れば、ほとんどみなが自分が現われなければ仕事をしません。しないことまでは良いのです。邪魔します。文句を言って、力を抜く言葉も言って、ぶつぶつ言います。大部分がそうです。それが小さい人物です。カレブがこのように話さなければなりません。いやモーセに仕えて、あなたはこちらの腕、私はあちら腕で仕事をしてきたではないのか。あなただけすべてしても良いのか。このように話さなければなりません。同じように苦労したのに、あなたは高麗人参の根を食べて、私はだいこんを食べるのか。このように出て行ってこそ、正しいのではないでしょうか。聖書には、このように記録されています。カレブは、モーセに仕えるようにヨシュアに仕えたのです。こういう人物が必要です。
▲人は大変なことしていると、このようなのもあって、あのようなものもあって、こういう話ああいう話...そこで、皆さんの未来がみな出てきます。今、私たちがただ見るのではなく、レムナントをよく見て下さい。仕事をさせてみれば、みな分かります。そして、問題が起きたり、できごとが起きたり、複雑になれば、みな目立ちます。人格、隠されたこと、性質、みな出てきます。この訓練が普通の訓練ではありません。それをすべきなのです。私は考えで、私達の子どもたちに良くしてあげるのも良いのですが、そのように育ててはいけないと思っています。カレブのような人物は、ヨシュアをモーセに仕えるように、また仕えたのです。皆さんならば、そのようにしますか。普通、教会で教役者だけ、ほとんど20年ほど副教役者をしたのに、ほとんどみな話しかけるのを見れば、話は正しいのですが、理由は違ったことにあります。なぜ私を疎外するのか、そうでしょう。そこには神様もなくて、真理もありません。そうだったカレブは、本当に同じように苦労したのですが、ヨシュアをモーセに仕えるように、また仕えました。
③三番目です。この人が本当にまた困難が生じました。入ることは入ったのですが、アナク山地を占領できないのです。他の人はみなおじけづいているのに、この時、老いたカレブが出てきました。そこに出てきて言う言葉を見て下さい。私たちがカデシュ・バルネヤでしなければならない時、みな入れないと言っただろう。ところが、主のしもべのあなたと私が、私たちが今、カナンの地に入れると話しただろう。その時、神様のしもべ指導者モーセが私たち見て、行けると話したではないか。ところで、私たちは入って来ているだろう今。アナク山地を私にください。その言葉は、これをくださいという言葉ではありません。死を私にください、そういうことです。私の年が今85才だ。ところで、どれだけ誇張して話したかというと、その時も今も、足は走るのが同じだ。もし、主が私とともにおられるなら、結局、その土地をくださるだろう。もしという言葉は、疑う時に使う単語で、結局は確信して言う時に使う単語です。その二つの単語を一緒に使いました。自分自身に対してはもしだが、神様は結局です。
▲私が見る時は、出エジプトの最も重要な人物だと見ます。
2)イスラエル民族がバビロンから出る時、多くの人物がいましたが、私が見る時は最も重要な人物がイザヤです。出てくる時の人物ではありません。イスラエルの人物は、入って出ることを預言して、殴られて死んだではないでしょうか。イザヤはトップに切られて死にました。そこに全部、利権争いする人がイザヤの首をはねて、殺したのではないでしょうか。ところで、イザヤの言葉通りそのまま成就しました。その時は、すでにイザヤは死んでいました。どのように戻るのかまで、みな預言しました。それで、イザヤ書を旧約の福音書だと言います。そこに福音が正確に出てきました。イザヤ7:14はキリストが来られるインマヌエル、処女誕生まで話しました。そして、イスラエル民族がキリストをどのように十字架をつけるかも預言しました。どのようにイスラエルが戻るか。預言しました。私が見るには、最も重要な人物です。
3)イスラエル民族が出ローマをして、ローマを征服するには、私はペテロではなくてパウロだと見ます。私が福音のために苦難を受けましたが、それは感謝なことだと言いました。パウロがそのように話しました。パウロは福音のために監獄に入っているから、うれしいと言いました。正しく何かを見たということです。
▲私たちは多くの仕事をすべきですが、さらに重要なことがあるということを知らなければなりません。私たちは、また多くのレムナントに恵みを与えましたが、それでも私たちは力不足です。核心の時に話しますが、仕事が重要なのではありません。仕事をして、さらに重要なことがあります。それを知らなければだめなのです。それで、私たちはいつも仕事をする時、また、たくさん苦労する方々が、またこれからすべきだから2つのことを銘記しなければなりません。

1.人間主義
▲人間の考えは目先のことはできますが、大変なことはできません。小さいことはできます。しかし、本当に大変なことはできないのです。それを私たちの働き人は、いつも記憶しなければなりません。
(1)社会的概念
▲これは世の中の人の概念です。私たちは未信者ではありません。未信者に一番良い単語が、人間主義です。
1)ヒューマニズム、とても良い単語です。皆さんルネサンス運動がヒューマニズム運動ではないでしょうか。とても良い単語です。
2)その中で、とても重要なことは民主主義。これが人間主義の重要な概念だから、良い単語です。
(2)信仰的概念
▲しかし、私たちが信仰的概念で見る時は、危険がたくさん含まれています。
1)人が根本になる主義です。人が主人になる運動です。違うでしょうか。このように高慢な運動はありません。このように悪いことはありません。このように人間が見間違っていることはありません。
2)私は私の主人になることはできません。主人の概念はなんでしょうか。主人の概念というのは、思いどおりできるのが主人です。ところで、思いどおりにできるでしょうか。できません。私に思いどおりにするならば、私はたくさんではなく、ぴったり99才まで生きたら良いでしょう。私たちのレムナントが起きることちょっと見て死のうと。私の思いどおりになるでしょうか。それが私の思いどおりになりそうなら、どれくらい良いでしょうか。それは主人の思いどおりになります。私の主人は私ではありません。私の主人は神様です。そのために人間主義という言葉は、とても悪いことなのです。未信者が使った最大の単語ですが、私たちには参考しかできません。
(3)人を生かす概念
▲人間主義もよく使えば良いのですが、よく使った人がいます。人間主義を最もよく使った人がダビデです。とても人を生かす人間主義を使いました。
(4)失敗
▲しかし、大部分、人間主義で失敗するのです。小さいことではありません。
1)アブラハムが度々、序盤に人間主義を使ったのです。それで、それとなくおいを愛するふりをして、連れて通いながら使おうと。さらに重要なのは、神様の約束が信じられません。息子を与えると言われたのに、どのように息子ができますか。私の老いたおばあさんをとらえて。事実上、隠されたアブラハムの心は何かというと、神様のみことばはどうしても役に立ちそうではありません。今、おいを連れて通わなければならなくて...他の人が見れば、とても義理がある人のように見えます。連れて通うからです。他の人が見る時は、当然なのです。叔父がおいの面倒を見てあげているのです。ところで、神様がご覧になる時はそうではありません。あなたの子孫によると言われたのに、それを信じなかったのです。それで起きたすべてのことが今まで問題になっています。あのイスラムの先祖、イシュマエルがその時、生まれたのです。ある日、アブラハムが悟るのです。ロトが離れた後に、東西南北を見回してみなさい。わたしが、あなたが踏む地をあなたに与える。永遠に与える。皆さんの事業を永遠に守れる方は主なる神様です。そうでしょう。仕方ありません。私たちは神様の前に立つのが最も重要ですが、しばしば揺れるようになります。
2)エサウを見て下さい。エサウは男らしかったのです。賢かったです。皆さんの婿にするために見るなら、ヤコブを見なくて、エサウを見るでしょう。エサウは健康で男らしくて、ヤコブはおかゆでも沸かしているような人です。エサウは猟師です。ところが、ヤコブは家で皿洗いしていました。エサウは、男らしく、毛深かったのですが、ヤコブはまた女のようでした。皆さんが嫁入りするなら、全部、エサウのほうに行くでしょう。多分。しかし、エサウには問題がただ一つありました。神様の恵みには関心がなかったのです。普段にエサウが持っていた考えです。神様の中の祝福、それが何か見えず、煮物のほうが良かったのです。煮物一杯と変えたでしょう。ヤコブの良い点がなんでしょうか。嘘まで言いながら、神様の恵みを受けようとしました。これが違うのです。だから、結果はものすごい結果が生じました。エサウの子孫は、最後まで問題になりました。本当に不思議でしょう。エサウの子孫がどうなったか知っていますか。エサウの子孫は、エドム族です。後ほど、イスラエル民族が出バビロンして戻ってきた時、一番邪魔したのが誰でしょうか。エサウの子孫です。神殿建築を告発して、中断させたのがエサウの子孫です。これが怖いのです。
3)そして、ヨセフの兄たちを見て下さい。
4)そして、預言者バラムが何のために預言者が神様の民を呪おうとお金を受け取って、そのようにしたのでしょうか。どれくらい人間主義は怖いことでしょうか....
5)アナニヤとサッピラを見て下さい。他のことは何もありません。人の前で、これだけ中心でつかんだので、アナニヤがサッピラがそうなったのです。
▲それで、多くの働き人は、神様の前で恵みを受けて下さい。歌手がなぜ麻薬をするのでしょうか。人の前で多くのことをしたので、そうすると、疲れてものすごい問題が集まるのです。ですから、そのようなことをするのです。酒場全体を占領して、飲んで、堕落するのです。とても寂しくなって。ところで、私たちは今、これから多くのことをすべきなのに、私たちは神様の前でなく、人の前でしてしまえば、さらに問題がきます。それで、私たちの働き人の多くの人々が力を受けて、神様がくださる祝福と多くの力と恵みを受けなければなりません。

2.神様中心主義(神本主義)
▲神本主義は、神様中心は、世界を生かせます。
(1)神様-創世記13:14-18,創世記22:1-20
▲アブラハムがロトを送った後に。不信仰を捨てて神様前に立った後にということです。変でしょうか。祭壇を築いたのですが、神様はアブラハムを祝福され、しもべだけ318人です。本当に不思議なことでしょう。ロトはダウンタウンを選択して、アブラハムは山を選択したのですが、ロトは捕虜になって、アブラハムは勝利したということです。ロトはお金になる地ソドムとゴモラを占めており、アブラハムはお金には一つもならない土地を占めました。後ほどロトは戦争が起きて捕虜になりました。こういう結果が出てきます。
(2)神様-創世記45:1-15
▲ヨセフを見て下さい。ヨセフがいつも持っていたことです。兄が私を売ったのではない。同じ話をしました。神様が私を売ったのだ。兄が売ったことでなくて神様が。私が奴隷で来たのでなく神様が。パロ王の前に立った時も神様が。とても優れたヨセフが自分を自慢しないで神様が..これが神本主義です。
(3)神様-I列王19:1-20,Ⅱ列王2:1-11,Ⅱ列王6:8-24
▲エリヤ、エリシャを見て下さい。最後までついて行きながら何と話したでしょうか。神様があなたにくだったその霊を私に倍にください。
(4)神様-ハガイ2:4-10
▲バビロンから戻る時、預言者ハガイが何と話したのか分かりますか。空と海と地と国々が揺れ動くだろう。主の御告げ。4,5回言われました。短い言葉なのですが。なぜでしょうか。私たちを生かすのも、死ぬようにするのも、主の御手にあります。なぜ、主の御告げだと言われるのでしょうか。信じないからです。事実は、主のみことばの力を信じないから。引続き話されました。天が揺れ動くだろう。地が揺れ動くだろう。海が揺れ動くだろう。国々が揺れ動くだろう。主の御告げ。無知のように見られるのですが、これが世界を生かすことができるのです。ハガイがずっと話しました。
(5)神様-ピリピ3:1-20
▲最高の知識人パウロが何と話したでしょうか。私は得たものもなくて、成就したのもない。キリストの手に捕えられた、それをつかもうとしている。そして、驚くべき話をしました。上から呼ばれた報いを追いかけて行く...そして、私の国籍はローマ市民権でなく、私の国籍は天にある。そのように話しました。
▲それで、私たち多くの働き人が、とても重要なことは、仕事なしで生きられないから、それのために生きるようになります。核心の序論で話すつもりですが、ここで結論で話します。仕事のために恵みを受けたり、仕事のために試みにあう人は、良い信仰人ではありません。未来を心配しなければならない信仰人です。仕事のために恵み受けたり、仕事のために試みにあえば、絶対に良い信仰人ではありません。もう一度、覚えなければなりません。仕事のために恵みを受けたり、仕事のために試にあえば、絶対に良い信仰ではありません。理解できなければ、ある日、思い出すようになるでしょう。多くの働き人は、仕事をすべきです。私たちのタラッパンは、とても重要な時刻表の中で、神様の仕事をしていくべきなのですが、皆さんが仕事で恵みを受けてはいけません。仕事で試みにあってはいけません。それでは、後ほど、神様、どうしてそうなのですかと言いますが、違います。それで後ほど失敗して教会が..こうなるのですが、違います。後ほど神様はおられるのか、おれないかとなりますから、違うのです。そのような罪をずっと犯すのでしょうか。それで失敗するのです。働き人は、仕事をする、それが問題ではありません。上手にした、それも恵みを受ける必要はありません。神様の前に立たなくてはなりません。なぜでしょうか。信徒ならば...未信者ならば、そのような必要はありませんが、神様の前で。これが自分自身が生きる道です。それで、これを植え付ければ世界を生かせます。

※理由
▲理由があります。人生の最後は神様の御手にあるからです。
(1)人生
▲いくら大きい大声を張り上げても、人生は神様の御手にあります。
(2)結果
▲皆さんのすべての働き、仕事の結果も神様の御手にあります。
(3)OMC
▲サタンは必ず邪魔するのですが、聖霊の働きには勝てません。ここに心が通じる人が手を握ることをOMCと言います。献金が多いのがOMCではありません。このことに心が通じる人が産業宣教に集まって手を握るのです。これがOMCです。この人を通して神様は世界を生かされるのです。
▲それで今、私たちの外国、あるいはレムナントの子どもまで、今、多くの訓練を受けているのですが、これを悟れなければ、そのまま過ぎ去るようになります。そうでなければ損をします。そのために皆さんがいつも記憶しながら、足りなくてもうまくいっても、神様の働きを見ながら行かなければなりません。それでこそ、私が生きるのです。すべての働き人は、たくさん苦労したのですが、神様の恵みをたくさん受けた、そのような祝福の機会があることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。

(祈り)
イエス・キリストの恵みと私たちの神様の大きい愛と聖霊様の働きが、一時代を生かすすべての産業人の上に、今からのちとこしえまで、いつも共にありますように。アーメン
(The end)