[2008年9月6日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


OMCの使命(59)
新しい考え(心)
(ピリピ4:6-7)



☆☆☆要約資料☆☆☆
1.産業人、重職者、OMCのメンバーは最高の祝福を受ける人
(1) 世界福音化
 ① マタイ28:16-20
 ② マルコ16:15-20
 ③ 使1:8
(2) 文化の祝福
 ① 使13:1-12 ② 使16:16-18 ③ 使19:8-20
(3) 経済の祝福 (ローマ16:1-27)
2.最高の祝福を受ける方法 (ピリピ4:6)
(1) すべての悩みは祝福
(2) すべての悩みは祈りの課題
(3) すべての悩みは感謝の根拠
3.最高の答えを味わう方法 (ピリピ4:7)
(1) 神様の完全なる知恵
(2) 神様が与えられる平安
(3) 神様が与えられる心と思い
※ ピリピ4:10-13
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
→序論
▲今、地球上で私が知っていることでは、伝道のために毎週このように集まる牧師が、私が知っているのでは私たちの団体以外にないと思います。それも一年、二年ではなくて、十何年間、私たちがどのようにすれば伝道できるかといって、全国から世界で核心の集いをする、こうしたことも初めてのできごとです。そして、実際に伝道のためにレムナントを置いて、また伝道現場を置いて集まる産業宣教もないでしょう。
▲この前、産業宣教をした長老が、このような話をしました。本来、その方はタラッパンする教会ではなかったのですが、産業宣教をしていたということです。ある地域で産業人を置いて祈らなければならないと気がして始めたのですが、いくら努力をしても集まらないということでした。その方の告白です。いくら有能な講師をいろいろと呼んでも来ないということでした。
▲今、私たちのタラッパンを見れば、十数年間に、長老と重職者が産業宣教にずっと集まるということは、奇跡の中の奇跡です。
▲また私たちはレムナントをおもに育てなければならないから、もう少し考えなければならないこともあります。初代教会の産業人、重職者、OMC会員は、最高の祝福を受けたので、皆さんもそのような祝福を受ける人々です。

1.産業人、重職者、OMC -殉教
▲初代教会の産業人は、宣教現場、伝道現場にみな位置していて、この人たちが重職者だったために、私たちが今これを回復しようとするのです。OMCという単語は、ローマ16章から捜し出した単語です。私はこういう考えをしてみました。私たちは一度も考えてみなかったことですが、そのまま通り過ぎる話ではないでしょうか。この人たちは、ほとんど殉教しました。皆さん、私たちは単に殉教したようだ、こう思わないでしょうか。この人たちが行って、監獄に入って投獄されて、ほとんど現場で死んで、そのようにしたのです。ところで、この人たちが、ほとんど昔の記録を見れば、中で飢え死んで殴られて死んだのでした。人には色々な使命もあるのですが、権利がないのでしょうか。食べるのは最も基本なのに、それを食べることができなくて、ほとんど飢え死んだのです。その当時に、監獄というと明らかです。パウロが枷をはめられていたということでしょう。単に監獄に入ったのでもありません。今は監獄から逃げられないのですが、その時は逃げられるから、枷をはめて、手足を縛っておいたのです。その中でも、手紙を送ってメッセージを送ったということは、普通の事件ではありません。私たちは一度考えてみる必要があります。私たちが今、出て行って、どのように殉教する、命をかける、これが重要なのではなく、そこに対する重要な理由を、私たちは理解しなければならないのです。
(1)世界福音化
▲こういう中で世界福音化をしたのです。マタイ28章、イエス様がおっしゃった通り、あらゆる国の人々を...こういう極限の状況の中で、すべての造られた者に、地の果てまで行ったという事実。
(2)文化の祝福
▲私たちに一番難しいのが貧困なのですが、この人たちは、こういう難しいの中で文化祝福を味わいました。使徒13章、使徒16章、使徒19章の事件がその当時の文化なのですが、これを完全に変えたのです。
(3)経済の祝福
▲ところで神様がローマ16章にある、こういう人々を通して経済の祝福を味わうようにさせました。
▲これが、確かに皆さんが受ける祝福なのですが、考えをよくするならば、とても答えの門が開かれます。私たちは、今、多くの祝福を受けて条件が良いのです。

2.最高の方法→ 心配してはならない。あらゆることに感謝をもって祈り
▲今日の聖書に、パウロはそのような人を見てこのように話しました。何も心配してはなりません。それとともに、すべてのことに感謝をもって神様に求めて祈りなさいと言いました。これが今、私たちに最高の方法です。それでは、私たちが一度考えてみる必要があります。初代教会の重要な働き人は、殉教しながらも働きをしたのですが、今私たちの状態はどうでしょうか。私たちの状態は、とても良いのが欠点です。とても良いのです。ですから、初代教会の状況の重職者と信徒を見れば、今、私たちができないこともありません。私たちの考えは今、あまりにも空しいところにたくさん行っていたりもしますが、神様は全部みな準備をしておかれたのですが...今、心配を持ち出したのです。
(1)祝福
▲私たちが目を開いて見れば、これはすべての心配は祝福です。初代教会の人々は飢え死んだのですが、初代教会の人々は殴られて死んだということです。私たちは今、持っている条件がとても良いのです。
(2)祈りの課題
▲すべての心配は祈りの課題です。
(3)感謝
▲そして、すべての心配は感謝の根拠です。
▲それで、私たちは重要な考えを変えなければなりません。いつもではなくても、私たちが一回ぐらいは、この人たちのことを考えてみなければなりません。福音を伝えながらみんな死にました。もし初代教会のこういう状況が出てくれば、どうなるでしょうか。もちろん神様が力を与えてくださいますが、ほとんど脱落するでしょう。それなら今現在、私たちの立場はどうでしょうか。皆さんが持っている問題は何でしょうか。とても腹がいっぱいだから来たものです。全部みな...とても多くて、みな来たのです。そのような考えをしてみたことはありませんか。今、多くの教会、私たちのタラッパンはそうでないですが、たった今、教会が戦って、それが腹がいっぱいで戦うのです。霊肉ともにみな腹がいっぱいで戦うのですが、これが祝福が何かを知らないのです。こういう中で、パウロがこの言葉をどこでしたかというと、監獄でしました。何も心配しないで。ただすべてのことに祈りと願いをもって、そのままするのではなく、感謝しながら申し上げなさい。それではどうなるでしょうか。

3.最高の答え
▲最高の方法ですが、最高の答えが準備されるのです。そうすれば、すべてにまさる神様の平安が、キリスト・イエスにあって、あなたがたの心と思いを守ってくださいます。
(1)完全な知覚
▲確かに神様は完全な知覚を持っておられます。
(2)平安
▲そして、神様は確かに私たちに与えられるのが、世の中が与えるのではない平安を与えてくださいます。
(3)心(考え)
▲それと共に、答えの中の答えが何かというと、あなたがたの心と思いを守られます。
▲それで、皆さんが教会に行けば、集いもして、また会えば集いもして、たくさんするでしょう。このような時、いつも思わなければなりません。その時、いつでもみことばを少し思わなければならないのです。可能ならば、一番良い方法は、関係別に集いをする時、聖書を読んで勉強するのではありません。神様が私にくださったみことばが何だ、この話をすれば、それがものすごいパワーなのです。少しだけ思ってしまえば、答えはとても大きいのです。
▲私が昔に、およそ30年前に弟子訓練する方法がそれでした。その時は状態も難しかったのですが、神様がこのようにみことばをくださったということを話そうとすれば、話す言葉がありませんでした。なぜなら、聖書66巻あるのに、私は今、受けた答えがないので...それでは、どうなるでしょうか。うそをつくようになります。ところで、うそが通じるでしょうか。その時、私が考えるようになったのです。この人たちが、今、弟子なのに、この人たちに、今、何の話をすべきなのか。神様のみことばは全能なみことばで、確かに神様がこのようだとなっているのに、私はそうでないでしょう。今多くの神学者が学校で集まって聖書勉強するから問題がくるのに、彼らに生きているみことばを話さなければならない、これが重要なことだという話です。皆さんが弟子訓練の中で最高の重要な弟子訓練がそれです。生きている神様のみことばを伝達するのです。
▲その時、私がこう考えました。これはパウロが監獄でした話ではないのか! 私より状態がはるかに良くない状態である話ではないのか! もし私が今、監獄に行ったとすれば気を落とすのではないか! そして、私のみことばを聞いている弟子が、もしパウロのように監獄で枷をはめられていれば、とてもほろびたと思うのではないのか!私が受けた答えがものすごいな!私は今、教会から謝礼までもらいながら、伝道していて、習っているのに、これがどれくらい大きい祝福だろうか!こうするから、みことばを与えることがありました。これが弟子訓練の中の弟子訓練です。これが皆さんが持たなければならない信仰生活の中の信仰生活です。
▲ほとんど皆さんの問題が来ているのが、腹がいっぱいで来ているのです。それでは、神様がお腹をすくようにすれば良いでしょう。その道しかありません。皆さんがほとんどみなが、私は朝起きてみれば、夜明けに走るおばさんたちがいます。汗をダラダラ流しながら、走っているのです。何かをしているようだったのですが、ヤクルトを配達していたのです。私はその時、その女の人を見ながら頭の中にかすめることがありました。それが美しい、悪いという以前に、あの女の人は、今、朝早く起きて、お金を儲けようとあのように配達に走るんだな...どこまでも私の予想です。あの女の人は、多分、夫が難しいようだ。そのような気がしました。今、この時間には子どもたちにご飯を準備して、学校に行く準備をしなければならないのに、あのように走ることを見ると、多分、暮らし向きが難しいようだ...それで、私が私たちの教会の信徒を一度考えてみました。そして、私たちの家族を一度考えてみたのです。本当に、私たちはあまりにも受けた祝福も知らずに、感謝もなくて、真の考えもなくて、みなないのです。皆さん、とても重要な話です。私たちがみことばを分かちあう時、神学的にどうであれ、字的にどうであれ、これも重要ですが、それよりさらに重要なことをのがしてはいけません。

→結論-私たちがみことばを見る時
(1)参考にすること
▲私たちがみことばを見る時に、いくつかのことを参考に必ずすべきです。何を参考にしなければならないのでしょうか。もちろん、聖書は何か記録されているか、それも重要です。聖書は何の字で、どのように記録されているか、それが聖書を読む方法です。しかし、そのように読んではいけません。聖書のこの事件は、どのように起きたか。私たちはしばしば、そのように見ます。そのとおりですよ、それが違うという言葉ではありません。聖書に、このようになっているから、私たちはどのように仕事をすべきか...このように聖書を見ます。ここで失敗をするのです。だから、聖書勉強をいくら長くしてもだめなのです。聖書はそうではありません。神様が何の計画を持って進行されたのか。これを見なければなりません。それで、私たちの牧師が説教をして、例をあげて、誤ってはいれて、統計を話して間違って言うこともあります。私は、それがそれほど重要だと思いません。どうせ統計の資料などは、他の人が作ったことを見て引用するのだから、そのように大きい意味はありません。それが重要なのではないのです。神様が、このみことばの中で何とおっしゃるか、その話です。ところで、これを初代教会が読んだのです。今は、私たちがみんな殉教しても、この福音を伝えなければならない、今は苦難を受けても、私たちはこの福音を伝えなければならない。それを読んだのです。だから、どれくらい重要なことになるでしょうか。これが短い時間ですが、皆さんが祈りの答えを受けて、神様のみことばを握ることができる、とても重要な方法になります。
(2)ピリピ4:13
▲それと共に、ピリピ4:13に、こういうみことばが出てきました。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです...この話をした時、パウロがした話はものすごいことを置いてした祈りではなくて、とても簡単な話です。監獄の中にいても、大丈夫だということです。私が苦しんでいても大丈夫だ。私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。そのように、パウロが告白をしたのです。
(3)根源、義人、能力者
▲三位一体の神様が、私たちを救われたのですが、私たちは神様の中にいれば、誰でも祝福の根源を得ることができます。
▲キリストの中にいれば、誰でも義人になることができます。
▲聖霊の中にいれば、誰でも能力者になることができるのです。それなら、心配する必要はありません。何も心配しないように。
▲今日、皆さんの心配事がありますか。初代教会の殉教者と比較してみましたか。皆さんが受けた現在の祝福がどれくらい大きいでしょうか。ところで、私たちは心配しているでしょう。それがもう腹がいっぱいだからの心配です。ですから、時間が多くてする心配です。それではどうなるでしょうか。答えは出ています。腹がいっぱいだから心配ならば、神様がお腹がすかせるべきでしょう。時間が多いからする心配ならば、皆さんの時間を緊急にさせてあげるべきでしょう。時間を緊急にさせれば皆さんは病院に行く道しかないけれど..これが簡単な問題ではない。
▲それで何も心配せずに、すべてのことに祈りと願いを感謝をもって神様に知っていただきなさい。それが、監獄の外にいる人が面会にきてすべきな言葉なのに、パウロが監獄のなかで外にいる人にしたのです。監獄の外にいる人が監獄の中にいる人に面会にきて、何も心配せずに祈りなさい。こうでなければならないことではないでしょうか。監獄の中にいる人が外にいる人に何も心配するな。人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエス にあって守ってくれます。答えを受ける方法です。皆さんがみことばを正しく伝える方法です。そして、弟子を育てる方法です。その中で皆さんが答えを受ける方法です。それで、私が答えの中の答えは、あなたがたの心と思いを守られます。そのように見れば、今現在、私たちの産業人、重職者は、この時代が流れる中で、とても祝福の場に、今、座っているのです。そのように考えないでしょうか。これを見られなければ、みな見られなかったのです。皆さんが教会史が流れる中で、とても祝福の道に立っているのです。これが皆さん考えと心の中に、みことばでしっかりと握られる時、皆さん事業にも働きが起きて、皆さんの学校にも働きが起きて、皆さんの現場、教会にも働きが起きます。この祝福がすべての牧師と私たちの産業人、重職者にあふれ出ることをイエスの御名で祈ります。祈ります。

(祈り)
すべての問題解決者であるイエス・キリストの恵みと私たちの神様の大きい愛と、聖霊様の働きが、何も心配せずにすべてのことに祈りと願いをもって、感謝で知ってもらいなさいという神様のみことばを握って、神様がくださる考えと心で世界を征服するすべての産業人の上に、今からのち永遠まで、いつもともにおられますように。アーメン
(The end)