[2009年6月20日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


共同体と産業宣教(252)-OMC時代のための答え(19)
簡単なことを逃した世界の教会の重職者・産業人
(使徒2:41-42)




(要約資料)
1.初代教会の当然性を味わわなければなりません
(1) 創3:15 (2) 出3:18 (3) イザヤ7:14 (4) マタイ16:16
2.初代教会の必然性を味わわなければなりません
(1) 使1:1-8 (2) 使1:12-14 (3) 使2:1-13
3.初代教会の絶対性を味わわなければなりません
(1) 使2:1   (2) 使2:9-11 (3) 使2:41-42
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲使徒2:41を見れば、そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。ここに、この日というのは、洗礼を受けた日を言うのですが、必ずそれではありません。ここにこの日ということばは、その日を意味するがそんな話ではないのです。そんなに迫害する中に、弟子が3千人も起きた、その日ということです。
▲なぜでしょうか。
-科学(事実)、人間(条件)、肯定(否定)、神様の前で
私たちの産業人とすべての人々は、いつもこの質問をよくしなければなりません。なぜ、という質問が上手でなければなりません。その時に、必ず科学的に質問をしなければならないのです。信仰生活する人々が、一番、間違うのが、とても非科学的に質問をするのです。科学というのは、事実を言うから、科学的に質問しなければなりません。そして実際に私たちは人間だから、人間的な質問をしなければならないのです。ところで、普通、私たちは質問する時、だめな違う質問をするのですが、肯定的なことと否定的であることをみな考えながら質問しなければならないのです。そうしておいて、私たちは神様の前で質問するのです。こうすれば失敗がありません。事業もこのようにすべきです。それで、あまりにできる側だけ見つめてはいけませ。あまりにだめな側だけ見つめても、人生自体が失敗です。そして、私たちが人なのに、人間に対する条件を全く無視してしまってはいけません。また、とても人が無知に、とても非科学的にしてはいけないのです。私たちはこれをみなしておいて、神様の前で質問するのです。
▲なぜ神様がイスラエルの国を悪条件の中の国に送られたのでしょうか。こういう質問ができるでしょう。何のために、アッシリヤ、バビロン、エジプト、ペリシテに囲まれたところに国を建てるようにされたのでしょうか。こういうものをみな参考にしなければならないのですが、最高には、神様の前で質問しなければなりません。それは何の話なのでしょうか。そばにいる強大国が、みんな宣教対象だ、その話です。それが全部世界へ行く高速道路だというみことばです。私たちはこのように、神様の前に多くの質問をよくしなければならないのです。
▲ところで、神様が全能なのに、なぜ迫害を許されたのでしょうか。こういうものにも、私たちはすばらしい質問が必要です。神様がパリサイ人が教会を迫害するのをご存じではないでしょうか。なぜそれを許されたのでしょうか。こういう質問をしなければなりません。釜山では、私たちの教会のすぐそばに朴00という人がいるのですが、その人が操作して作ったのが、今、タラッパン問題として作られたのです。それで、なぜその人が操作するのを神様がご存じではないでしょうか。神様が呼んで行かれることもできるのに、なぜ健康に置いておかれるのでしょうか。そのようなことが、みな神様のものすごい計画があるのです。
▲その中で最も大きい計画は何でしょうか。福音はどんな問題でも勝てます。私たちが福音にだけ戻れば、どんなのも福音は解決することができるのです。こういう結論が出てきたのです。前のことをみな抜いてしまえば、とても無知な話になりますが、前のことを理解すれば答えになるのです。それで、だまされてはなりません。全世界に多くの重職者と産業人がこの部分をのがすことがあります。それで、だまされてはなりません。そのような難しい中にいるように見られるのですが、使徒2:41に3千人弟子が起きました。それもその日にということです。これは、普通の話になりません。その日に。その日に、このように迫害して難しい中で、その日に。それで終わったのではなくて、みことば運動が継続されました。誰も防止できません。使徒の働きの最後の章、最後の節に何となっているのか知っていますか。使徒28:31に、神様のみことばを少しも妨げられることはなったとあります。神様のみことばは防げません。どんな組織も団体も防げないのです。パウロはこういう話をしました。私パウロは閉じ込められるけれど、神様のみことばは閉じ込めることはできない。こういう重大な部分を、私たちはのがしてはいけません。
▲私たちはおもに見れば、これをなぜのがすのでしょうか。多くの問題をなぜのがすかということです。どんな問題がきても大丈夫ですが、私たちはなぜこの答えをのがすのでしょうか。答えをのがすことは、おもに自分のゆえにのがすのです。そうではないでしょうか。多くの牧師の牧会の葛藤は何でしょうか。仕事をするところできます。多くの宣教師の宣教葛藤が仕事をするところからくるのです。そして、多くの教会でも仕事をするのに、みな問題がくるのです。それで、私たちのタラッパンではちょっとこれから更新しなければならないのですが、これから宣教大会もあるでしょう。私が調べたところによれば、韓国人の宣教師が外に出て行けば99%経済を審議する人もなくて一人でみなします。それは、無知なことこの上なくて、だれも手助けする人もないということです。例えば私が教会をみな置いておいて、インマヌエル教会の献金が出てくるのをみな私が管理すればどうなるでしょうか。簡単な答えです。狂うということです。そうではないでしょうか。これが99%の宣教現場です。こうするから多くのかくされた人材が、たくさん沈むのです。私たちはほとんど仕事のためにそうなのです。重職者が集まって、ある時は、けんかをして、争って、そのようなことが仕事のためにです。それでは、いくら努力しても、ここに閉じ込められて教会が復興できません。皆さんが上手にするように見えますが、それが最も確実な結果で復興になりません。そのタラッパンメッセージで完全福音を適用させてもだめなのです。それで、私たちはほとんどこういうものために祝福をみなのがすようになるのです。
▲それで、私たちの全世界の伝道者と牧師と多くの方は、三つの単語を銘記しなければなりません。

1.当然性(常識)
▲当然することをしなければなりません。それで、この単語は分かる単語です。そうですが、やさしい単語ではありません。当然、すべきことをしなければなりません。そうではないでしょうか。こういうことが、瞬間、瞬間、判断できなければなりません。

2.必然性(至急)
▲その次に私たちは何をすべきでしょうか。必要なことをしなければなりません。必ず必要なこと。必要ないことをしてはいけないのです。私たちが話も必要な話をすべきで、必要がない話をすれば損です。例えば、必要ない言葉を継続したら、人が精神病者扱いを受けます。

3.絶対性(時代)
▲そして何でしょうか。私たちはこの程度ではありません。神様が願われる時代的なこと、絶対的なことを見るのです。
▲このようにしていけば、間違いありません。ここに対したことをいつも考えれば、例えば牧師がこのようにしていけば、重職者も混乱しません。宣教師がぴったりこのようにすれば、多くの宣教現場の人々が理解がはやくできます。このようにしてしまえばメッセージも生き返ってしまいます。またこのようにすれば、集いも生き返ってしまいます。そうではないでしょうか。
▲当然すべきなことを、でも、少しある面では常識の線でするのです。私たちがあまりに常識以下ならば、大会になりません。人が常識の線で異常にすれば、対話できません。
▲必然性、必要なことということは、今、私たちに少し緊急なことを話すのです。しかし、絶対性という話は時代的なことを話します。この3つの単語を常に記憶しなければなりません。私たちがある面では、お金を使うのにも、このように使わなければなりません。当然に、必ず必要なこと、絶対的にこのように使わなければならないのです。それで、もうけるのが問題でなく、このように使ってこそお金ももうけられるのです。
▲そして、私たちが今多くのレムナントも、このように訓練させなければなりません。このように訓練できないから、そのままご両親が私たちが育てて、このような形でと考えることもできるのです。なぜそうなのでしょうか。福音が3つの性格を持っているためです。福音とは何でしょうか。この3つの性格を持っているのです。人間ならば当然、知らなければならないのが福音です。人間ならば必ず必要なのが、人を生かして、私が生きることです。私たちがここに集まった理由が何でしょうか。絶対的に、この時代に必要なことをするのです。このようにいつも思わなければなりません。なぜなら、福音がそうだから。
▲当然性-聖書66巻の核
創世記3:15、出3:18、イザヤ7:14、マタイ16:16は聖書66巻の核です。これを悟れないのは嘘をつくことです。ところで、私は果敢に宗教人は嘘をつくと思います。あなた自ら何かしなさい。できません。それは人間が何かを知らないからです。人間が多くのことをして修業に励むのでしょうか。できません。それは、サタンが何の存在なのか知らないからです。それで、地球上にはどんどん困難がくるのです。ですから、人間は当然、福音を受けなければなりません。私はいくら勉強がよくできても、福音を悟れなかったとすればそれは本当に頭が悪い人だと思っています。ひとまず、人が悪霊につかれれば頭が悪くなります。ひとまずサタンに捕えられれば頭がおかしくなります。その中で、最も問題は福音を悟れないからです。悟れません。この福音をどのように悟るのでしょうか。どの程度だけ悟るのでしょうか。主が私たちの民族を連れて出て行って、犠牲のいけにえを捧げなさいと言われる。犠牲のいけにえとは何か。今、羊を殺して、血を流すささげ物をささげる、それを神様がしろとおっしゃった。その賢さゆえに、王がびっくりして、この気違いこれは、今、気が抜けた奴ではないのか。このようになったのです。それで命令をくだしました。私が話すこういう語り口が合うという証拠が、王がこれらはご飯は少しだけ与えて、仕事は2倍にさせろと言ったのです。今の言葉で言うと、これは腹がいっぱいで気が抜けたということです。神様は結局は、その言葉をわかる人を用いられました。ところで分からないのです。どのようにわかるのでしょうか。神様の恵みでわかるのに、これは嘘でなく、嘘を度々言うのです。律法をみな守らないのに、守ったように、それがユダヤ人です。罪だらけと言いながら、罪が全くないようにするのがエホバの証人です。とても多くの人々を傷つくようにしながらも、法を守ったと思うのがパリサイ人です。全部、嘘をつくのです。人間がみな嘘をついて自分自ら自分をだますからサタンにだまされるのです。
▲必然性-伝道、聖霊
それで一言で話せば何でしょうか。単なる伝道ではありません。必ず必要なことです。そのために、すべての部分で必要なことを探すのです。それで、どれだけ必要だったのでしょうか。使徒1:1-8は聖書で最も重要な部分になるのです。これは普通の話になりません。なぜなら、伝道が何かを理解しなければならないからです。テオピロよ。私が前の書でと言われています。この言葉は、普通の話ではありません。皆さんが伝道方法も自ら開発しなければなりません。キャンプも自ら開発しなければならないのです。ルカは、テオピロに手紙を書くことでキャンプをしたのです。そして前の書というのは、ルカの福音書でしょう。イエスがキリストだ、その話です。それで、それ以後に起きたことを記録する。それが使徒の働きです。そして、神の国。聖霊がどのように働かれたかを記録する。キリストの御名がどのように証しされたかを記録する。ものすごい言葉です。この話をわかって集まった人々が使徒1:12-14です。その時、神様が最高の働きである五旬節の聖霊で働かれたのでした。皆さんの教会、産業、個人に聖霊が働かれたら、それよりもっと大きい祝福はありません。
▲絶対性-日
今は、この時代を生かさなければなりません。五旬節の日になって。とても重要な言葉です。その日が。この日に見ると、15ヶ国の門が開かれました。この日に見たら、3千人の弟子が起きたのです。ものすごい神様の驚くべき祝福です。
▲さらに重要な段階があります。神様がなぜこの初代教会に問題を与えられたのでしょうか。これは単純な程度ではなくて、より大きい理由があったのです。
(1)更新
▲私たちは人のために葛藤がたくさん起きます。人もいろいろな人がいます。おもに見れば人は3種類の型があります。自分勝手型。自分勝手にするのです。また、ある人は見れば、とても力がない無気力型があります。また、ある人を見れば堕落型です。どれくらい葛藤を与えるでしょうか。ところで、私たちはよく悟らなければなりません。神様は私たちに更新ができる良い機会を与えられたのです。更新の機会です。
(2)システム
▲そして、私たちは必ず銘記しなければなりません。なぜこういう葛藤が度々きて問題が度々起きるのでしょうか。皆さんの教会に行ってみれば、たくさんあるでしょう。神様のとても答えの機会なのに、単なる答えではなくて、システムを作る答えです。こういう部分をよく味わわなければならないのです。
(3)伝道運動
▲そして、私たちはひょっとして教会に問題があれば、それはみな受け入れて超越しなければなりません。その理由が何でしょうか。伝道運動だけ正しくしなさいということです。これが神様のメッセージです。それでは残りことはできるようになっています。私たちすべてのレムナントもそうでなければならないのですが、私たちの産業人、産業宣教が、こういう祝福で出て行かなければなりません。
▲私はこの頃、本当に考えれば前よりとても瞬間的にうれしいことが多いのです。もちろん、レムナントのゆえにです。ところで私がこの頃うれしいのは、およそ30年ぶりに答えを見たためです。なぜでしょうか。結局、できるようになるのですが、いよいよ重職者が起き始めました。それは私が30年伝道運動した祈りです。釜山には、長老が100%今、地教会をみなしています。それで、昨日、見て聞いてみたら、100%地教会をみなするようになって、今日、自分たちが集いをするということです。ソウルも私が見たら、長老が伝道に対する企画をして話しています。神様がご覧になる時、どうでしょうか。それ自体が祝福です。実がなくても大丈夫です。祝福は誰がされるのでしょうか。神様がなさいます。皆さんの未来、経済、いのちは誰が治めておられるのでしょうか。神様がなさいます。いくらもがいても、皆さんが死ぬ、生きるということは神様の御手にあります。ですから、神様がご覧になるときにはどうでしょうか。重職者が集まって、どのようにすれば伝道するのか、企画を組んで、神様がご覧になる時、どうでしょうか。私は考えるだけでもうれしいのです。神様がどれくらい喜ばれるでしょうか。今、一般の教会を見てください。長老が集まって何をするのか分かるのでしょうか。長老が集まって、毎日、教会の心配をしています。今、多くの長老が何をしているのか分かるでしょうか。毎日、集まって、葛藤して、お金の問題に苦しめられています。その程度は常識です。多くの長老が集まって争っています。私はそれを幼い時から見ました。それで、私のことではありません。絶対にあれは違います。それで30年祈ったのですが、今、やっと答えがき始めています。ですから、すべての長老は、今は教会に帰ったら力を合わせて他のことをする必要はありません。伝道企画をしなさい。それで、数年過ぎて見てください。私の話だと聞かずに、聖書を見て、数年過ぎれば皆さんがあまりにも驚くべき証拠を見るようになります。それで、私がまた10年間、感謝したことは、もう産業宣教が正常に回っていくようです。前は産業宣教が、私たちがこのようにみことばのとおり行くのが大変だったのです。今、見ると、ちょっと私たちOMCもできて、全国、世界が今は参加するほど門が作られているようです。昔のことは話す必要がなく、参考にすることは私が話す時は10分以上、事故にならなかったことは言いません。10分以上のことも話をしません。危険が継続される時だけ話すのです。それで、私が何といったかという、それはとても重要だということを分かれば良いでしょう。それで過去に対して何かいうのではありません。ある程度ならば話をしません。このように、神様が10年間に人材を育てながら、もう土台を置き始められました。今日も、私たちの産業宣教の会長であるホ・ジングク長老が私にこのような話をしました。私たちの産業宣教のすべての予算を常任委員会に入れるということした。それが何の話なのか分かるでしょうか。私たちのタラッパンには、教会、総会がすべて合わせた常任委員会が集まります。ここでは、すべてのことがみな話合われます。下でみな作業されて、話合いされて上がってくるのです。それで、重要な政策、重要な経済は全部ここでみな報告が出てきてコントロールしているのです。ですから、この時までは、いつも産業宣教は私の外にあったのです。ですから常任委員会に持って入ってくれば、そのお金を常任委員会に持って行くのでしょうか。絶対にそうではありません。ただ安全に、ここに保管をしておいて、私たちは共に話合いして研究するだけです。これがこのように入ってくるべき全世界が共に引っ張っていけるのです。絵を一度描いてみてください。昔には完全に外に別にあったので、全体が付いてこられなかったのです。親任されなかったのです。なぜなら個人が処理してしまうから、そこに誰が人生を投資してしまうでしょうか。
▲それで、私がいつも頭の中で真に頭が悪いと思っていたのです。私がいつも話すように、ひとまず信仰がなければ頭でも良くなければなりません。信仰がないのに、頭が悪ければ、優しくなければなりません。ところで、本当に頭が悪いことで信仰ないことで、良くないのです。それを三位一体と言うのですが...例をあげてみます。私たちがこれから常任委員会、OMCが何かするといえば、全国と世界が付いて来なければならないのに、そこに付いてくる方法を知らなければならないのではないでしょうか。それでは、これが全体が充分に話合いして管理しているということです。それで、私が産業宣教が今や10年ぶりにわかったようだと思いました。昔には対話できませんでした。幹事が誰が入ってきたのか、予算はどれくらいなるのか、事故が起きれば、なぜ起きたのか、全く知りませんでした。ある時には、しばしば経済事故を起こして、誰が詐欺を働いても知らなかったのです。私が今、初めて話すのですが、そのような形でいつもきました。ですから、神様がご存知で、祝福されないのです。皆さんがどれだけ世界を生かす重要な人かということを分からなければなりません。
▲皆さんが今、私たちが使ったこういう単語を一度見てください。こういうものは、ある面では信仰生活の最も基本だと言えます。また他の見方をすれば、最も遠く見なければならない最高のことだと見ることができます。必ず産業人、私たちの重職者が、皆さんの教会ごとに神様が願われる当然で必然的で絶対的な祝福が臨むようになることをイエスの御名で祈ります。祈ります。
(祈り)
イエス・キリストの恵みと私たちの神様の大きい愛と聖霊の働きとが一時代を生かす私たちの産業人、重職者の上に今からのち永遠まで常に共におられますように。アーメン
(The end)