2011年3月3日 伝道訓練院開講セミナー 
場所:ソウルイエウォン教会 講義:柳光洙牧師 (整理:チャ・ドンホ牧師)

神様が願われる所にいる人
(ピリピ1:3-6)



〓要約資料〓
序論
▲いままで、みなさんは多くの準備をして来ました。もう本論に入り、私たちが伝道者の生活を送らなければなりませんが、何をよく見て開始をすべきかということが今日の講義です。詳しくとらえて実践を始めなければなりません。
▲目-時刻表、道しるべ、目標-弟子
神様はどこに一番関心が多いのでしょうか。神様はどこに関心を持って目をおいておられるのでしょうか。神様は永遠という時刻表を持っておられるのですが、神様が最も重要なことを行われる時刻表はどこなのでしょうか。神様は万物をみな動かしておられます。その中で、神様の道しるべを成し遂げる、そのところはどこでしょうか。今日の聖書にキリスト・イエスの日まで成し遂げられるとなっているのですが、しかし、神様がどんな目標を成し遂げられるのか、そのような対象がだれかということです。この部分を契約として握らなければなりません。神様は時刻表、道しるべ、目標に関心があるのではありません。まさに弟子に関心があるのです。今日、このピリピ1:3-6の中にいる弟子です。みなさんが、今はこの開始をするのです。それでは、職業と関係なく、神様が働かれるようになっています。この弟子に会いに行く道に合うならば、時刻表、道しるべ、目標が全部見られるのです。
▲それなら反対の質問をしなければなりません。弟子をどこで探すかではなく、神様がなぜ私に弟子を付けられないだろうか。こう思えば答えがぴったり出てきます。そして、それがさらにやさしいのです。何をすべきなのか悩むのでなく、神様がなぜ私に弟子を付けられないのかを考えてください。神様が一番、価値あるようにご覧になるのが弟子です。それでみなさんがこの目を正しく開ければ、みな開かれるのです。完全に神様の主権の中にあります。この言葉をわかってしまえば、わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。福音を悟った人が行くとき、神様が見せようと備えておられます。使徒8:26、主の使いがピリポに。使徒8:29、主の聖霊がピリポに。使徒2:1、五旬節の日になって。どこに、だれに臨みましたかが重要です。みなさんが今はこの答えを得る時刻表がきました。この答えを得ることを伝道者の生活と言います。
▲それでは、今日、みなさんがこれを見つけるために何をしなければならないのでしょうか。ところで、何をしなければならないかという以前に、参考にしなければならないことがあります。必ず参考にしなければならないことが三つあります。その過程が三個あるのです。

1.だまされてはなりません
▲最初に他の関心にだまされてはなりません。しきりにだまされるのです。みなさんは、今すべて受け取っているのに、だまされてしまえばどうするのでしょうか。そして、どこにだまされるのでしょうか。
(1)しきりに序論にだまされます
@葛藤-私たちはしきりに葛藤の中でだまされます。
A問題、仕事のためにまただまされます。
B人、危機のためにだまされるのです。
▲葛藤であるのに、葛藤ではありません。問題であるのに、問題ではないのです。危機であるのに、危機ではありません。神様がものすごくともにおられる通路です。
(2)本論に入ることができなくて、しばしば他のものを握ります
▲本論とは何でしょうか。
@使徒1:1、イエスがキリストです。みなさんは絶対にだまされてはなりません。
A使徒1:3、この時まさに神の国が臨みます。それで、それをすみやかに成し遂げられると言われたのです。
B使徒1:8、そして、少し待てばその時からは人が防止できない力が現れます。このときは、だれも奪って行くことができない働きが始まるのです。
(3)結論-キリスト(インマヌエル)
▲そしてすでに結論が出ています。問題は問題ではありません。答えも答えではありません。ただキリストだけが結論です。それで、神様がその時からキリストだけ私とともにおられるのです。キリストだけ私たちとともにおられます。ここに確かに答えを持っていなければなりません。

2.弟子
▲このときから神様が最も望んでおられる弟子が見え始めます。
(1)15ヶ国(使徒2:9-11)の門が開きました。
(2)使徒2:41-42、3千人の弟子が起きました。
(3)使徒6:7、そんなに福音を防ぐのに一つの地域を完全に生かしました。
(4)使徒19:21、それからは一つの国が見え始めるのです。このように弟子がぱっと敷かれています。
▲みなさんが今日ここに答えを出せば良いのです。

3.ともに(聖霊の導き)
▲そして結論に入るためにともに行くべきです。
(1)oneness
▲私が本当に救われたということは神様の中にいるのです。私が救われたということは聖霊の中にいるのです。私が救われたということは天国が私の背景です。それでonenessになるのです。
@配慮-他の人を配慮するようになっています。
A協力-そして、ある時は私が中心(main)にならなくても協力するようになっています。こういう部分がとても重要です。
(2)個人-このときから、私個人がさらに重要な祝福を受けるようになります。
@ローマ1:9-10、この時から他の人がみなさんを見て、ローマ1:9-10に私が涙であなたがたのためにいつも祈っています。みなさんの弟子がみなさんを置いて常に涙で祈ったらどうなるでしょうか。
Aピリピ1:3-4、牧師先生がみなさんを考えるとき、考えるほど感謝するならばどうなるでしょうか。
BUテモテ2:1、わが子….
Cコロサイ4:7、私の事情を知らせた者と言いました。
▲このともに行くという言葉は、単に一緒でなく、私がとても生きる道になります。
(3)未来(ローマ16章)
▲そして、このともに行くという言葉は未来が生きる道になります。これがまさにローマ16章の祝福です。
▲みなさんは心配をしなければならないものを持っているのではなく、だれも奪っていけない絶対的な主権、神様の子どもの祝福を持って弟子を見つけるようになるのです。

*結論-伝道者の日記(計画表)
▲それなら、みなさんが今すべきことが一つあります。今からすべての神学院生、宣教師訓練院生、ここに参加したすべての方は決めなさい。しばしば言い訳をするのですが、自分の立場に最も合うように決定をしなさい。これがすべてです。それを伝道者の日記と言います。これを自分の立場に合わせて定めなさい。それで、すべての神学院生、宣教師訓練院生はたくさん作らずに、今、入学する方々は2年分で(伝道者の日記-計画表)作りなさい。在学生は1年分で作りなさい。そうでなければ、みなさんの教会の牧師先生に指示を受けて、一生することを作ってみてください。本当にすれば直ちに2つのことが出てきます。私が熱心に行っても1年に40、50ヶ所しか行けないことを知るようになります。それで行ってみれば、行くところはものすごく多いということを知るようになります。今、しているキャンプが違ったということではなくて、それは、その後のことで、みなさんがこの答えを神様の前におろせば、本論の内容が見え始めます。これが伝道者の生活のすべてです。みなさんが何も難しくせずに自分の状態のそのとおり良心を持ってしなさい。わたしが世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。
▲御座(身分)、サタン(権威)この時から神様の国が臨むことが分かりますが、私は何を見たかとすれば御座の祝福が臨みました。私は何を見たかとすれば、サタンの勢力が目に見えたのです。それで、イエスの御名をくださったのだなあ!それで、私は御座の祝福を味わう身分だな!それで、私はサタンに勝てる権威をくださったのだなあ!どんな問題がきても関係ありません。病気になっても関係ありません。みなさんの家に霊的問題を持った人がいるならばより良いのです。私は過去で苦しめられたものがあるならばより良いのです。この時から神様が大きい証拠で働かれ始めます。
▲私がすべての動機をみな捨てて不信仰も捨てて現場に入れば、神様が私に弟子を付けられます。みなさんが一生に神様の答えを見つけ出さなければなりません。さらに正確に話せば、神様が願われる計画表を見つけるのです。神様が願われる計画表を探せば恐れる必要がありません。パウロ、恐れてはなりません。カイザルの前に立つ。みなさんがここにいのちを一度かけてみてください。いのちをかけるということは、なにかをすごくするということではなく、考えをよくしてみなさいということです。私1人でも行って教会を生かすと思いなさい。そのように今日、決断を下せば良いのです。私1人が行って、この働きを持って一つの地域を生かす!それも謙虚に…私のことではなくて、神様の恵みであるためです。それで、教会ごとに生き返るみわざがあるようになります。みなさんの生涯に重要な答えが始まることをイエスの御名で祈ります。
(The end)

〓録音資料〓
序論
▲いままで、みなさんは多くの準備をして来ました。およそ15年準備したと見れば良いでしょう。準備がなんでそんなに長くかかるかと思うでしょうが、他の教団の牧師が立派でないということではありません。しかし、教会の雰囲気が伝道できる雰囲気ではないのです。それで、そのようにかかったのです。長い間韓国教会と世界教会は伝道できる雰囲気が消えたのです。それで、私たちが戦略、システムなど、いろいろなものを確認したのでした。
▲もう本論に入りながら、私たちが伝道者の生活を送らなければなりませんが、何をよく見て開始すべきかということが今日の講義です。みなさんが貴重な時間を使って参加したので短い時間ですが、神様の御声を聞く、そのような時間になるように願います。
▲みなさん1人が教会を生かせます。それでは、何が最も重要なことでしょうか。ピリピ1章をもう一度見ましょう。3節を見れば、私があなたがたのことを思う時ごとに私の神様に感謝すると言いました。みなさんを見て、牧師や弟子たちが本当に思う時ごとに感謝するという気がしなければならないでしょう。祈る時ごとに、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝していますと言いました。そして、6節を見ると、あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。神様が願われる所があります。神様が願われる所にいる人です。ピリピ1:3-6まで読みました。今日の講義はみなさんが握らなければならないことがたくさんあるから、詳しく握って実践を始めなければなりません。
▲目-時刻表、道しるべ、目標-弟子
神様はどこに一番関心が多いのでしょうか。みなさんがそこにいるならば、事実は終わったのです。神様の目はどこに向かっているのでしょうか。もちろん、すべてのものをみな知っておられるのですが、その話ではなくて、どこに関心を持って目をおいておられるのでしょうか。それは神様の@時刻表を成し遂げられる、そこに目が向かっているはずであるけれど、そこがどこかということです。今はこれを握る時刻表がきました。そして、神様は永遠という時刻表を持っておられるのですが、神様が最も重要なことを行われる時刻表がどこかということです。神様は万物をみな動かしておられます。その中で神様のA道しるべを成し遂げるところはどこでしょうか。今日の聖書にキリスト・イエスの日まで成し遂げられるとなっているのですが、しかし、神様がどんなB目標を成し遂げる、そのような対象がだれかということです。この部分を契約として握らなければなりません。それがどこかということです。今日の本文をもう一度、見てください。「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです」と言いました。それが何でしょうか。神様は時刻表、道しるべ、目標に関心があるのではありません。まさに弟子に関心があるのです。今日このピリピ1:3-6中にある弟子です。
▲みなさんが今はこの開始をするのです。そうすれば、職業と関係なく、神様が働かれるようになっています。みなさんが力に関係なく、牧会にみわざが起きるようになっています。この部分がとても重要です。ここで今日、すべての答えをみな出さなければなりません。なぜなら、これは(弟子)神様の完全主権の中にあるためです。そうではないでしょうか。神様の完全な主権の中にあるから、私たちはどのように感づかなければならないのでしょうか。それでは、ここに女の方たちがたくさんいますが、女の方たちがお金を千万ウォン出してダイヤの指輪を買ったとします。それも1ケ月に10万ウォン、100万ウォンずつ貯めて、それを買いました。それを買うためにRUTC献金もしなくて貯めたのです。教会は建築すると大騒ぎをしていますが、それをしなくて貯めて買ったということです。それでは、それをどこに置くでしょうか。どこにでも置いておくでしょうか。どこに置くかが、その女の人の心です。ところで明らかなことが一つあります。だれもが手を取ることができない所に置くでしょう。そうではないでしょうか。欲が多い私の妹が見えない所に、泥棒が絶対に持っていけないように置くのです。それが鍵です。それで、ある面では、神様が弟子を隠されるのです。この弟子に会いに行く道に間違いないならば、時刻表、道しるべ、目標が全部見えるのです。
▲それなら、反対の質問をしなければなりません。弟子をどこで見つけるのかではなく、神様がなぜ私に弟子を付けられないのだろうか。こう考えれば答えがぴったりと出てきます。そして、それがさらにやさしいのです。何をすべきなのか悩むのでなく、神様がなぜ私に弟子を付けないかと考えなさい。ある女の人が、ソウルで大きい食堂をしてお金をした千億ウォン儲けました。それで、自分の食堂と財産がおよそ千億ウォンぐらいになるのに、それをいつもきていたお客さんの中のひとりに与えたのでした。みなさんがおわかりの通り、だれに与えたのでしょうか。僧侶にあげました。もちろん、その人が仏教信者でもあります。ところで、その食堂に牧師は食事しに行かなかったのでしょうか。そのおばあさんが自分の財産をみな貯めてすべて持って、もう死ぬころなので、考えを何度も考えて僧侶に与えたということです。これを見れば考えることが多いのです。
▲神様が一番、価値あるように見ておられるのが弟子です。それでみなさんがこの目を正しく開ければ、みな開かれるのです。主権、完全に神様の主権の中にあります。この言葉をわかってしまえば、わたしが世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。そんなに価値がないのではないということです。神様が最も貴重にご覧になる主権の中にある部分です。ところで、新天地(異端の宗教集団)とか何か心配するのですが、そのような心配をする必要はありません。それは神様を信じない人々が言うことです。新天地(異端の宗教集団)に奪われるように、神様は弟子を保管しておられません。
▲福音悟った人が行くとき、神様が見せられようと備えておられます。使徒8:26、主の使いがピリポに。使徒8:29、主の聖霊がピリポに。その前に、こういうみことばがあります。使徒2:1、五旬節の日になって。どこにだれが臨まれたかということが重要です。ですから、心配することがありません。心配するならば、他のことを心配しなければなりません。それでみなさんが今は、この答えを受ける時刻表がきました。この答えを受けることを伝道者の生活と言います。答えを受けるために何をしなければならないかということはもちろんあります。しかし、ここで完全にその答えを出さなければなりません。聞いてみると、他の人の教会の信徒を静かに誘惑して連れていく人があるということです。その人はこれを(弟子)悟れなかったのです。神様の完全絶対主権の中にあります。
▲私はこの頃はあまりしないのですが、昔にはいつも集会がない時は無条件にスリッパを履いていました。私はこのスリッパがとても気楽です。ところで、このスリッパには事故が多く起きます。ですから、釣り場に行けばいつも秘書が絶対にスリッパ履いてはいけないといつも話します。私は釣り場にスリッパを履いて行くのです。一度は、スリッパを履いてクァンジュの食堂に入ったところ、ウエイトレスがじろじろと私を上から下へと見つめたのです。スリッパを履いてきたので、変なのかじろじろと見つめました。あるときは、ホテルのそばの大きい食堂に行って食事をし終えて帰ろうとしたら、スリッパがなくなっていました。私がこう見えても勘が鋭いのは100段くらいです。少し前にある女のお客さんが出て行くのを私がちらりと見たのでした。それでは、その女の人が履いて行ったのでしょう。しかし、だれが履き物を置いておいて、スリッパを履いて行くでしょう。それで、私が1秒後に感づいたのです。お手洗いが中になくて外にあるという事実を…そこが大きいセンターのようなところなので、お手洗いは共同で別にあって、食堂や書店がある所でした。それで私が他のスリッパを履いてお手洗いの前に行って待っていました。私の予想通り、正確にその女の方が私のスリッパを履いて出てきたのでした。それで、私が丁重に行って挨拶して、スリッパが私のものだと話しました。この女の人はうろたえながら、申し訳ないと言いました。それで、大丈夫だと言いながら、私が履いていた履き物と交換しまいした。全く知らない女の人にスリッパを脱いで履いてくださいと言って、その女の人も申し訳ないのか自分も脱いでくれました。それで、私がそれを履いて出てきたのでした。私は全く気分が悪くなかったのです。なぜでしょうか。そのスリッパは1万ウォン(700円)くらいのものです。なくなっても大丈夫です。その家にある何のスリッパを履いてきてもかまいません。そうではないでしょうか。私がそのスリッパで泣き喚く理由もありません。その女の人が私のものを履いて行ったという事実に、すまないと思っただけであって、弟子はそのようなスリッパのようなのではありません。そうなのではないでしょうか。神様の完全主権の中にあります。それなら、簡単に答えが出てくるのです。
▲それでは、今日、みなさんがこれを探すために何をしなければならないのでしょうか。ところで何をしなければならないのかという以前に、参考にしなければならないことがあります。必ず参考にしなければならないことが三つあります。答えは序論と結論から出ます。ところで、この過程が少し重要だということです。その過程が三つあります。

1.だまされるな
▲最初に他の関心にだまされてはなりません。しきりにだまされるのです。みなさんは今みな受け取っているのですが、だまされてしまえばどうするのでしょうか。そして、どこにだまされるのでしょうか。
(1)序論
▲しきりに序論にだまされるのです。大部分、序論にだまされます。残念です。それで、神様がすみやかに成し遂げると言われたのは、何の話なのでしょうか。だまされないでいれば、すみやかに成されるという言葉です。
@葛藤
▲私たちはしきりに葛藤の中でだまされます。
A問題-仕事
▲そして、私たちは問題が生じたら、おもに仕事のために問題が生じるのに、問題ができればまただまされるのです。
B人-危機
▲私たちはおもに人のためにだまされます。
▲ところで、ここにだまされてはいけないのです。葛藤に間違いないのですが、葛藤ではありません。葛藤に間違いないのに、それを知らなければ、それは単に無知なのです。しかし、葛藤に間違いないのですが、葛藤ではありません。問題に間違いないのに、問題ではありません。その上に、人を通して危機が来てしまえば、まさにだまされてしまいます。みなさんが今日、目を開かなければなりません。危機に間違いないのですが、危機ではないということです。ヨセフが奴隷に行ったのが危機に間違いないのですが、危機ではありません。神様がものすごくともにおられる通路です。何の話なのかご存知でしょうか。
(2)本論-他のもの
▲私たちはしばしば本論に入れずに、他のものをたびたび握ります。本論とは何でしょうか。
@使徒1:1
▲イエスがキリストです。みなさんは絶対にだまされてはなりません。牧師のせいで私たちの教会がこのようだと言うのですが、それはだまされることです。牧師が講壇に上がって聖書を読まないで、マンガ本を読んでいるなら、その時は教会を移らなければなりません。そうではないでしょうか。牧師が聖書を絶対に読まないで、ずっと仏典を読んでいるならば移りなさい。それは、牧師が悪いということ以前に、みなさんが教会を誤ったのです。そうではない以上、何の問題になることがありません。ところで、ここでまただまされてしまうのです。牧師のせいでだめだと言うのですが、それでは牧師のゆえによくなるのでしょうか。それもだまされることです。いや長老のためにだめなのですか。だまされてはなりません。キリストはすでにすべての問題みな終わらせたのです。みなさんがここにだまされずにいてこそ、神様の働きはその時から始まります。みなさん本当に答えを受けた人々は何と言ったのか分かりますか。答えが来なくても大丈夫だと言いました。これが止められないのです。本当に答えを受けた人は、病気でも大丈夫だと言いました。死がきたとしても良いということです。
A使徒1:3
▲この時、まさに神様の国が臨みます。それで、それを見てすみやかに成し遂げられるということです。みなさん、それでもなぜ働きがなかったのでしょうか。だまされなければ良いのです。
B使徒1:8
▲そして、少し待てば、その時からは人が止めることができない力が現れます。この時は、だれも奪っていくことができない働きが始まるのです。
▲これが本論です。ところで、本論に入らないで、しきりに他のことをするのです。だれかが間違っているなら、それが間違っているというよりは、私が助けなければならない部分だということです。だれかが間違っているなら、それを間違っていると指摘すること以前に、私がその人を助けて悟るようにしてあげなければならない部分なのに、私たちはまただまされるのです。今日、重職者の方たちは、特にこの契約を握らなければなりません。答えはすでに来ているから神の国はそのときに臨みます。それで待ちなさいと言われたのですが、待てば人の手におえない働きが起きます。
(3)結論-キリスト(インマヌエル)
▲そして、すでに結論が出ているのです。そうではないでしょうか。問題は問題ではありません。答えも答えではありません。ただ、キリストだけが結論です。それで、神様がその時からキリストだけ私とともにおられるのです。キリストだけが私たちとともにおられます。ここに確かに答えを持っていなければなりません。
▲ところで、教会に行けばしばしば問題を作り出す人々が多いのです。しかし、それに気を遣ってはなりません。それを序論の人生と言います。序論の人生を持って本論をしようとしてはいけないのです。単に手助けして、私たちは契約だけ握っていれば、みわざが起きます。ところで、いくらソウル大学を出て、いくらハーバード大学を出ても、私がだまされてしまってはいけません。そして、おもにどこにだまされるかというと、私が少し霊的問題があるという人々がだまされるのです。これが大丈夫だと思うべきなのに、だめだと思うのです。手術をし終えれば、ちょっと良くなった後に行くべきで、すぐに出て行くことはできないでしょう。しかし、事実は手術してしまえば終わったのです。それでは、ちょっと横になっていて、食べ物も食べて休んで出てくるべきで、手術が終わったと、すぐに走っていけばどうなるでしょうか。ところで、今、全世界に少し霊的な問題があるとか、少し苦しめられる人々が、分かってみれば大きい祝福を受けた人々なのに、これをしばしばだまされるのです。それで、どこかに答えがあるかと思って、新天地(異端の教団)にまで行って、みなはまってしまうのです。ひょっとして私たちの神学院生、宣教師訓練生の中に新天地の人がいれば、手をあげてみてください。戦おうとするのではなく、聖書をとてもよく知っていると言っているようです。聖書の学びを一度してみるように、その方たちを一度連れて来てみてください。何の聖書を分かるのでしょうか。キリストならば終わったのです。ヨハネ19:30、完了した。何もないのに、完了したということなのでしょうか。そうです。その時から神の国が臨みます。キリストがキリストであることは間違いないのに、神の国が臨まなければ、私が分からないということです。それで、使徒1:3がカギです。私が私たちの教会がだめなように見えるのですが、そこにだまされなければ成り立ち始めるのです。自分の家に戻ってみると、私の家族がだめだと思ったら、そこにだまされるのです。神様はなさることができます。キリストがすべての災いを崩されました。キリストがサタンを打ち砕かれたのです。キリストが神様に行く道を開かれたのです。それなら、終わったのです。それなら、少しだけ信仰をまっすぐ行けば、神の国が臨むのです。神の国が臨むのに、もう少し待てば、どんな力が現れるのでしょうか。ユダヤ人とローマが防げないのです。

2.弟子
▲この時から神様が最も望んでおられる弟子が見え始めます。
(1)15ヶ国(使徒2:9-11)
▲絶対にマルコの屋上の間に集まれないように法的にしたのですが、15ヶ国の門が開いてしまいました。
(2)使徒2:41-42
▲伝道を絶対にできないと思ったのですが、使徒2:41に見ると3千人の弟子が起きました。今、みなさんの地域に3千人弟子が敷かれているということを知っていなければなりません。しばしばだまされてはいけません。私たちの教会に引っぱってくる必要もありません。それは、だまされることなのです。たとえば、私が伝道したのですが、私たちの教会には一人も来なくてイエウォン教会にみないったとすれば、神様はイエウォン教会も答えられるのですが、私を祝福されるようになっています。その時から講壇が変わるように見えるということです。使徒2:42、使徒の教えを受けて…このようになるのです。その時から、私のそばに座ったこの人が何の価値もない人だと思ったが、門が見えるようになります。それが交わりをしながらということです。前は救われた後に何かをたくさん研究しなければならないと思ったが違います。救い、それ自体が救いです。パンを裂いて。その時から、今は正しい祈りの課題が見え始めます。ですから、祈りに専念するのです。
(3)使徒6:7 -地域
▲それほど福音を防いだのに、一地域を完全に生かしました。例えばタラッパンしない人が9人いて、タラッパンする人が1人ならばその1人が異端です。ところで、ある地域に行けばみなみなタラッパンなのに一人がそうでなければ、その人が異端です。ですから、KBSにはキム・ドクキ長老と何人かの良いメンバーがたくさん集まっているので、そこは雰囲気がタラッパンの悪口を言う人が異端です。だから、みんなみことばを受けてしまったので、祭司の群れも立ち返ってきました。このように不思議なことが行われ始めるのです。
(4)使徒19:21
▲その程度ではありません。今は使徒19:21を見ると、一つの国が見え始めるのです。このように弟子がぱっと敷かれています。
▲みなさんが今日、ここに答えを出せば良いのです。人間主義を使うその人は本当に愚かです。目が暗くなってしまうのです。私がいつも愛する牧師と弟子に会えば、人間主義を使わないでと言うのですが、人間主義を使ってしまえば、この目が暗くなるためです。だから、本当の弟子を見なくて、にせ物の弟子だけ見ます。そのように、思い切り信仰生活をしているのに、去ってしまうのです。こうするから、むしろタラッパンするところで、この目を開けないでいれば、タラッパンしない教会に行くのがより良いでしょう。行くのが問題でなく、弟子でない人を置いて、どれほどの投資をするようになるかということです。

3.ともに(聖霊の導き)
▲そして、結論に入るために、みなさんが必ず記憶しなければならないことが一つあります。ともに行くべきです。みなさんが行けば、教会を生かして、現場を生かすべきなのに、ともに行くということは、単にともに行くという言葉ではありません。仏教で話す、一緒にではないのです。
(1)oneness
▲私が本当に救われたということは、神様の中にいるのです。私が救われたということは聖霊の中にいるのです。私が救われたということは天国が私の背景です。それで、onenessになるのです。
@配慮
▲このonenessになる人々はどのようにするかというと、他の人を配慮するようになっています。
A協力
▲そして、ある時は私が中心(main)にならなくても協力するようになっています。こういう部分がとても重要です。
(2)個人
▲この時から私の個人がさらに重要な祝福を受けるようになります。
@ローマ1:9-10
▲この時から他の人がみなさんを見てローマ1:9-10に、私が涙であなたがたのためにいつも祈っています。神様が証人です。私も常に祈る対象があります。どうでしょう。みなさんの弟子がみなさんを置いて常に涙で祈るとすれば。
Aピリピ1:3-4
▲牧師先生がみなさんを思う時、ピリピ1:3-4、考えるほど感謝するならばどうなるでしょうか。
BUテモテ2:1
▲ここにUテモテ2:1に見ると、わが子….
Cコロサイ4:7
▲コロサイ4:7を見れば、事情を知らせる者と言われています。
▲このともに行くという言葉は、単に一緒でなく、私が生かされる道になるのです。
(3)未来(ローマ16章)
▲そして、このともに行くという言葉は未来が生きる道になります。これがまさにローマ16章の祝福です。
▲何も心配しなくてもよいのです。みなさんは心配をしなければならないくらいのものを持っているのではなく、だれも奪っていけない絶対的な主権、神様の子どもの祝福を持って弟子を探すようになるのです。ところで、これを知らないから、多くの教会が今、減少しているのです。キリスト教に危機がきました。それで、みなさんがこれをする過程で少しだけ基本をそろえれば良いのです。大きく仕事をあまりしなくても大丈夫です。できる人々を見れば、どれくらいきれいにするでしょうか。ところで、だめな人を見れば仕事自体をだめなようにします。ある重職者の方が私にきて相談をしました。その方の話では、私の教会はだめだということでした。正しい言葉でしょう。ところで、私がその方にあれこれ慰めたのですが、一つのことは言うことができませんでした。その言葉をとてもすることができませんでした。私の弟ならば言うのですが、言えませんでした。私の弟ならば話してあげたでしょう。最も大きい問題はあなたでだめになっているということです。なぜなら、今、私に話す、そのこともだめになっていることなのです。この部分がとても重要です。今、弟子がぱっと敷かれています。ところで、私たちはだまされてしまうから、しばしばだまされるようになるのです。そして、この答えを本当に受ければ、ともに行くようになっています。私がともに行かなければならないと思うのでなく、一緒に持つようになるのです。私が聖霊の導きを、デボラ聖霊の導きを受ければ、二人で会って話さなかったのに、同じ道を行くようになります。長老が講壇メッセージを本当に握って、聖霊の導きを受けるようになれば、教会にきて会えば多くの証拠が来るようになっています。この聖霊の導きを受けられなければ、いくら相談しても通じません。約束して法的にサインまでみなしたのに、通じないのです。聖霊の導きを受ける一人の人と聖霊の導きを受けるひとつの夫婦が会うから、はじめてあったのに通じました。それがプリスカ夫婦とパウロです。それで一派になる一緒ではなく、キリストを現わす一緒となるのです。こういう重要な答えが出てきました。

*結論-伝道者の日記(計画表)
▲それなら、みなさんが、今、すべきことが一つあります。今からすべての神学院生、宣教師訓練院生、ここに参加しているすべての方たちは決めてください。よく言い訳をするのですが、自分の立場に最もふさわしいように決定をしなさい。これがすべてです。それを伝道者の日記と言います。これを自分の立場に合わせて定めなさい。
▲前にも話したが釜山の人です。船長だったのですが、からだがあまりに良くなくて船から下りたのです。病院に行ってみたら、肝臓ガンがすでに、あまりにたくさん広がって不可能だと言われたそうです。それで、医師に長ければ6ケ月だと言われたので、この方が決定をしたのです。何の決定をしたのでしょうか。私は何代目でイエスを信じたが、神様がもう私を呼ばれるんだな。それでは、行くしかない。ところが、私がただ一つしていないことがある。それをして行く。決定をよくしたのです。年齢が50歳を越えていたのですが、名簿をずらっと選んでみたら、自分が知っている人がおよそ2千人なったそうです。その2千人に一度も福音を伝えたことがなかったのです。親戚、友人など、知っている人の名簿をずらっと選んでみたら2千人になったのですが、全部に電話したのです。自分はガンになって死ぬと話して福音を伝えたのです。この人が生きる死ぬ関係なく、とても神様の前に申し訳なくて、福音を伝えたのです。病院でだめだと言われたので、すでに治療はやめて、その人の話では簡単に、はやく話したということです。なぜなら、人が多くて、自分はすぐに死ぬから速く話したのでした。ところで、不思議なことが行われたのです。神様が働かれるのは私たちが理解できないことがあります。とうてい本人も理解できず、医師も理解できないことが行われました。この人のからだに奇跡が起こったのです。それで、私に会った時は自分が病人に見えるかと尋ねました。それで病院に確認してみたかと尋ねたら、していないということでした。それでも確認してみなければならないでしょうと言ったら、まだそのような考えがないということでした。ところで、私に会った時が3年になった時でした。確かに医師は6ヶ月以上生きるのが難しいと言ったのですが、待ってみても死ななかったそうです。それで自分はずっと話しているということです。今でも生きています。ところで、それが何かすれば伝道者の日記です。
▲今、牧師先生もそうで、一般信徒もそうで、なにも言わずに、私の状態に合う、私たちの教会に連れていくと目を皿にせずに、ただキリストだけ伝えると決めなさい。どんなことが起きるのか一度してみなさい。本当にしてみなさい。例をあげれば、私は今、決定をしました。これが時間ごとに変わることもあるので、ひとまず、私ができることだけしなければならないから、このように決めました。釜山にすべての教役者、遊んでいる人も仕事をしている人も関係なく、すべての教役者を動員して700ヶ所に同時投入させるのです。行ってみなさい。ところで、行くとき、さっき話したものを捨てて行ってみなさい。そして、ソウルは私が今、お手伝いする教会がインマヌエル教会だから2千ヶ所で同時投入させるのです。みなさんの教会がこのようにしなさいと今、具体的な話をしているのです。ファン牧師の場合は何もせずに2千ヶ所に送ろうとするなら、私たちの教会のすべての教役者を2千ヶ所で分けなさい。連れていっても良いから、他の教会の教役者が参加するといえば参加させなさい。必要ならば、私たちの教会の教役者を派遣する必要もあります。私たちは商売人ではないでしょう。ある面では、霊的な目が開かれた人がいればインマヌエル教会やイエウォン教会のように大きい教会では弟子を派遣する必要もあります。それで2千ヶ所を同時に投入させましょう。一度、入ってみなさい。ところで、この味を知るべきなのに、伝道するからおもしろいとか自分たちの教会が復興するという、そのような味ではありません。
▲奇跡のようなことであって、15ヶ国を代表する影響力ある事業家がそこに入ったのです。それで、この人たちが完全にキリストの前にひざまずいて、この人たちが聖霊に満たされる力を体験して伝道者に変わるのです。全くないと言ったのですが、行ってみたら3千人の弟子が敷かれています。それで、行きさえすればよいのです。ただ、注意しなければならないことは、私が行くのに神様が隠されてはいけないでしょう。これが鍵です。私が行くのに神様が隠してしまってはいけないでしょう。たとえば、私が今財産があるならばだれに任せるでしょうか。その人がちょっと詐欺師のように見えれば任せません。詐欺師のように見えれば、わざわざ見えるお金も隠してしまいます。私たちがそのような対象になれば頭が痛いでしょう。私たちが行く所ごとに神様があらかじめ隠してしまってはいけないでしょう。それで、にせ物にだけぴったり会うようにされたら…それを悩まなければなりません。神様は確かに私のいのちを治めておられます。
▲それですべての神学院生、宣教師訓練院生はたくさん作らずに、今、入学する方々は2年分で(伝道者の日記-計画表)作りなさい。在学生は1年分で作りなさい。そうでなければ、みなさんの教会の牧師に指示を受けて、一生することを作ってみなさい。本当にすれば、すぐに2つのことが出てきます。私が熱心に行っても1年に40、50ヶ所しか行けないことを知るようになります。なぜなら、勉強や仕事をしなければならないから、1週間に一度時間があるかないかだと思います。それで、行ってみれば行くところは、ものすごく多いということを知るようになります。今、しているキャンプが違っているということではなくて、それはその後の話で、みなさんがこの答えを神様の前に出せば、本論の内容が見え始めます。これが伝道者の生活のすべてです。ところで、真の神様がどれだけ正確であるかというと、私が昔に復興をさせようと動いていたときはだめでした。はじめには、偶然に福音病院のガン病棟に行ってみました。深刻でした。それで、この人たちに福音を伝えたのですが、この人たちは死ぬ人々ですが、福音を受ける過程の中で感じたことがあります。その方たちにはちょっと申し訳ない話ですが、この方たちは遅いという気がしたのです。もちろん、救われれば救いは永遠なことで、私たちが生きるということだけがすべてではないのですが、私が話そうとするのは、この人の目標は生きようとすることだと、それが遅いということです。ところで、不思議に私の良心に、私たちが福音を伝えてあげなかったから、この人が聞くこともできなくて、とても時間が過ぎてほろびるようになったということが感じられたのです。この人は、福音を受けようとするのではなく、生きようとするのです。もちろん、福音は受けるのですが、それでちょっと生きるかと思って受ける式ということです。そこで、私はとてもみじめなことを感じたのです。伝道者の生活は、こういうものではないということを分かりました。それで、私が悟ってあらかじめ学校を定めておいて入ったのです。ところで、私がいくらしても学校の勉強もして宿題もするなど、することが多かったのです。ですから時間がありませんでした。私が死ぬほどしてみても1年に50ヶ所も行けなかったのです。それでは、いつ釜山市内の弟子をみな見つけるのでしょうか。それで、こういう計画を立たせたのですが、神様がその時その時ごとに弟子を付けて下さり始めたのです。みなさんが聖書を一度詳しく見てください。すべての答えを受ける人々はこれができています。みなさんが何も難しくせずに、自分の都合にあうそのまま良心を持ってしなさい。わたしが世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。
▲御座(身分)、サタン(権威)
この時から神の国が臨むのと思ったのですが、私は何を見たかというと、御座の祝福が臨んだのです。私ははじめには知らずにこの答えが現れれば聖霊で力ができると思ったのです。しかし、私はそれを見ることができなかったのです。私は何を見たかとすれば、サタンの勢力が目に見えました。それで、イエスの御名をくださったのだなあ!それで、私は御座の祝福を味わう身分だな!それで、私はサタンに勝てる権威をくださったのだなあ!どんな問題がきても関係ありません。病気になっても関係ありません。みなさんの家に霊的問題を持った人がいるならばより良いのです。私は過去から苦しめられたものがあるならばより良いのです。この時から、神様が大きい証拠で働かれ始められるのです。私が残念なのは、この部分をのがして開拓する人々を見れば、建物から購入したのです。それもお金を借りて。このようにするからだめになるしかありません。そして、教会信徒がいればわかりませんが、教会の信徒がいなければ借金を返せません。霊的な目を開いて見れば、だめな側にずっと行きながら、だめだと話をするのです。
▲私がすべての動機をみな捨てて、不信仰も捨てて、現場に入れば神様が私に弟子を付けられます。みなさんが10ヶ所に行けば10人に会うようになっていて、100ヶ所に行けば100人会うようになっています。特に、私たちの牧師は300ヶ所に行けば300人に会うようになります。それから開拓しなければならないのです。今一番の悩みが何か分かりますか。このような形で教役者がたくさんあふれる状況で、この答がなければたくさんいるほど頭が痛いのです。私の前にきて絶対に心配をしない私たちの長老が、釜山ですっと通り過ぎながらした話です。教役者がとても多くて、献金が入ってくれば、全部、謝礼にみな出て行きます。ですから心配したのです。じっとしていればまた牧師になるのに、牧師になればまたたくさん出て行くので悩みでした。それで、私がその言葉を聞いて、なにも言いませんでしたが、恥ずかしいという気がしたのです。この目が開けば、教役者が多いほど利益です。ところで、ここで今、答えを出すべきなのにこの答えを出せなければ、重職者はどのようにすべきでしょうか。ですから、答えを出さなければならないということです。重職者が私たちの教役者のように何千か所に入れるでしょうか。だめでしょう。それでは、重職者は重職者自ら答えを出さなければなりません。ところで、前に弟子訓練をしたとき、この話を聞いて教師一人が答えをぴったり出したのです。私は知らなかったのですが、教師も初めて教師発令が出れば都市に行かずに、外に行くようでした。私は小学校がみな全く同じだと思ったのですが、それもレベルがありました。この方がその話をしながら、自分はいつもある学校に行くために祈ったということです。それが本当に申し訳ないと言いながら、この方が何をしたのでしょうか。学生全体を分けて福音を伝えるのではなくて相談することにスケジュールを組んだのでした。する途中で働きがみな起きました。最後までしていないのに、する途中でです。あまりにも多くのことを発見したということです。とても困難を受けている学生がいることを知らなくて、この子たちに無条件にイエスを信じろと言ったのではなく、相談をしたのに、両親がとても喜ぶとは知らなかったそうです。みなさん、それが伝道者の日記です。英知主義でほろびるようにさせたウォッチマン・ニーですが、はじめはそうではなかったのです。ウォッチマン・ニーは初めは伝道者でした。人々がそうですが、牧師もだれかがちょっと付いて回れば高慢になりやすいのです。本来、ウォッチマン・ニーが学生の時に使った記録を見れば、自分のクラスの学生が自分まで合わせて60人なのに、スケジュールを組んで1人ももれなく福音を伝えたということです。1人以外は、みなイエス信じたのでした。1人はシャーマンの子どもだったのですが、その子は信じないで、みな信じたということです。それが伝道者の日記です。それでは、軍隊に行く人はどのようにしなければならないでしょうか。私が必ず軍の中で弟子1人を見つけると決める、それが伝道者の日記です。それで、私が軍隊に行く子たちに、初めにはどのようにしろと教えるのですが、それが伝道者の日記です。また、ある人は無条件に現場出て行かなければならないと言うのですが、そうではありません。みなさんが一生に神様の答えを見つけ出さなければなりません。さらに正確に話せば、神様が願われる計画表を見つけるのです。神様が願われる計画表を見つける時までこれをしなさいということです。神様が願われる計画表を見つければ、恐れる必要がありません。パウロ、恐れてはならない。カイザルの前に立たなければならない。みなさんがここにいのちを一度かけてみてください。いのちをかけるという言葉は、何かをすごくするということではなく、考えをよくしてみなさいということです。私は年をとっている、私は力がない、私は経済もない、私は職業もないと言うこともあります。その人は、これが該当しないのでしょうか。さらに該当します。見つけ出してみてください。みなさんがこれを見つけ出せば、多いことを見るようになります。それこそ2番の働きをするようになります。
▲それで、今このようにするために伝道神学院の体質を変えるのです。みなさんがこれを見なければならないのです。それで、全く心配もせずに、不信仰すべきでないのは、弟子は神様の御手にあります。私たちの教会にこんな問題、あんな問題があると心配しないようにしましょう。それは初めから神様の主権の中に祝福が開始しなければそうなるのです。それで、このように開始しなければならないのです。それなら、私の生活をここに(伝道者の日記)で見つけ出さなければなりません。それでは不思議なことが行われます。真の神様の恵みで私がこれをぴったり見たのです。ところで、これが行く所ごとにあります。これを見るのは難しくありません。良心的に見れば良いのです。私がこれをしながらどのように答えを受けたかというと、教会に行ったところ、私に子ども教会学校を引き受けろということでした。それでひとまず1年の計画をたてました。すべての学校をみな訪ねて行って、子どもたちに福音を聞かせるのです。私がどれだけ間違っても1年内には追い出されないから1年計画をたてました。どんなことが行われたのか知っていますか。私は驚きました。そして、行くところごとに、みなそのようにしたのです。伝道者の日記を作りましょう。ある面では、書かないでもかまいません。それだけ確実でなければならないのです。それで、私は今時刻表が重要な700ヶ所と2千ヶ所です。ここに牧師がおられるのですが、みなさんの教会の教役者や重職者が答えを受けるようにさせてあげるのがみなさんの使命ではないでしょうか。それでは、教役者がこの味も知らなければ、外で一般信徒もすることなのに、どれくらい恥ずかしいことでしょうか。いくら難しくても、すべての動機をみな捨てて、このように始めるのです。
▲ところで、私はこれをしながら何を感じたかというと、ある時はできる時もあって、ある時はだめな時もあるでしょう。それでも関係なかったのです。その人が私たちの教会にきてもかまわなくて、来なくてもかまわなくて、私とは関係ありません。どれだけ答えられるかというと、その日から今まで私が疲れることを感じたことがありません。それでは無理に耐えたのでしょうか。病気にもなりませんでした。そして、教会の中でそれほどみわざが起きないものと思ったのですが、人が起き始めたのです。もし重職者の方たちがこの答えを出すと、不思議にみなさんの事業にみわざが始まるのです。牧師がこの答えを出し始めれば、みなさんの牧会に神様が働かれ始められるのです。これは私の話ではありません。あなたがたは行ってすべての国の人々を弟子としなさい。わたしが世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。イエス様がそのように約束されました。それで、今はこういう時刻表がきたのです。
▲ひとまずした話を繰り返しますが、みなさんが一番失敗するのは何でしょうか。何かをしばしば心配するのですが、してはなりません。しばしば動機を持つのですが、持たないようにしましょう。そのまま神様の完全な主権の中に、私が一緒にいるという事実を持って始めれば良いのです。そうすれば、少しだけこれ(本論)を参考にしてしまえば、みわざが起きます。こういう答えの時刻表がきました。今回は、みなさんの教会ごとに復興が問題ではなくて、地域を生かす働きが起きるように願います。みなさんの教会が復興するのはもちろんで、地域を生かす本当の真の働きが起きるように願います。今学期に、この契約を握って、みなさんの本当にだめな慢性病が解決される働きが起きるようになります。
▲より大きい答え、最後の一言だけ言います。祈らなかったのですが、みなさんの最も重要な部分が答えで来てしまいます。そのようなことが行われます。祈りもしなかったのですが、神様が最も重要な答えで働かれます。みなさんをご存知である神様が、みなさんに重要な時刻表で働かれるようになります。これがもう始まる伝道者の生活です。ひょっとして理解できない方は、祈りをよくしなさい。それで、私1人でも行って教会を生かすと思いなさい。そのように今晩に決断を下せば良いのです。私1人が行ってこの働きを持って一地域を生かす!それも謙虚に….私のことではなくて、神様の恵みであるためです。それで、教会ごとに生き返る働きがあるようになります。みなさんの生涯に重要な答えが始まることをイエスの御名で祈ります。祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。伝道者を呼ばれたことを感謝します。今まで準備したのですが、もう本論が始まるようにしてください。初代教会のように力がないのですが、神様は世界を変化させると信じます。初代教会のように貧しいのですが、神様はローマを生かす働きまで成し遂げられると信じます。今日から伝道者の生活が始まるようにしてください。私たちの主イエス・キリストの恵みと神様の大きい愛と聖霊様の働きが、すべての伝道者の上に、今日、私たちの現場が祝福であることを分かる伝道者の上に、私の問題が最も大きい祝福であることを分かるすべての伝道者の上に、今からのち永遠までいつもともにありますように。アーメン
(The end)