2005-04-04〜05 大阪集会 


1講:真の福音
(コロサイ3:1−4)
 

ハレルヤ。今回、久しぶりに見たら、少し格好良くなったように思います。霊的にも大きな力を得てください。聖書を一カ所見ましょう。コロサイ3:1〜4。多くの方が、多くの問題を抱えています。しかし、その問題を正しく見ることさえあれば、何も問題になりません。それは、真の福音であれば、すべてを解決するからです。4節「私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。」

<序論>
・感謝の回復
今日、日本に来る間、ホテルで祈っている間に、神様に大いに恵まれ、本来、自分が持っていた信仰を回復しました。神様に感謝をささげました。神様が大阪の中に、多くの働き人を立てられたことを感謝しました。昔、日本語が話せる張先生が、基礎を整えたことを感謝しました。それから、箕面の教会で伝道運動が行われているということで、それも神様に感謝しました。釜山の副教役者の中で、一番、祈り深い方がパク・チェギュ先生でした。神様が、その先生を大阪に派遣されたことを感謝しました。私は、祈りを目で見た者です。私は、祈っていた母を見て、その答えを見た者です。それで、結局、祈りの者が勝利すると信じています。福音を持つ祈りの者が実を結びます。それで、神様に感謝をささげました。ですから、メッセージに入る前に、ぜひ、感謝を見つけましょう。「先生、私には感謝するようなことがないのに、どうやって感謝できるでしょうか」「先生は、世界を回っているから感謝できるでしょうが、私は生きるのが精一杯なのに、感謝できるでしょうか」「今、ご飯を食べるのが精一杯なのに感謝が生まれるでしょうか」と言うかもしれません。ある人が、牧師を訪ねてこのような話をしました。「先生。今日のメッセージで、すべてのことについて感謝しなさいと言われましたが、どうやってそれができるのでしょうか。私の娘はアルコール中毒、麻薬中毒、娼婦になっているのに、どうやって感謝できるでしょうか。先生の娘がそうなったら、先生は、神様に感謝できるのですか。私は本当に心がつまずいています。なぜ私の娘は、神様のみことばが聞けないまま、アルコールにおぼれて、あのような娼婦の生活をしているのでしょうか。」そうしたら、先生は、それでさえ感謝しなければならないと言いました。「それをどうやって感謝できるのでしょうか」「神様には、確かな理由があるし、神様は答えられます。あなたは、昔、他の人の悪口を言ったり、そのような生活をしてきたでしょう。また、何も難しいことがないまま、生きてきたでしょう。本当に神様の前で、涙を持って祈った経験はないでしょう。本当に神様の前で、心を痛めて祈ったことがないでしょう。神様はすごい機会を与えられたのです。あなたの娘が、麻薬におぼれて、死の危機に直面していても、神様は生かすことができます。」そのことを言われて、その人は、なるほどそうだと思いました。今まで自分は他の人の悪口を言ったり、他の人が悪いと、なぜあのようにするのかとばかり話をしてきて、本当に祈ったことはないと思ったのです。それで、家に戻って、部屋に閉じこもって一番最初に出てきた祈りが、「神様、感謝します。私に祈りができるようにしてくださったことを感謝します。コロサイ3章にあるように、主を見上げるようにさせてくださったことを感謝します。私の娘は、神様が変えてくださることを信じます」ということでした。しばらくして、不思議なことが起こりました。私たちのようにキャンプをしていたのかわかりませんが、通りかかった伝道者が、娘に福音を語りました。それまでまったく変化がなかった娘が、伝道者が来てメッセージを語った時に、変わるようになりました。それで、韓国で本当に重要な伝道者に変えられ、今現在は、宣教師として派遣されています。一人で暮らすつもりで宣教地に行ったのですが、そこでも使命のある人と出会いました。それで、結婚して、家族全員が使命者になりました。
 誰かがおいしいものを買ってくれたら「ありがとうございます」と言います。誰かが大事なものをくれると「感謝します」と言うでしょう。私たちに祈りの答えがあると、感謝が生まれます。それでは、祈りの答えが来るのが間違いないなら、感謝が生まれるでしょう。私は世界の福音化が間違いないので、感謝が生まれます。ですから、真心から感謝することも大切ですが、感謝を見つけだすことも大切なことです。
(1)コロサイ3:4(勝利)
 今日、コロサイ3:4を見ると、「栄光のうちにあなたがたも現れる」と言われています。
(2)みこころ(Iテサロニケ5:18)
Iテサロニケ5:16〜18には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」と言われています。これだけ感謝、あれだけ感謝、ではなく、すべてのことについて感謝しなさいと言われています。そうしながら、大事なことが言われています。「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」神様のみこころが、間違いなくそこにあるので、私たちがすべき一番重要なことは、仕事ではなく、感謝です。
(3)答え−届く(ダニエル6:10,ピリピ4:6)
悪い問題がやってきたのに、どうやって感謝できるのでしょうか。ぜひ、覚えましょう。感謝とともに祈る者は、答えられるのです。感謝とともにささげる祈りは、神様に届くようになるのです。お互いに話しをしますが、話す時に話が通じたら、深い話をするでしょう。しかし、話が全然通じないと、言いたいことがあっても言わずに、適当に終わってしまいます。私たちが神様のみことばを聞いて感謝すると、そのときに、神様は私たちに重要なものを与えられるのです。ダニエル6:10を見ると「感謝とともに祈っていた」と言われています。ピリピ4:6に、心配があったら、感謝とともに主にささげなさいと、「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」その次に「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」と言われています。
 張先生を見ると、感謝が生まれるべきです。張先生を見て、いやだなという思いになると、神様と私と張先生の三つの関係(△)が崩れてしまいます。相手を見ると、とても感謝が生まれるなら、そのときに、私と相手と神様との関係がすべて通じるようになります。問題は、お互いの問題の前に、神様との問題です。ですから、見ると、もっと感謝するようになります。張先生を見て、「日本語が本当に上手だ。格好良いし、背も高く、ひげもすてきだ。」このように感謝をもって始めると、すべてを感謝するようになります。これが、神様に届くようになるのです。それで、良く考えてみると、パク先生を見ても感謝するようになります。「本当に日本人のように見える。日本宣教にぴったり合う人だ。8人の子どもがいる、すばらしい人だ」このように感謝すると、すべてが感謝に変わるのです。それが問題ではありません。感謝するときに、からだの病気が一番早く治るそうです。これは、私の意見ではなく、医師の話です。自分で喜んで笑っている時は、体の中の600以上の神経が生かされるそうです。それは、専門の医師の話です。代わりに不平、不満が詰まってしまうと、死んでしまいます。それをねらってサタンが働くようになります。笑いも、心に本当の感謝がある時に、本当の笑いになります。心に感謝がない笑いは、あざけりの笑いでしかありません。ですから、その笑いの中に、信仰も回復するようになります。もっと大切なのは、私たちは神様のみこころがわかっているのです。神様の人は、必ず勝利するのです。私たちが本当に福音を持っている者なら、必ず勝利します。「私は足りない者なのに。」神様はそれも直すことができるお方です。スタートすれば、わざが現れるのです。ですから、感謝を回復しなければならないのです。
お金がないでしょうか。昔、私はどれほどお金に困っていたかというと、一ヶ月千ウォン(百円)がおこずかいでした。それは、ほとんど使えないということです。お金がないから、使えないのでした。それで、一生懸命に祈って、歩きながら伝道しました。しかし、時間が経ってみたら、それがすべて祝福に変えられました。「先生、今、私は結婚もできていないのに、何が感謝でしょうか」と言うかもしれませんが、結婚してみたら、本当に頭が痛いのです。おかしい男に出会ったら、本当に大変です。また、おかしい女性に出会ったら、どうしようもありません。殺すこともできず、本当に難しいのです。豚だったら、食べてしまえば良いのですが、人間はそれもできません。どんなにだめな人間でも、豚より価値がないとしても、殺すと問題になります。実際に、犬より劣った人間は、犬より価値がないのに、殺すと大変なことになります。ですから、結婚が遅れている男性は感謝しましょう。神様のすごいみこころがあるのだと考えましょう。また、年取った女性は、もっと感謝しましょう。「神様が、乞食のようなおかしな男に会わないように、しっかりと今まで守ってくださっていた。神様、本当に会わせてくださるなら、時代的な男性に会わせてください。」と祈りましょう。あるおばあさんは、タラッパンのメンバーではありませんが、毎朝祈って登山をしていました。あるおじいさんが、いつもついてきたのです。年を取っていても、格好よくしましょう。私たちが見たらおばあさんでも、おじいさんが見たら、レベルが違います。年取ったおじいさんが来て、つきあってくださいと言われたので、「私はクリスチャンです」と言ったら、相手も信じますというので、本当なのか信仰を見ましょうということになりました。そのおじいさんは、おばあさんのために、無理やり教会に来たのですが、イエス様を受け入れて、おばあさんと結婚したのです。そして、そのおじいさんは、40億円を残して死んでしまったのです。おばあさんは、40億円が一気に手に入ったわけです。ですから、人間は、感謝してお祈りすることが、本当に大切なのです。自分が年を取ったことをつぶやいて、家にいたのでは、そのようなおじいさんと出会うこともできません。年を取って格好が悪くなっていて、どのようにそのようなことが起きるでしょうか。だからと言って、歩きながら探したりはしないでください。感謝を回復してくださいということです。
 本当に感謝の理由がないでしょうか。そうすれば、小さなことでも感謝するようになります。「先生。困難がやってきたのに、本当に心から感謝ができるでしょうか」と言うかもしれません。
@奴隷
奴隷になってしまったのに、感謝しました。ヨセフがむりやりがまんすれば、病気になってしまいます。ヨセフは、福音と世界の福音化という約束を持っていたので、奴隷に行ったことが感謝です。何も問題ありません。
A牢屋
ポティファルの家にいるかぎり、世界福音化は不可能です。牢屋の中では、がまんして何年か暮らせば、病気になってしまいます。ヨセフは、本当に感謝していました。
B死
死が目の前に来ていても、感謝できるのでしょうか。ダビデを考えてみましょう。主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。なぜなら、福音を持っているからです。後でわかるでしょう。福音を持っている者は、絶対に滅びることはありません。何もしないで死んでしまうように見えても、死んだ後により大きなわざにつながります。私の母は、実力がなかったので、本一冊も残しませんでした。母は、私たちを育てながら、貧しくて、家も残しませんでした。大きな業績を残したのでもありません。しかし、私たちに大事なもの、福音を残して、その後で亡くなりました。そうしたら、その後、どのようなことが起きたでしょうか。私は、母が亡くなった後、誰が私のためにあのように祈ってくれるだろうかと思いました。しかし、母が亡くなった後に、わざがもっとすごいものになりました。つまり、死がやってきても大丈夫なのです。どんなにみじめな人間でも、福音を持っていると、後で勝利します。どんなに立派な人間でも、福音を持っていなければ、後で失敗してしまいます。今日、本当に祝福されて、感謝を回復しましょう。
C迫害
 迫害がやってきているのに、感謝が生まれるでしょうか。新約聖書を見ると、一番迫害されていた人がパウロであり、一番感謝していた人もパウロです。すべてのことについて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
その時に、本当の感謝が生まれます。日本人が、「ありがとう」とよく言いますが、そうではなく、心からのありがとうです。アメリカの人も、習慣的に‘Thank you’と言います。彼らは、ぶつかっても、悪いこともしていないのに、‘Excuse me. Thank you.’と言います。全部、表で言っていることで、内側からではありません。離婚しながらも‘I love you’と言います。全部、表の言葉です。そのようなことではありません。心からの感謝です。そこから生まれる笑いが、本当の笑いです。ですから、福音の中から生まれる感謝が、真の感謝です。私たちが本当の感謝を悟った時に、その祈りは、神様に届くようになります。私たちから本当の感謝が生まれた時には、私たちに祝福が臨まれるのです。ですから、よく吟味して考えてみましょう。私たちは、本当にすべてのことに感謝しなければなりません。この感謝が、継続して見つけられ、生まれるようになります。
 それでは、どのように信仰生活をしなければならないのでしょうか。感謝すべき理由が何であり、信仰生活はどのようにすべきでしょうか。

1.福音を正しく
 第一に、私たちは、福音を発見しなければなりません。福音を正しく理解すれば、感謝せざるを得ないし、福音を正しく理解することが、信仰生活です。福音を正しく理解することが、これから勝利する方法です。なぜなら、神様から与えられた賜物の中で、一番大きなものが福音だからです。神様に答えられた、その程度ではなく、福音を理解することです。
昔、田舎のおじいさんが、都会に観光に来ました。エレベータがありました。こんなものがあるのだな、何だろうとじっと見つめていたのです。ドアが開くと人が出てくるし、空から降りてくるのか、何だろうと、怖くて乗れずにじっと見ていたのです。見ていたら、あるおばあさんが、乗りました。一緒に乗ろうとしたけれど、他の女性と一緒に乗ってはだめだと、乗らずに見ていました。しばらくしたら、美しい女性がそこから出てきました。これは、すごいものなのだな。さっきおばあさんが入ったけれど、若い娘に変えられて出てきたのだ。それで、奥さんを連れてくるべきだ。それは、エレベータを悟ったことでしょうか。それは、勘違いで、エレベータを理解したことではありません。イエス様を信じると、すごい祝福だということは、それを悟ったことでしょうか。そうではありません。私たちも、福音を正しく理解しなければなりません。

(1)キリストの必要性−処女降誕の科学性
 福音とはいったいなんでしょうか。人間には、必ず解決しなければならない3つの問題があります。日本人と韓国人は異なりますが、同じものが3つあります。霊的な問題、次々とやってくるのろいの問題、そして、サタンに従って結局地獄に行く、この問題は同じです。さきほど、食事の時に言いました。実際に私の考えでは、韓国が日本について行くのは、百年くらいかかると思います。技術の面ではありません。例を申しあげましょう。私は、毎週、全羅道の光州という所に行きます。光州で、一番良いホテルに泊まります。有名なホテルなのですが、温度が自分に合わず、何か虫にかまれます。それで、違うホテルに変えたのです。そこでも、何かにかまれてしまいました。秘書は、皮膚が厚いから、わからないようでしたが、私は敏感なのです。それで、また違うホテルに行ったのですが、また、かまれてしまいました。新しく建てたホテルの移ったのですが、同じでした。ホテルのオーナーはわからないのですが、その従業員が、きちんとしていなからです。それが、韓国の人なのです。それで、抗議する機会があれば、国民に向かって抗議したいと思っています。日本のホテルは、どんなにレベルが低いホテルでも、ふとんはきれいです。ガウンを着て仕事をしますが、いつも一回用です。しかし、韓国のホテルで、ガウンのにおいをかぐと、においがします。かいでみて、女性のにおいがするときは、まだましですが、男性が使った後のようで変なにおいがする時があります。本当に差がかなりあります。ホテル業をしている人と、従業員に話したいことがあります。私は良いのですが、外国の人が来た時に、どうなるのでしょうか。ですから、日本と比べると百年くらい差があります。しかし、日本と韓国とまったく同じものがあります。霊的な状態は、同じなのです。それから、霊的な問題も同じです。霊的にわずらっていること、偶像崇拝も同じです。それで、神様はキリストを送られたのです。意味が分かるでしょうか。キリストが私たちには、必要なのです。キリストは、日本に必要です。私たちの子ども達にキリストが必要なのです。それで、誰もがキリストになれるわけではありません。処女がみごもって子どもを産む。処女降誕の科学性。もし、これが理解できれば、すごいわざが現れるようになります。
これを理解してもらうために、一つ、例を申し上げます。私たちの教会に精神的におかしい女性が一人いました。いつもあちこち行きながら、柳先生はキリストだと言っています。それで、呼びました。なぜ、そんなにおかしいことを言っているのか。これからは、そのように言わないように。これからやめるなら、許してあげましょう。そうしたら、とても厳粛な顔をして私を見て言いました。「もう、これからはがまんしないで、本当のことを言いなさい」ということでした。それで、役員会を開いて、その人を追い出ししました。それで、私は言いました。「私は処女から生まれたのではない」人間の子孫は、人間なので、救い主になることはできません。釈迦や孔子は立派なことには間違いありませんが、キリストではありません。聖書には、キリストに対して、500回以上、預言されていました。その中に、処女がみごもって子どもを生むとあります。韓国にこのような話があります。処女が子どもを生んでも言うことがあるということですが、何の文句があるのでしょうか。この地球の中で処女として子どもを生んで文句を言える人は、マリヤしかいません。その人なら「本当に男性は知りません」と言えますが、それ以外なら、誰も文句を言うことはできません。それで、イエスがキリストであることをマリヤが一番良くわかっていました。そういう意味で、マリヤを高めるカトリックは、徹底して悔い改めなければなりません。福音が何かわかるでしょうか。キリストの必要性と、処女から生まれたことの科学性です。

(2)十字架−あがない 必要性
2番目です。福音が何か理解しなければなりません。なぜ、十字架にかからなければならないのでしょうか。私たちは解決できないので、身代わりに解決すると言われました。十字架とそのあがないの必要性です。私たちは、これなしでは、問題の解決はありません。それで、神様がキリストを送られました。今日、これがわかれば、みなさんは、救われるのです。もしこれがわかれば、今晩から答えは与えられます。もしこれがわかれば、永遠に滅びることはありません。

(3)復活−当然性(絶対性)
イエス様は復活されました。どうやって復活できるかということではありません。復活の当然性です。その人が、神様であり、神の御子キリストであれば、復活しなければなりません。ですから、絶対性です。これが福音です。

今日、福音を正しく理解できたでしょう。福音が何かを理解しなければなりません。私たち人間すべてにキリストが必要です。それで、キリストを送ってくださいました。人間の問題、私たちの問題は解決しません。それで、十字架によって解決されました。キリストという証拠として、よみがえられました。このことが信じられれば、私たちの家系、個人にあった闇の勢力は、永遠にギブアップします。そうでないかぎり、私たちを永遠にとらえてしまいます。これが福音です。今日、福音が何かよくわかったでしょう。張先生が良くなることを信じるというのは信仰ではなく、私たちは、これを信じるのです。

2.上のものを見上げる
これが本当なので、何をすれば良いでしょうか。上のものを見上げなさい。キリストにあって、上のものを見上げなさい。この地上に生きているのに、なぜ上を見るのでしょうか。よく聞いてください。
(1)御座の祝福(3:1)
御座の祝福は上にあります。私たちは、この地上に生きていますが、祝福は天から与えられるものです。だとすれば、私たちはそこを見上げなければならないでしょう。何でもそれが出るところを見るべきであって、出ないところを見ていても仕方ないでしょう。コロサイ3:1「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。」
(2)いのち(3:3)
3節を見ると、その中にすべてのいのちが隠されていると言われています。不思議に、私たちの家庭、個人に、答えが次々と与えられます。体験が大切なのではなくて、上のものを見上げるわけです。
(3)栄光(3:4)
それから、なんと言われているでしょうか。「そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。」あなたがたは、上のものを見上げなさいと言われています。なんとすばらしいことでしょうか。
 昔、太公望という人がいました。釣りをするので、釣り人という意味があります。その人は、知識がいっぱいある人なのに、暇があれば、いつも釣りをしていました。家にいるときも、本ばかりを見ていました。奥さんが、怒って、外に出て収穫したりしていました。しかし、庭にお米を広げておくと、鳥がすべて取っていくのです。だんなさんは、本を見ていて、鳥が何をするのかを全然見ていません。それで、奥さんが怒って、あなたと一緒には暮らせないと言いました。鳥がすべて取っていくから、棒で追い出して欲しいと言いました。それで、奥さんに言われたとおり、棒を動かして鳥を追いながら、ずっと本を見ていました。しかし、雨が降ってきて、すべて流されてしまったのです。それも気づかずに、ずっと棒を動かしていたのです。奥さんがそれを見て、本当にあなたとは一緒に暮らせないと言って、家を出てしまったのです。しかし、奥さんが出ていったことも知らずに、本を見ていたのです。とても疲れた時には、釣りに行ったのです。その時に、王が通りかかりました。王が通りかかったら、誰かが釣りをしていたのですが、魚を釣るためには針が曲がっていなければならないのに、その針はまっすぐのものだったのです。王がそれを見て、不思議だと思いました。まっすぐな針では、釣りにならないでしょう。それから、王がそこにいても、気づかずにずっと釣りをしていたのです。それで王がおかしく思って、あなたは誰かと聞いたのです。その時に、気づいたら王だったので、王の前にひざまずいて、自分が釣りに没頭していたので、気づかなかったと言いました。そのようなまっすぐな針で、魚も釣れないのに、なぜ没頭しているのかと王が聞きました。その時、私は魚を釣っているのではなく、時代を待ちながら、時間を釣っているのです。魚は、曲がった針にかかりますが、この時代はまっすぐなものにかかるのですと答えました。王が感動して、王の側の重要な地位に登用したのです。長官や総理くらいになったのです。町中が大騒ぎになりました。大きなみこしに乗って、その町に来たのです。宮殿に入っていく途中に見ると、奥さんがまだ穀物を集めていました。奥さんも自分の夫が大成功して、宮殿に入ると聞いたのです。それで、すごい格好をして宮殿に入っていく時に、その前にひざまずいていたのです。そのときに、太公望が言った言葉です。奥さんに水をいっぱいくれと言って、水を持ってきたら、それをすべて流してしまって、「こぼした水は、また元に戻すことはできない」と言いました。そこから、ことわざが生まれました。
 必ず成就する神様のみことばの前で、不信仰したらどうなるでしょうか。福音の約束をつかんでいる者は、上のものを求めましょう。祝福といのちと栄光が上にあります。

3.約束
それでは、地においては何をするのでしょうか。神様の約束をしっかりと握ることです。
(1)使徒1:1,マタイ16:13〜20
使徒1:1、マタイ16:13〜20です。主は生ける神の御子キリストです。私たちがこの約束をつかむと、
(2)使徒1:3
使徒1:3神の国が臨まれます。この約束をつかんで祈ると
(3)使徒1:8
使徒1:8を見ると、聖霊充満にあずかります。これが、最後に与えられた約束です。これをしっかりと握って、上を見上げるのです。何が問題でしょうか。何にもありません。本当に福音を持っているなら、このとおりに待っていれば良いのです。

*結論−根
 この祝福をなぜのがしてしまうのでしょうか。その理由を知らなければなりません。この祝福をのがしてはなりません。これから、私たちは、この福音に根をおろすのです。私たちの中心に根をおろして、私たちの視線は上を見るのです。これから、私たちは何をどうすれば良いのでしょうか。
(1)祈り
 @身分
身分にふさわしい祈りをしましょう。今日から始めましょう。エルサレムを離れないで、約束したことを待ちなさいというのは、祈りなさいということです。何も心配せず、祈りをもってスタートしましょう。福音を悟ったとすれば、2番目の祝福は当たり前のことです。私たちが生きている間に与えられる永遠の約束なのです。どのように祈れば良いのでしょうか。私たちの身分にふさわしい祈りをしましょう。
 A職務
また、私たちの職務にふさわしい祈りをしましょう。学生は学生らしく、大人は大人らしく祈りを始めましょう。
B立場
それから、立場にふさわしい祈りをしましょう。
他の人をまねする必要はありません。自分自身の身分、職分、立場に合う祈りをしましょう。「大変だ、私は祈りができない。どうすれば良いのか。」と心配しなくても良いのです。一日、一回だけでも良いのです。一日一回だけでも祈りをすれば、福音を聞いた者なので、わざが現れるはずです。ぜひ、この約束をつかんで祈りを始めましょう。どのように祈れば成功するのかは、明日の朝、お話します。今晩は、感謝を本当に回復しなければいけないのですが、まず、これを知っていなければなりません。私たちは、この福音を知ったので、感謝せざるをえません。私たちに与えられた祝福、与えられる祝福があるので、感謝せざるをえません。私たちが地上にいる間、この約束を本当に持っているので、感謝せざるをえません。
聖霊充満はどうやって受けるのでしょうか。ペンテコステ派では、体験しなさいと言いますが、一理はありますが、そうではありません。そういう体験は、仏教でもあります。長老派では、体験はいらないと言いますが、そうでもありません。聖霊充満とは何でしょうか。福音を持っている者に神様が与えられる約束です。福音を持っていないのに受けると、それは悪霊のしわざです。ですから、すごい祝福です。力を与えられると約束されました。力を作り出しなさいということではなく、力を与えられると言われました。聖霊充満に預かりなさいというのは、後の話であって、聖霊充満になると言われました。証人になりなさいと言われたら、できないでしょうが、証人になると言われました。だとすれば、今から何も心配しないで、少しでも祈りましょう。具体的な内容は、明日申し上げます。心配する必要はありません。
(2)価値
本当に価値があるものと、ないものの見分けができません。このような祝福を受けている者が、これがわかっていなければいけないでしょう。何でもないことで、がっかりしたり、落胆しないようにしましょう。私がお話したことを覚えていれば、次々とわざは現れるはずです。このとおりにすれば、そんなにたくさん祈らなくても、神様のわざは現れます。どうせ祈らないでしょうが、答えは必要でしょう。価値がわかっていないまま、どんなに祈っても無駄なのです。
(3)本質
本当に大事な本質は何でしょうか。本質が何かをのがしてはなりません。このような本質を逃すことによって、あやまちをおかしたりするのです。ぜひ覚えましょう。
(4)理解−客観性
私は約束を握って生きていきます。それを信仰があると言われます。しかし、他の人が理解することができる中で、その主観を持つようにしましょう。これを客観性と言います。
(5)他人−連合性
私たちは、世界の福音化の約束をつかんでいますが、他の人を理解しながら、そのようにしましょう。これを連合性と言います。ご主人が理解して、その人たちがともにできる中で、神様のわざを見せることです。ある人は、家の中はめちゃくちゃで、自分もおかしな格好でしています。女性は、本当に気をつけましょう。悪霊のような格好はしないように。なぜ、そのような格好なのかと聞いたら、「神様は中心を見ます」と答えましたが、「あなたのご主人は神ではない」と言いました。ご主人は、家にもなかなか帰ってきません。私でもできるだけ見ないようにしたほどです。他の人が見た時も、理解できる客観性と連合性を持っていなければなりません。その中で約束を握りましょう。未信者がクリスチャンを見て、全然通じないと言われてはいけないでしょう。立派ですてきだと言われましょう。
これが大切な内容です。これが大した問題ではないのに、このためにすべての祝福をのがしてしまうのです。このようなすごい祝福を受けたのにもかかわらず、このような内容ですべてのがしてしまうのです。何百年たっていたフロリダの木が倒れてしまいました。なぜ倒れたのか、本を読んでみたら、根に虫が一匹入ったそうです。それを取って、つかまえれば良かったのに、私たちがこのようなことを放っておいたので、大したことではないのに、倒れてしまうのです。よく考えて覚えましょう。

*挑戦しよう
このようにして、挑戦するのです。学生も約束を握って挑戦しましょう。勉強をむりやりするのではなく、楽しみながら挑戦するのです。先生方も大阪も挑戦しましょう。明日、祈りの話をしますが、間違いなくわざが現れます。私たちが、この約束をつかむと天の軍勢が動員されます。「わたし主が、すみやかにそれを成し遂げる」と言われました。「小さい者が千になり。弱い者が大国になる」と言われています。少なくとも、私たちは、一人で一千人を相手にできるのです。時になれば、わたしがすみやかにそれをなすと言われました。ですから、感謝を回復しましょう。本当に大切なことです。感謝する内容があるでしょう。感謝をのがすと、結論のものに引っかかってしまいます。これを乗り越えると、神様が成し遂げると言われました。使徒2:1「五旬節の日になって」と言われました。使徒27:24「恐れてはなりません。パウロ」と言われました。恐れることはないでしょう。「カイザルの前に立つ」神様の力に勝てる者はいません。神様の計画を変えることができる者はいません。ですから、挑戦しましょう。
今晩、一文字ものがさないで、すべて回復しましょう。小さなことでも感謝を回復しましょう。おかしなご主人に出会ったことも感謝しましょう。「そいつのために」と言うのではなく「その方のゆえに、私が祈るようになった」と言いましょう。過去に困難にあったことも感謝です。それがすべて土台になります。理由は、すごい約束だからです。感謝を回復しないと、結論で申し上げた内容にだまされてしまいます。すべて持っているのに、最後にだまされてはならないでしょう。詐欺師に奪い取られるのではなく、自分で持っているのに、自分でだまされてしまうのです。前もお話しましたが、副牧師の時の話です。執事の一人がお金をいっぱいもうけたのですが、絶対に献金などしません。そこまでは良いのです。病気になったのに、病院にも行きません。お金がもったいないからだということです。親しい友人が「病院に行きなさい」と言ったら、「お金がない」と言いました。それで、友達もお金がないのかと思っていました。その後、その人は死んでしまったのですが、死んだ後見たら、お金をおなかにぐるぐる巻いていたのです。そこに、現金、通帳、はんこなどが発見されました。何億円のお金でした。このような愚かな人がいるでしょうか。もったいないからと、病院にも行かなかったのです。自分のからだにくっつけて死んでしまいました。死んでしまったら、何にもならないでしょう。つまり、奪われて死んだのではなく、すべて持っていて、だまされて死んでしまったのです。私たちのこの祝福は、奪い取ることができる者はだれもいません。しかし、結論で申し上げた内容のために、祝福を知らずに、埋めたまま死んでしまうのです。悟っていれば、落胆せずに、神様がすみやかに成し遂げられます。「恐れてはいけません。パウロ」この祝福が本当にあふれるようになることをお祈りします。
もう一度、申し上げます。すべてのことから感謝を見いだしましょう。それで祈ることによって答えられます。明日は、祈りについて申し上げます。今晩、最高の祝福の夜になることをイエスの御名によってお祈りします。

(祈り)
神様の恵みを感謝します。福音の力がここに参加しているすべての人に臨まれますように。恐れることがないように導いてください。心配しないようにさせてください。問題の中におぼれることがないようにさせてください。感謝を回復させてください。福音の奥義をつかむようにさせてください。天の秘密をつかませてください。永遠の約束をつかむ時にさせてください。それで、答えを受ける主の民になることをお祈りします。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2講:祈りの答え
(ピリピ4:6,7)
 

ピリピ4:6、7です。「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

ある人が、お金をたくさんもうけました。それから、とても賢い人でした。他の人がうらやましいと思うほど、お金をもうけました。その人に、ある日、ショックになることが訪れました。病院で、ガンになったと宣告されました。もっとショックなことがありました。ガンの手術をしたのですが、すべての所に転移してしまったのです。どんなに努力しても、可能性はありません。私もお会いしたのですが、ガンがからだ全体に広がっていました。結局、亡くなってしまいました。お金をたくさんもうけて、それで亡くなりました。全部、むだなことでしょう。その奥さんが、財産をすべて受け継ぐようになり、その財産をすべて持って他の人と結婚したのです。それを見ながら、お金があるからうまくいくのではないのだと思いました。
 今日、どのようにすれば、神様から与えられる祈りの答えを受けることができるかを見ましょう。昨日もとても大事なメッセージ、真の福音が何なのかについてお話しました。真の福音がわかっていれば、私たちは決して滅びることはありません。それで感謝せざるをえないと言いました。それでは、どのようにして、祈りの答えを受けることができるのでしょうか。

*霊的問題−災難(原罪)、サタン(精神)、死(地獄)
昨日もお話しましたが、日本、アメリカ、韓国、共通することが一つあります。言葉も文化も異なるのですが、同じものが一つあります。それが、人間にある霊的な問題です。霊的な問題とは何でしょうか。霊的な問題と言われたときに、何なのでしょうか。これは、アメリカでも日本でも同じです。知らない人が、日本と韓国は違うと言いますが、文化は違っていても、探っていくとみな同じです。本来、みな同じアダムの子孫なので、同じなのです。なぜ災難が絶えないのでしょうか。次々と災難がやってきます。これは、私たちが犯した罪のためではありません。それとはまったく関係なく起きてしまいます。それを原罪と言います。ある人は、善良にがんばっているのにもかかわらず、困難で倒れてしまいます。ある人は、そんなに良い人でもないのに、大いに祝福されます。大きなあやまちもないのに、いろいろな困難が次々とやってきます。それを原罪と言います。すべての人が共通して持っているものです。それを私たちは、霊的な問題と言います。これを解決しなければなりません。ほとんどの人が知らないでいるのですが、サタンは目に見えないようにして、人々が霊的な問題におぼれるようにさせます。それで一番多く現れる問題が精神病の問題です。日本でも、韓国でも、精神病は多くあります。これは、お金があるか、成功したのかと関係なく現れる問題です。それで、死ななければ良いでしょうが、ある日、死んでしまいます。そうすれば、地獄に行ってしまいます。この問題のために生きている間にも、いろいろな困難がやってきます。これを霊的な問題と言います。

*感謝(ピリピ4:6,7)
ここから抜け出すことを福音と言います。なんと感謝なことでしょうか。それで、昨日もお話ししましたが、ここから私たちは抜け出して助かったので、感謝するわけです。困難の中なのに、どうやって感謝できるでしょうか。感謝するその時に、私たちの祈りは、神様に届くようになります。ピリピ4:6,7、感謝をもって神様に知っていただきなさいと言われています。
 
*確信−子ども、御座、約束
それでは、祈る前にやるべきことが一つあります。これが本当ならば、私たちは確信を持っていなければなりません。どのような確信でしょうか。「私は神様の子どもだ」この霊的な問題から抜け出す道は、キリストです。キリストを知っている者は、救われるので、神様の子どもになりました。それで、昨日も、上のものを求めると言いましたが、それは、御座の祝福を味わうことです。それで、この地上を生きている間に神様が大事な約束を与えられました。これに対して確信を持っていなければなりません。私たちは、この確信を持って世に出ていかなければなりません。この確信を持って祈り始めると、答えが与えられます。ぜひ悟ってください。どんなにお金をもうけて、階級があがることがあっても、霊的な問題は解決しません。少し参考にしてください。日本は、これがとても深刻な状態です。アメリカにも結構多くあります。それで、神様はイエス様を信じなさいと言われたので、時間があるから教会に行きなさいという意味ではありません。なぜ自分は教会に行くべきなのか、その確信を持っていなければなりません。なぜ私はこの場に座っているのか、確信を持っていなければなりません。確信を持つことによって、勝利します。ぜひ、これを覚えましょう。
これに対する確信を持っていなければどうなるでしょうか。その反対のことが起きてしまいます。Iペテロ5:7,8、目に見えないサタンは、誰を攻撃するかというと、確信がない信徒です。Iヨハネ4:18,19を見ると、確信を持っていないまま恐れる人を攻撃します。ヨブは、良い信仰者だったのですが、恐れを持っていました(ヨブ3:25)。ですから、救われたクリスチャンでありながら、確信を持っていないと、攻撃されます。ですから、この霊的な問題と確信の間に、感謝という言葉をぜひ覚えましょう。つまり、この2つの間の橋が感謝です。これがつながることによって、確信を持ち、祈りの答えが与えられます。
サタンは存在しているでしょうか。いないでしょうか。聖書にはいると書いてあります。見たことはありますか。私は見ました。どこででしょうか。私はあらゆる所で見ました。ある人が、自分の家もすべて売って、お金を全部集めて、ギャンブルをして死んでしまいました。サタンはいるでしょうか。目には見えません。大阪駅前を通りかかっていた時に、ある学生がギターを弾いていました。誰もいないのに、一人で一生懸命に歌っていました。私が一時間半から二時間後に戻ってきたのですが、その時までずっと歌っていました。それは、歌の練習ではなく、一人で夢中になってやっていることです。声もおかしく、叫びながら歌っていました。それから、食堂の前をあるおじさんが、踊りながら、歌いながら通っていきました。日本には、そのような人が多くいます。サタンは、目には見えません。人々はいないと思っています。聖書にのみ書かれていますが、人々はいないと思っています。ここから抜け出すことが福音です。どのようにできるでしょうか。神様がキリストを送ってくださいました。それに対する確信を持っていると、私たちは勝利を始めるようになります。その時から、祈りの答えが与えられるようになります。この時から、残りの生涯は答えに変えられます。
 それでは、2番目の講義でぜひつかむべき約束は何でしょうか。どうすれば、祈りの答えを受けることができるのでしょうか。

1.祈りの課題−みこころ
 これから私たちがやるべきことがあります。祈りの課題を定めることです。今から祈りの課題を定めて祈りましょう。私の母には、3つの祈りの課題がありました。母は、3つの課題を持っていつも祈っていました。子ども達が福音によって成功するように。健康に職場生活ができるように。自分の教会がうまく行くように。この3つです。誰でも持てる祈りの課題です。しかし、この3つをもって絶えず祈っていました。ただの祈りではなく、しっかりした祈りの課題になっていました。つまり、教会、職場、家、この3つです。この3つをもっていつも祈っていました。それで答えが与えられました。単なる答えではなく、時間が経てば経つほど、大きな答えが現れます。
 今日、私たちがやるべきことは、祈りの課題を定めることです。ただ暮らしていてはだめでしょうか。そうすると、後で変になってしまいます。もし、私たちが確かな神様の子どもであれば、祈りの課題を決めましょう。みなさんの家族の名前、誕生日、携帯番号を覚えているでしょう。もしそれを知らなければどうなるでしょうか。私は、張宣教師の電話番号は知りません。あまり電話などしないからです。しかし、奥さんは知っているでしょう。奥さんが宣教師の電話番号を知らなければ、ただの問題ではありません。しかし、私が知らないのは、問題ではありません。意味が分かりますか。私は張宣教師の誕生日を知りません。私自身のものも知らないので、知る必要はないでしょう。しかし、奥さんが知らなければ、おかしい女性でしょう。もしそうなれば、事実上、二人の関係はないのと同じです。私とは、知らなくても関係はあるのですが、二人の間では、知らなければ関係がないことでしょう。意味が分かりますか。つまり、祈りの課題が明確になっていないことは、事実、神様と関係がないということです。パク宣教師の誕生日は、私は知りませんが、それは関係がないわけではありません。知らなくても良い関係です。奥さんの誕生日も知らず、子ども達8人の誕生日も知りません。それは、関係がないことではなく、知らなくても良い関係なのです。意味が分かりますか。しかし、家族同士で知らなければ、問題になります。二十代の人は、自分が愛している人の誕生日を知らなければ、分かれてしまいます。三十代の人は、それを知らない場合、気分が悪くなって、ショックを受けます。四十代くらいになると、少し寂しいなという程度です。五十代くらいの方々になると、それは当たり前だろうと思います。しかし、そうではありません。六十、七十代くらいの人は、家族が自分の誕生日を忘れると、うつ病になってしまいます。ある場合は、それで自殺をしてしまった人もいます。自分の誕生日に、息子も娘も来ず、電話もかかってきません。それで、手紙を書いて自殺してしまいました。誕生日なのに、誰も覚えてくれていないし、面倒をみてくれる人もいないし、自分はいらない人間なのだと思って自殺をしてしまったのです。私たちは、誕生日も、電話番号も、名前もすべて覚えているでしょう。つまり、祈りの課題がないというのは、神様と事実上、関係がないということです。これがわかってみれば、ほとんどすべてです。祈りの課題がはっきりしていないということは、祈らないということです。祈っても答えがないという意味です。というのは、神様と自分が関係がないということです。それでは、未信者と同じことでしょう。それは、いけないことでしょう。
私たちは、序論で、答えをすでに出しました。どのような国、人、大統領、財閥であっても、霊的な問題は解決できません。それで、神様はキリストを送ってくださいました。私たちには証拠があるでしょう。ですから、考えれば考えるほど感謝です。私たちは神の子どもであり、天国の民であり、約束の民です。それに対する確信を持っていません。ですから、サタンが次々と攻撃をするのです。これに対する確信があるなら、サタンは逃げてしまいます。どうすれば、この答えにあずかって、確信を持つことができるでしょうか。祈りの課題が確かでなければなりません。とても重要な話です。これは、今まで多く聞いたことです。しかし、ほとんどの人々が、簡単に軽く考えてしまいます。
(1)Rt7人、ヘブル11章、ローマ16章
それでは、聖書にある七人のレムナントを見ましょう。彼らは、世界を動かしていた人たちです。何が特徴でしょうか。祈りの課題が明確にありました。ですから、私たちは今から、祈りの課題を明確に握りましょう。今回の集会が終わった後、他のことはすべて片づけて、一つのことだけをしましょう。大阪のパク先生、神戸のキム先生をはじめ、みなさんが、祈りの課題を書いてみましょう。そして、ずっと続けてしてみましょう。そうすれば、それが変わりながら、修正されながら、まとまって、神様の祈りの課題になります。その時から、神様のわざがはじまります。今日、神戸から来られた方に会いました。その方は、不動産業をしている方です。そうすれば、祈りの課題を決める必要があります。「神様、本当にお金をもうけて、新幹線が止まる駅ごと福音を伝える教会を立てることができるように。それから、レムナントを生かすことができる訓練所を建てることができるように」私なら、そのように祈ります。それが、神様のみこころなので。その時から、わざがはじまります。しかし、ほとんどのクリスチャンが祈りの課題があいまいです。もう一度、聞いてください。もしかして、序論の部分がよくわかっていないのではないでしょうか。それで、祈りの課題が出てこないのではないでしょうか。福音がない場合は、誰でも、この3つの問題から出ることはできません。それで、神様は昔からキリストを送ると約束されました。ですから、私たちはそれに対して確信を持つようになりました。
 私たちは、小さい時に、どのように育っていたでしょうか。今の学生は、コンピュータを利用してゲームなどいろいろなことをします。しかし、私やキム・ドンゴン先生などは、小さい時に、コンピュータなどはありません。そのときには、小さな木の枝で遊んでいました。また、紙を畳んで、紙に小銭をいれたりして、ゲームをして遊んでいました。そのような遊びはだれも、今はしないでしょう。女子学生は、もっと遊びがありません。それで、女の子は部屋に入って小さな石で遊んだりしていました。今は、ダンスやディスコに行ったりしますが、そのときは、まったくありませんでした。韓国では、女の子が集まると、ゴムのひもなどで、ゴム飛びをして遊んでいました。そうすれば、私たちはナイフを持ってそれを切りに行くのです。それがおもしろいのです。しかし、ある女の子は、切られても平気で、それをまた結んで遊びます。そうすれば、私たちはつまらないのです。ある女の子は、切られたら結んですれば良いのに、座り込んで泣いたりします。そうするとおもしろいので、また、切りに行きます。サタンがどこを攻撃するかというと、私たちが揺れる所に攻撃します。神様の子どもだから、恐れなくて良いのに、恐れるから、そこを攻撃するのです。ヨブは、信仰が良さそうに見えたのに、恐れて、罰が当たればどうなるのかを心配していて、そこを攻撃されたのです。
霊的な問題と確信が確かなので、祈りの課題を確かにしましょう。ここに牧師夫人の方がおられますが、牧師夫人も祈りの課題をはっきりしましょう。神様、私に世界の福音化ができる弟子を起こしてください。私に健康を与えてください。死んでしまうと、みなさんだけが損をしてしまいます。牧師夫人は、しつこく祈りましょう。みなさんが死んでしまうと、牧師はすぐに再婚してしまいます。ですから、根性を持って祈りましょう。うちの教会のチャン・ジェイル牧師は、奥さんが死んで、すぐに再婚してしまいました。牧師夫人が死んでしまうと、その牧師と結婚しようと若い乙女が列をなして並びます。ですから、謹んで目を覚まして祈りましょう。がっかりしていると、その分、自分だけが損をしてしまいます。レムナントは、祈りの課題がはっきりしていました。レムナント7人、ヘブル11章の旧約の英雄、ローマ16章の新約の英雄を基本として考えましょう。何人かを例として申し上げましょう。
@創世記37:11
創世記37:11の祈りの課題をヨセフはしっかりと握りました。困難の中で、祈りのうちにつかむようになりました。今日、申し上げたいのは、そのような困難にあう前に、祈りの課題をつかむようにということです。何が良い信仰かというと、困難の中でつかむのも良い信仰でしょうが、困難の前に今、しっかり握る信仰がより良い信仰です。バスにぶつかって、入院して悟るのも良いでしょうが、ぶつかる前に悟るのが大切です。太陽と月、星がお辞儀をするのを見ました。ですから、揺れることがありません。ですから、お兄さん達に奴隷として売られてしまったのですが、ヨセフ一人が感謝していました。奴隷がどれほど恐ろしいことかを知らなかったのですが、お兄さん達から抜け出すことによって世界の福音化が可能になるでしょう。ですから、奴隷になることも問題になりました。私たちが本当に祈りの課題を握ったとすれば、何も問題になりました。ある人は、小さなことで落胆してしまいますが、本当の祈りの課題を持っていれば、落胆しません。私たちが、今日、本当に神様から与えられた祈りの課題を握ったら、滅びることはありません。今日、私たちの財産、職業が神様のみこころを成し遂げるものだとすれば、失敗することはありません。ヨセフは刑務所に行くことになりました。しかし、感謝していました。なぜなら、ポティファルの家にいるかぎり、世界の福音化は不可能です。もしヨセフが、この祈りの課題を握っていなかったら、どうなっていたでしょう。奴隷の生活をしながら、病気になって死んでしまったでしょう。刑務所で13年から15年くらいいましたが、その時に、病気になって死んでしまったでしょう。ですから、祈りの課題を正しくしっかりと握ったということです。間違っているものでも、握ってください。そうすれば、神様が直してくださいます。間違いでも、正しくても、無い場合は、神様は答えられません。私が見ていると、祈りの答えを受けている人は、祈りの課題をしっかりと持っています。ヨセフだけではありません。レムナントを見てください。よく吟味して見てください。
A出エジプト3:1〜20
私たちが寝ている間に、火事になったらどうなりますか?それは忘れられません。私は、昔、寝ている間に、自分の家が火事になりました。今も忘れることができません。どれほど忘れられないかというと、今回泊まっているホテルの部屋が27階でした。そこで、もし火事になったら、どこからどうやって出ようかと考えたほどです。なぜなら、3回も火事の経験があるからです。4才の時に、火事によって死ぬ思いをしました。中学生の時に、勉強をしているうちに火事になりました。伝道師の時に、アメリカ文化院という所で勉強しているうちに、そこで火事になりました。ですから、火事に対しては、他の人と違って、気をつけるようになっています。モーセが羊を飼っているときに、火事になりました。そこまでは良いでしょう。突然、どこかから「モーセ」と呼ばれました。「あなたの立っているところは、聖なるところなので、靴を脱ぎなさい。ヘブル民族の苦しみをわたしは見た。彼らを助ける」モーセは祈りの課題を正しく握りました。その時から、紅海も分かれて、年を取った80才の老人にもわざが現れました。ぜひ覚えましょう。
BIサムエル16:13
ダビデに祈りの課題がしっかりとできました。ぜひ、この約束をつかみましょう。ですから、どんな苦難がやってきてもかまいません。ヨセフには苦難もやって来て、誘惑もやってきましたが、それでもかまいません。祈りの課題を持っている者は、問題が起きても気にしません。どのような祈りの課題でしょうか。間違いのない神様のみこころである祈りの課題です。そうすれば、どんな人も変えることができません。それを握りましょう。間違いなく神様のみこころであるという祈りの課題です。それを持って定刻の祈り、常時の祈りを行っていると、これがだんだんと明らかになります。ぜひ覚えましょう。この約束を持っている者は、迫害がやってきても、そこから答えが見られます。
ヨセフは、刑務所に行きましたが、まったく恐れていませんでした。この前のレムナント世界大会で、ヨセフについてのミュージカルがありました。今回は、名古屋ではダビデに対するミュージカルをするということを聞いています。この前のレムナント大会に来られた方は知っているでしょう。そのミュージカルは、本当にすばらしいものでした。すべて良かったのですが、一つが間違っていました。ヨセフを誘惑するポティファルの妻は、ミスキャストだったと思います。その役をした人の名前はマルタといって、ワシントンにいる人なのですが、「あなたは間違って選ばれたと思う」と言いました。なぜなら、ポティファルの妻は、そんなに美人ではありません。ヨセフを見て、ポティファルの妻がいつも、ウインクをしたり、誘惑をしていました。ヨセフも男だから、そのような美しいレムナントがウインクをしたとしましょう。美しいし、メッセージを書き留めているし、キリストを持っているし・・・というような女性がウインクをしたら、ヨセフはウインクを2倍にして返したでしょう。長官の夫人なら、少なくとも55才くらいにはなっていたでしょう。ヨセフは17才です。55才くらいになると、ほとんど、お腹も出ていて、顔もほとんど包装している状態です。そのような女の人が、ヨセフにアタックするから、ヨセフはびっくりして逃げてしまったのです。ヨセフを刑務所に入れてしまいました。ヨセフは、まったく悲しみませんでした。よかったと思ったでしょう。その女の人が、毎日、いじめるから、良かった。もっと大切なのは、それではありません。ヨセフには、祈りの課題が明確にありました。今回の集会で恵まれるべき内容は、祈りの課題しっかりしようということです。今、何人かのレムナントを例にして申し上げました。時間がないので、これ以上、例を出さなくてもわかるでしょう。このレムナントのように祈りの課題を持って祈り続けていると、だんだん神様のみこころが明らかになります。迫害があっても、恐れることはありません。
どのようにして、ダビデがゴリヤテの前に出ることができたでしょうか。その時に、すでにダビデは約束を握っていました。ダビデはすでに王になると油を注がれていました。それで、ゴリヤテを見た時に、他の人は恐れていましたが、ダビデが見た時には、今がチャンスだとわかったのです。このように祈りの課題があるかないかによって、見方が変わります。私の考えですが、ショックを受けて祈りの課題になった時には、それを忘れることはないでしょう。あくまでも、私の考えですが、ペテロは絶対に鶏肉は食べなかったと思います。理由があります。イエス様を裏切って振り返った時に、鶏が三回鳴きました。その時、心を刺されて悔い改めたのでした。ペテロは、鶏肉を見るたびに、悔い改める思いになったでしょう。ですから、鶏肉は食べられなかったでしょう。つまり、人は祈りの課題があるかないかによって、すべてが変わります。
では、私たちだけの話をしましょう。パク先生、キム先生、ここにいる方々に言いますが、祈りの課題を大きく持ちましょう。それは、野望ということではなく、大きく握ってください。それで、私たちだけの話ですが、答えがなかったらどうでしょうか。何の問題もないでしょう。神様の前で、何の問題もないと言ってはいけないので、私たちだけの話です。なぜ祈りの課題が小さいのでしょうか。大きく握って祈りましょう。私は、今年祈りの課題を握ったのですが、レムナント5千人が来て、宿泊して訓練を受けることが神様のみこころです。名古屋のイ・ジョンウ先生も、今回のレムナント大会を準備していて大変でしょう。それほど、必要なことなのです。今、名古屋ですから、できるのですが、他の所では難しいのです。名古屋は、本当に止めることができません。他の信徒たちも、先生に似て止められない方ばかりなので可能ですが、他の所では不可能です。名古屋でレムナント大会が終わった後、神様のみこころを見るようになるでしょう。なるほど、訓練所が必要だということです。それで、祈れば神様が答えられるでしょう。ですから、のがしてはなりません。
(2)分別
それでは、課題を決めるために、神様のみこころをどのようにしてわきまえることができるでしょうか。難しく考えないでください。
@過去、現在、未来
みなさんの過去、現在、未来のことを考えれば、すぐに分かります。私は過去、このように生きてきた。今はこのような答えを受けた。今は私は年が何歳だ。そこで、神様のみこころが分からないでしょうか。
A傷、問題
私たちの過去、傷、問題などが祈りの秘密なのです。ですから、ピリピ4:6に何も心配しないようにと言われました。つまり、その心配事が祈りの課題だからです。すべてのことを祈りと願いを持って、感謝をもって知っていただきなさい。
Bみことば
それから、神様のみことばを吟味して聞かなければなりません。信徒の方々は適当に聞いているのですが、吟味して聞いてみて下さい。そうすれば、そこから時代的な要請が現れます。そこから、神様の計画を見つけるようになります。それで、それをつかむのです。
(3)定刻、常時
それで、時間を定めて、あるいは常時、祈ることです。
@修正
それで間違っているものは、修正されます。
A発展
それで、祈ってみると、それが発展していくようになります。
B補われる
それで、メッセージを聞き続ける理由がここにあるのですが、それがまた、補われるようになります。
(4)聖霊のわざ(御座−天使、行く所−暗闇)マタイ28:18
この時から、わざが始まります。この祈りを続けていくと、聖霊のわざが現れます。天の御座が開かれて、主の天使を神様が私たちの回りに送ってくださいます。この地で、私たちが行く所々において、やみの勢力が崩れていくようになります。それで、マタイ28:18において、天と地のすべての権威が与えられているとおっしゃいました。この祈りの課題をもって、常時、いつも祈りましょう。間違いなく、答えになって与えられます。

2.メッセージ
−礼拝、訓練、講壇
この祈りの課題が確かになると、2番目のことになります。この時から私たちが神様のメッセージを聞くと、すべてこれにつながります。祈りの課題が確かであれば、日曜に礼拝をささげる時、それが私にとって答えになります。ここに訓練のために来ていますが、この訓練が、私にとって、すごい答えになります。この時から、牧師の場合は講壇が生かされます。この課題が確かになることによって、礼拝も生かされて、訓練も講壇もすべて価値あるものになります。課題があいまいになれば、礼拝はささげても良いし、ささげなくても良いものになります。目に見えないで、どれほど損をしているのか、それも知りません。逆に礼拝をささげないほうがずっとましだと思うようになります。日曜に礼拝に行かないで遊びに行ってみてください。楽しいでしょう。
@考え−現実(現場)
A潜在意識−未来(宇宙)
Bたましい−永遠(御座)
良く聞いて下さい。この神様のみことばが、私たちの考えに伝わるように。このみことばをもって祈り続けると、もっと大切なのは、私たちの潜在意識の中に根をおろすようになります。良く聞いていてください。この祈りの課題をもって祈り続けて、メッセージを聞き続けると、これがたましいの深いところに根をおろすようになります。私たちの考えに臨まれるみことばは、現実を変えることができます。それから、私たちの中に潜在されているものは、未来を変えることができます。それから、たましいに臨まれた神様のみことばは、永遠と関係しているものなのです。よく見て下さい。私たちの考えに臨まれた神様のみことばは、現場を変える、現場と関わっているものです。私たちの潜在意識の中に臨まれた神様のみことばは、宇宙と関係しています。私たちのたましいに臨まれた神様のみことばは、御座と関係しています。

*答え
聖霊充満−5つの力
弟子−一千万弟子のシステム
世界福音化−20の戦略
うまくいかない人は、祈りの課題のスタートが間違っています。祈りの課題が正しくない場合は、このメッセージをすべてのがしてしまいます。神様が生きておられ、私たちを導かれることが間違いなければ、祈りの課題が出なければなりません。サタンが今も私たちを攻撃することが間違いなければ、この課題をつかまなければなりません。その時から、メッセージを聞き続けると、大事な答えが与えられます。これは、聖書のみことばですが、私が経験したことをお話しています。聖霊充満の中から5つの力が生まれます。これが答えとして与えられます。一番先に与えられるのが、霊の力です。それから、神様から与えられる知力です。それから、健康も与えられます。経済力も人材も与えられます。よく見ていて下さい。私たちが事業を世の中でしている時に、聖霊充満が必要でしょうか。私は、そのように思っていません。私たちの事業にも聖霊のわざが必要なのです。今週、お話したと思います。長老さんが、工事現場で働く監督なのですが、いろいろな悪口を言います。それも、ただの悪口ではなくて、とても汚い言葉を使って言っていました。それで振り返って見たら、牧師先生が来ていました。「先生、申し訳ありません。信仰がなかなかないので、このように言ってしまいます。先生は、聖霊充満と言われましたが、工事現場に来ると、そのようになりません。」それは、勘違いです。それは、悪口を言っているだけで、聖霊充満は信じる者に臨むようになっています。うちの教会には、悪口ばかりを言って伝道する人もいます。「てめぇ。教会に来ないと地獄に行ってまうぞ!」と伝道する人もいます。私たちがこの祈りを続けてささげると、聖霊充満に預かり、5つの力が与えられます。イエス様が弟子にしなさいとおっしゃったので、そのために祈ると、一千万の弟子を立てるシステムが与えられます。今、この集会も一千万のシステムなのです。タラッパンでは、広告などをして集会をすることはありません。どうすれば、人をたくさん集めるかというようなことはしません。まず、キャンプを先にします。それから、レムナント、多くの組織を持って普段から動いています。そうしながら、弟子を中心にして、みことば運動を行っています。そのようにして、27万人が起こされました。これから、一千万弟子が起こされます。これが私の祈りの課題です。それから、イエス様は世界の福音化をしなさいとおっしゃいました。ここから生まれたのが、20の戦略なのです。そして、祈り続けるとこのような答えも与えられますし、また、これが祈りの課題にもなります。ですから、今日からこの約束をつかむと、間違いなく神様がわざを始められます。
「先生、今、私はパン屋をやっているのに、何が祈りの課題でしょうか」そうではありません。しっかりしてください。「先生、今、小さな食堂をしているのに、何が世界の福音化でしょうか」そうではありません。大邱から来られた方もおられるでしょう。小学校も出ていない人が大邱に住んでいました。両親もいません。お金もありません。いつもお腹が空いていました。それで、夢にも願っていたことが、ジャジャン麺をいっぱい食べることでした。ですから、ジャジャン麺の食堂に配達をする仕事で就職しました。給料はいらないから、とにかく、ジャジャン麺をいっぱい食べさせて下さいと言ったら、オーナーが良いとOKしたのでした。いくらでも食べても良いということで、それで、ジャジャン麺の配達を10年間していたのです。そうしたら、年をとったので、オーナーからもう出て行きなさいと言われたのです。鉄の箱で配達するのですが、若い時なら良いのですが、年をとると見苦しいから出て行きなさいと言われたのでした。それで、がっかりしました。これから、何をすれば良いのかと歩いている時に、通りがかりの教会に入りました。牧師先生に会ったのです。牧師先生が話を聞いて「配達をせずに、お店を開きなさい。それを祈りの課題にしなさい」と言われたので、本当に祈り始めたのです。それで、テーブルが1つしかない、ジャジャン麺のお店をオープンしたのです。朝早くから行ってお祈りしました。祈りが分かりませんし、課題もありません。店をオープンしただけだったからです。祈りがなかなかできないので、「神様。ジャジャン麺」という2言しかありませんでした。それも毎朝、そして一日中、「神様。ジャジャン麺」と言っていました。牧師先生も、朝の祈祷会で聞いていて、あきれるほど「神様。ジャジャン麺」ばかり言っていました。それで、先生が呼んだのです。「あなたは、なぜそのように祈るのか。『神様、ジャジャン麺を売って、お金をもうけて、世界の福音化』というように祈るべきで、『神様、ジャジャン麺』だけなのか。」と言われて、祈りの課題を変えました。ですから、間違っていても、やり続けていれば、変えられるのです。「神様、ジャジャン麺を通して大邱の福音化、世界の福音化ができますように」この人に答えの門が開かれたのです。誰も、奥さんでさえ知られないように、大邱市内にいる貧しい学生を助けました。普通の人は、助けて名前を出しますが、この人は隠れて助けていました。隠れて助けていたのですが、ばれてしまいました。奥さんも知るようになりました。大邱市にも分かるようになりました。それで、大邱の市長が職員を連れて店に来たのですが、テーブルが一つしかありませんでした。そこで、市長が感動したのです。「どうやって、テーブル一つのお店で、そのように多くの学生を助けることができたのか。」そこで、この人が大事なことを言いました。「私のような無学な人がまた生まれてはいけなから。それから、彼らに福音を伝えなければならないので」そのようにお証しをしたのです。奥さんがお肉を食べたいと言ったので、食べに行ったそうです。それで、お店に入らずに前を歩き回りながら結局、帰ろうと言ったそうです。「私たちが、このようなものを全部食べていて、どうやって子ども達を助けることができるだろうか。このようにもうけて、それで全部食べていて、どうやって世界の福音化ができるだろうか。行き来して、においを十分かいだから、帰ろう」そのようにして、お金をもうけたそうです。私はその人を見て、あなたは無知な人ではないと言いました。一般の放送局から呼ばれてお話をしたりしました。その人のあだ名はジャジャン麺博士です。私たちが行った時に、牧師先生をたくさん招待して、ジャジャン麺でもてなしてくれました。食べてみたら、そんなにおいしくはありませんでした。しかし、その人は、祈りの課題がある人でした。それから、メッセージがある人でした。そうすると、間違いなくある日、このような答えが与えられるようになります。どんなに無知な人でも祈れば答えが与えられます。

3.現場−証拠
そうすれば、ついにどこに答えがあるのか、現場に証拠として与えられます。証拠にはいくつかのことがあります。
(1)口、目
お証しというのは、自分の口で話すこともありますが、他人が目で見るお証があります。他人が見て、神があなたとともにおられると言うのです。ポティファルがヨセフを見て、「神様があなたとともにおられる」と言いました。このような答えが与えられるようになっています。ぜひ、見て下さい。
(2)代表的、時代的、記念碑的
私たちがこの約束をつかむと、代表的な祝福、答えが与えられます。それで、他人を生かすことができるようになるでしょう。私たちは弱い者ですが、時代的な答えが与えられるようになります。それによって、この時代を生かすようになるでしょう。私たちに記念碑的な答えが与えられるようになります。それによって、未来を生かすようになるでしょう。これは、私たちが受ける祝福なので、のがさないようにしましょう。
(3)ローマ16:25〜27です。
 @世界が造られる前からの秘密
これは、誰にでも与えられるものではなくて、世界が造られる前からの秘密なのです。
A隠されている秘密
この福音は誰にでも与えられるものではなく、隠されている秘密なのです。このメッセージを持って1年、2年考えながら、多くのことが入っているので、祈ってください。
B現された秘密
誰にでも与えられるものではありません。みなさんに現された秘密だと言われています。聖書を見てみてください。私たちがこれから受ける祝福なのです。
(4)先に答え−継続して答え
それから、大切なのは、私たちが行ってみると、先に答えが来ています。これが特徴です。私たちがこれを握って祈っていると、行ってみると、もう答えが来ています。それから、継続して答えが与えられます。なんとすばらしいことでしょうか。これで終わるのではありません。

*新しい確信
最初はこのようにしてスタートしたのですが、後で新しい確信が生まれるようになります。
(1)聖書の歴史
私はただ恵まれて生きてきたと思っていたのに、これが聖書の歴史にある祝福なのです。
(2)世界史
この祝福がただの祝福だと思っていたのに、世界の歴史の中にある祝福なのです。
(3)教会史
これが、単なる答えだと思っていたのに、教会史の流れの中にある祝福だったのです。このような確信が与えられます。こうなれば、どのようなことでも奪い取ることができません。ぜひ、祈りの答えを受けてください。

*貴重な存在−自負心
このようになった時に、どうなるのでしょうか。私は尊い存在なのだな。サタンは、あなたは何が尊いのかと言います。だまされないようにしましょう。私は神様が血を代価として買い取られた尊い存在なのだな。私は未来が備えられた貴重な存在なのだ。この時に生まれるものをプライド、自負心と言います。

*必要な存在−自尊心
私はいらないと思っていたけれど、必要な存在なのだな。これを自尊心と言います。「先生、私はこのためにだめです」そのことのために感謝を見つけだしてください。「私は牧師のためにだめです」牧師のために感謝を見つけてください。タラッパンでは、牧師のためにだめだというのは、全部、うそです。今はインターネットでメッセージが流れているので、それは昔の話です。
*背景のある存在−プライド
私は一人ぼっちだと思っていたのに、背景のある存在なのだ。天の背景がある存在なのだ。ここから生まれるのが、プライドです。私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。どんな意味なのか分かるでしょうか。先生方にもに一度お願いします。間違いなく、祈りはすべて動かすことができます。
最高の計画を立てましょう。ただし、神様のみこころに反することがない最高の計画です。それが何の意味でしょうか。「神様、自慢するために教会を建てるならば、ヘロデの神殿になるでしょう。レムナントを訓練しなければならない理由があります。釜山で代表的な教会を建てるようにさせてください。ソウルですべての教派をはるかに超えた代表的な教会を建てるように。それで、教権というのは、異端の中の異端だということが証明されますように。」異端には、3つの種類があります。聖書からはずれてしまった異端があります。それから、教権を握っている本物の異端があります。そして、福音を伝えることによってぬれぎぬを着せられた異端があります。それが、異端の3つの種類です。ですから、悟るようにしましょう。神様が私に答えを与えて下さることによってのみ、悟りが与えられるのです。そして、レムナントだけが証拠になります。最近、あちこちから起こされています。最近、ムン・デソン、パク・ジュヨン、ハン・ジェガンなどが、全部タラッパンのメンバーです。軍隊の重要なポストにいる人々が、タラッパンのメンバーです。すべての所に今、植え付けられています。愚かな人々がインターネットでパク・ジュヨンの問題はタラッパンのメンバーだと出しました。未信者から、教会は内部争いをしないようにと文句が出ています。教権を握っていて、その中で育っている人々は、福音を伝えるのではなく、福音を妨げています。この間は、インターネットに反対の内容が出されました。「パク・ジュヨン、ムン・デソンなどを育てる教団はどこなのか、私たちはそこに行きたい」と書かれていたのです。それに対して私は「来ないように。来たら、そこの先生は自殺するから」と書きたい思いがあります。
私たちは誰でしょうか。本当に必ず覚えてください。昨日の話を忘れてはなりません。感謝の回復です。確信を持って、祈りの課題を握りましょう。そうすれば、このような答えが与えられます。牧師の場合は、最高の計画を立てて祈り始めてください。牧師夫人は祈りの課題を変えましょう。女性の弟子が多くいるので、その人々を立てることができるように。早く死んでしまうと、自分だけが損してしまうから、祈ろうとなってください。牧師が先に死んだ時に、牧師夫人に再婚して欲しいと来る人はほとんどいません。ですから、気を謹んでください。落胆せず、気を引き締めて祈ってください。牧師夫人が死んでも誰も何も言いません。レムナントは崩れることさえなければ良いので、約束を握っていれば必ず成功します。なぜなら、レムナントには、考え、潜在意識、たましいに臨まれるので、いつか現れるようになります。ここには年をとった方もおられます。五十、六十、七十になると、年をとったほうになるでしょう。みなさんの人生の未来をもってすてきな計画を立てて、祈りの課題を握りましょう。私は最後の計画があります。その時は、世界のレムナント共同体訓練所を巡回することです。その時に、牧師先生方と一緒に共同体訓練所を巡回します。その牧師先生の方々が長生きできるように祈ってください。誰かが私に二百才まで生きてくださいと言いましたが、それは無理なので、少なくとも世界の福音化のために回ることができるくらい生きられるように祈ってください。私一人で二百才くらいまで生き残って、この方々がおられないなら、私一人で何をするのでしょうか。私は教権主義者とは一緒にできないので、この方々と一緒にしなければなりません。年をとって、一人でだめになるわけにはいけないでしょう。とにかく、契約を祈りの課題として握って祈り始めてください。
最後の講義の時には、すべて頂いているのですが、生き方について少しお話をしたいと思います。私たちは神の子どもなので、言葉がとても大切です。隣の方々を心から祝福してください。「今日、神様から与えられる祈りの課題を握るスタートになるように」と隣の方々に祝福しましょう。お祈りします。

(祈り)
神様に感謝をささげます。私たちに救いを与えられたことを感謝します。やみに溺れていないように召されたことを感謝します。神の子どもとして、使命ある者として召されたことを感謝します。生涯の祈りの課題が確定できるようにさせてください。今回の集会が本当に大事で重要な集会になりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



3講:生き方−生かす生き方
(ピリピ4:13)
 

私たちが、真の福音、天の真の祝福、約束を持っている者であれば、感謝せざるを得ないでしょう。また、答えられるはずなので、感謝せざるを得ません。聖書を見ると、福音を持つ者は、最後に必ず勝利しているので、私たちも感謝せざるを得ません。ですから、真の福音なのかどうか、これさえ確認できれば、終わりです。それが、第一講のメッセージの内容です。神様は、祈りに答えられます。それならば、私の祈りの課題は何なのか。祈りを通してすべてが可能です。それが、第二講のメッセージの内容です。

それでは、三番目のメッセージ、私たちの生き方です。ピリピ4:13「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」私たちの今現在の住所は、大阪ではなく、私を強くしてくださる方の中です。パウロが一番多く使っていた言葉は、「主にあって」です。ローマ16章に人の名前を取り上げるたびに「キリスト・イエスにあって」と言っています。一回ももれなく、一人一人に「主にあって」あるいは、「キリストにあって」という言葉を使っています。

*Iペテロ5:7〜8−不信仰
牧師先生方は、毎年一回、二回くらい、教会員全員を訪問します。しかし、悪魔は毎日、訪問しています。力ある者なので、一日でも全部を回ることができます。聖書のどこに書いてあるのでしょうか。Iペテロ5:8「あなたがたの敵である悪魔」と書いてあります。
(1)敵−攻撃
未信者には、敵ではありません。未信者は、悪魔にとっては子分なので、私たちが敵なのです。
(2)ほえたけるしし
そのかたちは、ほえたけるししのようだと書いてあります。それで、口を開けて、悲しいからではなく、攻撃するためにほえているのです。私たちは、鳥が鳴くという言葉を使いますが、悲しい民族だから、そのような表現をしますが、これは、泣くのではなく、ほえているのです。
(3)探し回って(訪問)
それから、探し回ってと書いてあります。これが、訪問なのです。とても、早いスピードで訪問していきます。
(4)食い尽くす
そうしながら、食い尽くすべき者はないかを捜していると書いてあります。未信者は、もうすでに捕らわれているから、食い尽くすことはありません。誰を食い尽くすかというと、クリスチャンなのです。
いつ攻撃するかというと、5:7を見ると、私たちを倒すことができないので、不信仰する時に、攻撃してきます。アブラハムは、救いに対して大きな不信仰に陥った時に、霊的にだいぶダメージを受けました。これは、少し疑わしいな、これは不信仰ではありません。あの人がやっているのを見ていると、少し危ないな、というのも不信仰ではありません。アブラハムに、カルデヤを離れてカナンに行きなさいと言われた時、もしかして苦労するのではないかと思うとしても、それは不信仰ではありません。あなたの子孫を通して祝福されます。それは、悪いことではないので、不信仰になることもありません。あなたの妻が子どもを産むけれど、すべての人の祝福の源になるとおっしゃいました。しかし、アブラハムが良く考えてみると、奥さんは、子どもを生む時期が過ぎてしまったので、不信仰になったのです。しかし、それが問題なのでもありません。家内が年をとっているから、子どもが産めるのかと思ったことを見て、神様が怒られたわけではありません。「わたしにできないことがあるのか。あなたの子孫を通してメシヤが来られる。」このような内容に対して、アブラハムはなかなか理解ができませんでした。そのようにして、イシュマエルが生まれたのです。他の女性を通して子どもが生まれたのですが、その名がイシュマエルです。他の女性を通して子どもが生まれた、その当時は、そんなに大きな不信仰ではありません。しかし、アブラハムの中に、大事な何かがあったのですが、それが不信仰だったのです。今のアラブは、イシュマエルの子孫ですが、今も問題になっています。ですから、福音を逃してしまったこと、それが大きな不信仰になるのです。失敗したことは、悔い改めれば良いのですが、福音を逃してしまった不信仰は大きなダメージになります。
それが揺れている時に、サタンが機会をねらっていて、攻撃をしかけてきます。気をつけなければなりません。私たちがキリストさえ分かっていなければ良いのに、キリストを知っています。柳先生は、異端になって、あちこち行ってキリストばかりを語っています。悪魔にとっては大変なことです。私たちが恵まれると完全に勝利します。それを知っていて、私たちが車に乗って家に帰ると、帰る前に直行便で先に悪魔が訪問しています。これは、どのような直行便かというと、ダイレクトに、すぐに行ってしまいます。先に行って、ご主人を触って、恵みをすべてこぼしてしまうようにさせます。そのようにして、滅びるのではないのですが、よく気をつけて覚えていなければなりません。
執事さんの一人で、昔からの知り合いに会いました。飛行機に乗って一緒に行ったのですが、つぶやき、不満をいっぱい言い始めました。自分の教会の牧師、長老の話をしているのですが、自分が耐えることができない状況でした。理解はできました。その執事さんに言いました。「あなたの言うことは十分理解できる。その牧師について、私は良く分かっている。とても人間中心主義的な人だ。教会の長老さんのことも良く分かっている」その執事さんに言いました。「それが大きな問題ではない。あなたは、十何年前くらいに病院で死ぬと宣告されていたことを覚えているのか」兄弟が、みんな血が出ると止まらない病気でした。それを知らずにいたのですが、弟は、歯を抜いて死んでしまいました。もし病気がわかっていたら、何年もかけてゆっくり抜くべきなのに、知らないので、いっぺんに抜いてしまったのです。それを抜いたら、血がずっと出て死んでしまいました。それで怖くて調べてみたら、お兄さんも同じ病気でした。けがしなければ良いので、本当に気をつけて暮らしていました。しかし、問題は、この人が手術をしなければならない状況になったのです。お医者さんに話したら、手術はできないと言いました。「手術をしたら、その場で死んでしまうから、せずに少し長生きしたほうが良いのではないか。手術をしなければ一週間くらい延びるが、手術をしたらその場で死んでしまいますよ」と言われました。神様に私たちが祈りました。それで、誓いの文章を書いたのです。「死んでも良い。手術をしてください」そのように書いて、手術をしたのです。その家族と私たちが本当に福音を持って祈ったのです。奇跡が起きました。つまり、二つの問題がいっぺんに解決したのです。「そのようなあなたが、今、教会と人につぶやいていて良いのか。神様に祈りをささげれば良いだろう。昔、あなたとあなたの奥さんが祈っていたように、祈れば良いのではないか。神様は、あなたの血が流れる根本も治されたではないか。祈れば良いのではないか。」その牧師のことは、この人を理解できるほど、おかしな人だということは、十分分かっていました。しかし、祈れば良いではないでしょうか。そうしたら、やっと涙を流しながら、「分かりました。お祈りします」と言いました。
 私たちは、あらゆる不信仰に陥る時が多くあります。問題を早く解決するためには、不信仰に陥らずに祈ることが、ずっと早いのです。私たちの家族、回りを解決するために、人間的にあがきをすると、もっと大変になるから、神様にお祈りして、神様に解決してもらうのが早いのです。私たちは、うっかりすると、不信仰に陥ってしまいます。ぜひ覚えてください。私たちは、どのような生き方をすべきなのでしょうか。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」と確かに言われています。間違いなく、捜していると言われています。私たちが揺れる時がいつなのか、そればかりを待っています。不信仰に陥った時、それをチャンスだと攻撃するためです。私たちが滅びることができない存在だと分かって、揺れる時に攻撃します。ある人と正面から戦って勝てない時は、裏から攻撃するでしょう。あるいは、その人が酔っぱらった時や、おかしい時に攻撃するでしょう。昔も、有名な人を殺す時には、夜寝ている時に、知らない時に殺したでしょう。
一番最初、アメリカに行って感じたことです。アメリカの先生が、アメリカの問題点についていろいろ話しました。その通りでした。すべてもっともな話でした。それで、かなり参考になりました。しかし、車を降りて言いました。「今日、だいぶわかりました。先生の言われる通りだと思います。しかし、一つお願いがあります。先生は、それを乗り越えないかぎりは、絶対にアメリカの福音化は不可能です。反対に、先生は困難に陥るようになるでしょう。」本当にそのとおりになりました。ですから、神の子どもは何も怖いものはないのです。「何で、あんな人間がいるのか」祈れば、より早く解決します。
釜山で、私に反対するために、タラッパン運動を反対したのですが、そのことが今、全世界に広まっています。釜山の人は知っているでしょう。ホン○○という先生がいます。私が行く所々に、先に行って反対しました。その人とけんかをするでしょうか。本来、その人は、影島のちんぴらのような人だったのですが、ある女性を誘惑するために、教会に行って、それから牧師になった人です。それで、その女性に、神学校に行きなさいと言われて、行ったり来たりしながら、牧師になった人です。その人が老会に入って、老会に大騒ぎを起こします。その人が、私をひっかけてしまったのです。その人とけんかができるでしょうか。方法はありませんでした。私が対抗すれば、向こうも対抗してきますから、けんかになってしまいます。昔、レスリングの選手だったようです。それで、体はがっちりした人でした。海に行って、冷たくても泳いだりしていた人でした。そのような人は、どうすれば良いでしょうか。それも、単なる妨害ではなく、しつこく、最後までするのでした。チュンヒョン教会で、私を講師として招いてくれたことがあります。チュンヒョン教会に、百本以上の電話をかけたそうです。そういう人間をどうすれば良いのでしょうか。簡単です。その人を、神様に完全にゆだねて祈りました。定刻の祈りの時に、祈りました。常時の祈りもしましたが、定刻の祈りの時には、必ず、その名前を入れて祈っていました。祈りも正しくしなければなりません。その人のことを祈る時に、祝福してくださいと祈るべきなのに、その人を止めてくださいと祈ったのでした。みなさんも、良いからといって、あちこちで薬を飲んではいけません。この人が、そのように言われて、薬を飲んで肝硬変になってしまい、突然、死んでしまいました。私がけんかしなくても、神様が解決されると、一番早い方法で処理されます。前もお話しましたが、本当に悪質な人が死にました。亡くなったという話を聞いた時に、不思議に、喜びがあふれそうになりました。ダビデは敵が死んだ時に、悲しんだのですが、私はまったく悲しみませんでした。そこまでの信仰にならないことを少し悔い改めたのですが、それを聞いたとたんに、うれしくなりました。私だけではなく、釜山のほとんどの人が、それを聞いて、残念だとは思わずに「なるほど」という感じでした。私たちは、何一つ、不信仰になることはありません。
アメリカに行った時に、長老の一人が、自分の信仰生活、教会生活、不信仰の話をしていましたが、それは大変なことなのです。完ぺきに攻撃の対象になっていました。問題がやってくるたびに「神様にはおできになる。」と告白しましょう。それは、神様に届くだけではなく、間違いなく存在している悪魔も聞いています。目に見えないサタン、悪魔という者は、声のない私たちの声を聞いています。私たちの中心に入っている信仰告白を聞いているのです。そして、その時に、逃げ去るのです。私たちが約束をつかんだその時にあきらめます。分かるでしょうか。「この人のためにだめだ」ではなく、「神様は解決することができる」「イエス・キリストの御名によって可能だ」その時に、私たちの信仰を神様も受けられるのですが、悪魔も分かって逃げていきます。常識的に考えてみましょう。泥棒が密かに入ってきた時に、泥棒が必ず捕まるように警察に届けて準備しましょう、と聞いたら、泥棒は入らないでしょう。ちゃんと気をつけて備えている所には、誰も入って行きません。開けっ放しのドアとか、そういう所に、泥棒は入っていきます。泥棒が、張先生に電話して、「明日の朝、入るから、ドアを開けておくように」と連絡するでしょうか。こっそり来てみると、そこは入ることができないのです。そうすれば、入れません。入ったとしても、逃げていきます。ですから、これがとても大切な内容なのです。そういう意味で、言葉が大切だというのは、信仰告白が大切だということです。私たちの口と心の信仰告白を神様が聞いておられるのですが、やみの勢力も分かっています。それでは、私たちは、どうすれば良いのでしょうか。
・受け入れ(理由) 
すべてを受け入れましょう。すべてを受け入れるというのは、無条件にということではありません。理由が分かっているからです。ヨセフが、どうやって兄たちを受け入れたのでしょうか。理由が分かっていたからです。そのような愚かな人々は、滅びるしかない。それに絶対にやられることはありませんでした。ヨセフは、契約の人でしたが、兄たちは、食べること、着ることしか分かっていませんでした。それをヨセフは分かっていたのです。兄たちは、そのようになるしかないと分かっていました。サウル王がそのようになるしかないということをダビデが分かっていました。それが分からないのでしょうか。受け入れて、乗り越えましょう。ぜひ、覚えましょう。教会の中におかしな人がいるなら、理由が分かるでしょう。受け入れましょう。
・乗り越える(感謝)
受け入れるとどうなるでしょうか。信仰のない者を受け入れて、いつも同じレベルで遊ぶのでしょうか。それを乗り越えるのです。乗り越えるというのは、そこにおぼれないということです。理由が分かっていたので、逆にそのことのために感謝するのです。それが、超越という意味です。ダニエルは、感謝とともに祈っていました。
・福音(力)
私たちは福音をもって解決しますが、福音は無限の力を持っています。
 今日、私たちはどうすれば良いのでしょうか。

1.自分(すてきな人)
 私たちは、どのような生き方をすべきでしょうか。私たちは、あらゆることをしますが、生かす生き方をしていません。あれこれすべてするのですが、生かしてあげることをしていません。誰を生かしてあげるべきでしょうか。自分自身を生かす必要があります。これから皆さんは、自分自身を生かす生き方をしましょう。
(1)考え方
そこで一番大切なのは、何でしょうか。今から考え方を変えることです。考え方を通して自分を生かすようにしましょう。ピリピ4:7「あなたがたの心と思いを守ってくださる」と言われています。はじめて来られた方は、おられないと思うのですが、私たちはすでに解放されている者です。しかし、この悪魔は、最後の日まで攻撃してきます。不信仰に陥るたびに攻撃してきます。そうだとすれば、私たちは受け入れる姿勢で生きるべきですが、誰から生かすべきでしょうか。自分からです。その中で一番大切なのが、考え方です。考えを何でもかんでも良いように考えるというのではなく、事実をよく見つめるということです。考え方を正しくすることによって、選択を正しくできるようになります。そうすれば、これが小さいことのように見えるのですが、(私たちが使わない未信者の言葉を使えば)運命が変わります。つまり、未来が変わるようになります。先ほどもお話しました。レムナントの7人、ヘブル11章、ローマ16章の人物をぜひ覚えましょう。なぜでしょうか。ヘブル11章には、旧約の人が書かれています。ローマ16章には、初代教会の重要な人々が書かれています。聖書の大事な核になるのは、レムナントです。ですから、この人々をぜひ参考にしましょう。祈りの答えを受ける人々は、考え方から違います。今日から、小さいことでも、大きいことでも考え方を変えましょう。
 ここに来られているかどうかは分かりませんが、日本人の先生で、成功する方だと思われる方がおられました。タラッパン運動をして、教会が大きくなりました。日本も同じだと思うのですが、隣の教会で訴えたのです。この方は、これが正しいので、これをしますと言ったので、老会で首にしようとしたのです。日本では、そうなると深刻です。それで、私を集会の時に訪ねて来ました。「首にされた時に、もしかしたら、柳先生の働きに迷惑になるかと心配です。」と言いました。それで、「できるかぎり彼らと一緒にしてください。最後までだめな時は仕方がないのですが。」と言いました。結局、老会で首にしてしまいました。それで、私が悪魔は、日本製でもアメリカ製でも韓国製でも同じなのだと思いました。日本人は、もう少し科学的かと思っていたのですが、同じでした。他人の話を聞いて、確認もせずに、そのまま進めてしまいました。その方の教会が成長するとねたむのは、韓国の教会と同じでした。先ほども、ある先生とお話したのですが、先生の教会が成長すると、回りから訴えるのです。うまくいかないときは、タラッパンは私も昔やっていたが、聖書的だから良いと言います。しかし、千人、二千人、一万人が集まるようになりますと、ハレルヤと言うべきなのに、訴えるのです。その先生は追い出されてしまいました。追い出されてしまったのですが、信徒が一人だけ残って、全員が一緒に出たそうです。とてもおかしい人が一人残って、全員が一緒に出たそうです。それで、会堂を借りて礼拝をしています。その先生に連絡をしました。「建物を借りる資金を提供しましょう。」人が良い人だと思ったので、そうしようと思ったのです。その先生から返事がありました。「とてもありがたいのですが、遠慮します。」その理由がすごかったのです。「信徒の教育に良くないと思います。私たちが恵まれて、力を得て、献金してすべきであって、助けられるというのは、あまり良くないと思います。それから、信徒の方々が、福音に根を下ろしていないので、下ろすまでしないほうが良いと思います。」ということでした。それで、そのような考え方はすごい、日本にそのような人がいるのだなと思いました。
 兄たちが震え恐れていた時に、ヨセフは何と言ったでしょうか。「お兄さん達が売ったわけではありません。神様が送られたのです」ヨセフは、考え自体が答えられるようになっているでしょう。ポティファルの家に奴隷に来たのですが、「神様が送られたのだ」と言いました。刑務所に入った時にも、「これは神様が私を遣わされたのだ」と考えたのです。そうすると、ポティファルの畑まで神様に祝福されるようになりました。畑まで祝福されたということは、大根も白菜も祝福されたということです。その畑にいるみみずも祝福されたということです。ヨセフのゆえに。畑が祝福されたと書いてあります。畑を走り回っているねずみも祝福されました。一言でヨセフは、すてきな人でした。
ですから、自分を生かしましょう。自分で少しうまくいかないからだめだとか、少し弱いからといって落胆していて良いでしょうか。環境がどんなにだめでも、希望も望みも捨てることができるでしょうか。ここにおられる宣教師は、すてきな宣教師になりましょう。宣教師を見れば見るほど、すてきだなとなりましょう。見れば見るほど、みじめだとなれば成長しません。見れば見るほど、すごいなとなるように。見れば見るほど、落胆するとなると、主が再臨されて自らなさるとしても、うまくいきません。ぜひ覚えましょう。
ヨセフは、考え方が違いました。私たちなら、奴隷になったら適当にするでしょう。何のために必死になって最善をつくし、畑まで祝福されるようになるでしょうか。それで、悪い女のために、誤解されて、生涯、刑務所に行くことになってしまいました。私なら「毎日、あの女の人が私にウインクして誘惑しました」と言うでしょう。しかし、ヨセフはポティファルにそのような話はしませんでした。ヨセフは、本当にすてきな人でした。どうせポティファルの家では、世界の福音化は不可能です。先ほど話したように、祈りの課題をはっきりとつかんでいるので、揺れることはありません。ポティファルに言えば良いのに、言いませんでした。一言で十分です。「神様が私の証人です。毎日、あの女が私を誘惑しました。今日は、引っ張られて行きました。それで服を脱いで逃げたのです」一言で十分です。ポティファルは、誰の話を信じるでしょうか。ポティファルは、ヨセフのことをよく分かっていました。ヨセフの年と立場が分かっていました。ヨセフは、その女性の部屋に自由に出入りできるような身分ではありません。そして、ポティファルが自分の奥さんのことを知らないでしょうか。それで一気に解決します。一言でそうなります。しかし、言いませんでした。静かに刑務所に行きました。その刑務所の中でわざがありません。本当にすごくすてきな人だったのです。我慢しようではありません。それでは、病気になります。奥さんたちも、祈りができない時は、我慢せずに、お皿でも割ってください。そうでなければ、病気になります。そのように押さえつけられると、血管やすべてに問題が起きてしまいます。昔、隣の家の夫婦げんかを見たら、女性のほうがもっと騒いでいました。日本ではないでしょうが、韓国では男性がお皿を一枚割ると、女性は二枚割ったりします。その人は、ずっと長生きしています。そうかといって、皆さんの家のお皿を全部割らないように。私たちは、祈りの秘密を思っていますから。
 ヨセフが我慢したと思いますか。そうではありません。確かな祈りの課題を持って、何かが分かっていました。立派な考えを持っていたので、正しい選択をして、結果はそうなるしかないでしょう。パロ王が見て「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」と言いました。ヨセフを見た人が、全員、神様がともにおられるのを見て、ほれてしまいました。ポティファルも、王も、ヨセフを見て、すてきだなと思いました。聖書を見ながら、ポティファルの妻のことを読んで、一つは認めました。「なるほど、この女の人は、人を見る目は持っていたのだな」と思いました。ヨセフは、それほど立派な人でした。ですから、皆さん、自分自身を生かさなければなりません。これからは、悪魔にやられないで、自分を生かしましょう。私はむりやりにでも告白します。経済の困難がやってきた時に「私は貧しくはない。ただ、今現在持っていないだけなのだ。」また「私は弱い者ではない。今は立場が立場なので、お使いをしているだけなのだ」と告白します。考えがなんと大切なことでしょうか。
 ある日、ホテルに行った時に、キム・ヨンギ伝道師がビデオテープを一本くれました。「先生、今日は時間があるので、少し見てみてください」と言いました。タイトルを見ると「フォレスト・ガンプ」でした。それを見ている内に、目を離すことができず、ずっと最後まで見ました。両足が使えない人でした。それで、鉄で支えて歩いていたのです。そのお母さんが、すごいお母さんだったのです。「あなたには、何の問題もない。あなたは障害者ではない。あなたは足が使えないだけだ。だから、杖を使えば良い」という言葉を聞いて、なるほどと思ったのです。「私は足が使えないだけで、問題があるのではないのだ」その一言と、お母さんの考え方が、その人の生涯を変えてしまったのです。まして、私たちは、神様の子どもです。ですから、良く見ていてください。長い話はいらないでしょうが、本当にこれをつかみましょう。私たちは人間なので、恵まれても、現場に行くと、また揺れてしまいます。ですから、考え方をしっかりとしましょう。自分自身を生かすようにしましょう。

2.周囲の人々
 それから、どのような生き方を求められるでしょうか。これから、私たちは教会で回りの人々を生かしてあげなければなりません。私たちは、殺す者ではなく、生かす者です。私たちが出会う人々がすべて生かされれば、すべて解決します。私たちは、自分自身を生かして、人と出会ったら、その人を生かしてあげましょう。
留学に出る学生に言います。「3つのことをしなさい。第一は、あなた自身が約束を握って祈りなさい。それが第一だ。それから、みんな死んで行くので、出会うたびに、とにかく証拠をお証ししなさい。三つ目は、あなたのやることに専門性を持ちなさい。そうしないと、死んでしまう。」そうでなければ、留学イコール死亡になってしまいます。回りの人を生かしてあげなければなりません。ある日、誤った人が教会に入ってきてしまいます。
*君主論、孫子の兵法、韓非子
私たちは、世の中や学校で習ったのは、君主論などです。それから、学校では孫子の兵法、韓非子などを学びました。あるいは、徳川家康について学んだりしまいた。間違いではないのですが、そのような人々には共通点があります。それは、他人を殺して自分が立ち上がることです。それは、一理はあるのですが、とてもレベルが低い内容であり、その通りなのですが、悪魔の理論なのです。これが終わりのない悪循環をする滅びの理論です。一見、聞いた時にはもっともだと思います。しかし、これが繰り返されると、怖い結果になります。それが教会にまで入り込んでしまいました。福音がないから、このようになるしかないでしょう。
(1)祈りの見張り人(イザヤ62:6〜12):高さ(御座)、広さ(全世界)、深さ(たましい)
皆さんは、これからは回りの人を生かす祈りの見張り人になりましょう。イザヤ62:6〜12です。皆さんは祈りが何なのか分かっているでしょうか。祈りの高さを、祈りの広さ、祈りの深さを理解しているでしょうか。私たちが福音を持って、福音を悟ったとすれば、祈りがすべてです。祈りはどこまで高く上げられるのでしょうか。御座のところまで。祈りはどこまで広くなることができるのでしょうか。座っていて、全世界を。祈りはどれほど深いところまで入るのでしょうか。自分のたましいが生かされるほどまで。人は知らないでしょうが、祈りはすべてです。これから、この祝福を持って、皆さんが行く所々すべてに人を生かすわざが行われるようにお願いします。反対に、私たちに出会ったら力を失うとすれば大変なことです。先生方も、ぜひ覚えてください。人間中心主義、律法主義を使わないようにと言うのは、出会って、力が抜けてしまうなら、大変なことになってしまうからです。神秘主義をやめなさいというのは、それでだめになった時に、より大きな危機になってしまうからです。私たちは、人を生かす大事な祝福をいただいているので、それを持って出ていきましょう。
(2)みことばの見張り人(エゼキエル3:18〜24)
何も難しいことはありません。みことばの見張り人です。エゼキエル3:18〜24。ぜひ覚えてください。
創世記1:1〜13,みことばには創造の力があります。信じられないでしょうが、皆さんが話す言葉も影響力があります。神様のみことばが、私たちのたましいに入ってくると、創造のわざが現れます。
ヘブル4:12、たましい、骨髄、関節、すべてを生かすようになります。ですから、一人でもメッセージをよく吟味して聞くと、すべて生かされるようになります。
 一ヶ月前に手紙が来ました。インマヌエルソウル教会の姉妹が興奮して手紙を書いてきたのです。自分の父親がまちがいなくガンだったのですが、メッセージテープをずっと聴いているうちに、力を得て、病院で調べてみるとガンがなくなっていたのです。それで興奮していたのです。科学的にそういうことはあり得るのでしょうか。あり得ることです。韓国では、グッ(降霊術)というお祓いの儀式を行います。それをずっと行い続けると、意識がなくなって、自分の潜在意識の中に何かが入ってきます。後で滅びるので問題なのですが、その時にはわざが現れます。私たちの中にみことばが臨まれた、信徒と出会う人々に神のみことばが臨まれたとすれば、生かされるはずです。この祝福を受けましょう。このような生き方をしましょう。先ほど留学生に話すことを言ったのですが、それと同じで、皆さんが恵まれると、証しをするだけでもすべてを生かすようになります。
私は、教会に通っているときに、信徒のゆえになかなか信仰が成長しませんでした。しかし、よく考えて下さい。そのまま行けば滅びます。私の母教会は、いつもけんかばかりをしていて、教役者をいつも変えてしまう教会でした。後で全員滅びてしまいました。私も完全に滅びてしまいました。これは何でしょうか。また、副教役者の時に、いろいろな教会を回りました。ぎりぎり祈って少し与えられた信仰が、教会に行くと、すべて逃げて行きます。気をつけてください。私は、教会やリバイバルの講師で恵まれたのではありません。信仰のある執事2人に会って、それによって私が生かされたのです。本当にすごいことです。その人は、私にメッセージを語ったわけではありません。本当に福音を持った信仰のある人でした。私がそれによってたましいが生かされて、すべてが生かされるようになったのです。ですから、本当に気をつけましょう。名前も言ったでしょう。一人は、ソン・テマンという人です。CCCの宣教師になったのですが、この間、キム・ジュンゴン先生に会って聞いてみました。執事だったのですが、すごい信仰の人でした。早天祈祷会の時に、私の後ろに座っていたのです。私は、だれかと話し合っているのかと思いました。私たちは、大きな声で言うでしょうが、この人は一つ一つを話し合っているようでした。神様の前で、率直で切なる祈りをしていました。私と一緒に歩いている時にも、いつも福音を伝える所はないのか、そればかりを考えていました。そして、人はとても謙遜で、謙虚な人でした。そうしながら、実力もあり大胆な人でした。それを見ながら、何かを得ました。時間が流れて、私は牧師になって、その人は信徒なのですが、宣教師として行きました。ある時に、私に話しました。「先生、私は職場をやめることにしました」びっくりして、なぜかと聞きました。「昇進したと聞いたのに、なぜやめるの」「私は昇進したことがとてもうれしかったのです。両親もとても喜びました。しかし、私は大学生の時に、宣教地に行くことを決めたのに、いつ行けば良いのでしょうか」逆に、私に尋ねてきたのです。「いつ行けば良いでしょうか」「宣教地に行かないのも問題ですが、行こうとするなら、いつ行けば良いでしょうか。引退した後、失敗した後に行くべきでしょうか。今、行くべきなのではないでしょうか」なるほどと思いました。その話の意味が問題ではなく、その人の内側から伝わってくる信仰というものがあります。それから、しばらくしてフィリピンに行くことになったと言ってきました。「フィリピンに行くためには、運転免許が必須なので、祈ってください」一ヶ月後に行くことになっていたのですが、それでは、免許をとるのは無理だと言いました。私は二回落ちました。一回落ちると、一ヶ月か二ヶ月、待たなければなりません。今は違うかもしれませんが、昔はとても難しかったのです。実はチョ・ウンテク先生は、8回落ちました。8回も落ちたので、印紙を貼るところが一杯になって、紙はぼろぼろになっていました。自分の家の回りを運転しているときに、警察につかまりました。警察が免許書を出してと言ったので、その先生が、8回落ちたその紙を出したそうです。見た瞬間に警察が笑ってしまったので、一回かんべんしてくださいと言いました。昔は、免許書なしでも運転していて、うまくなってから免許を取りにいったりもしていました。それで、警察が見て、良いよと言ってくれたのでした。それなのに、一回で取るのは無理でしょう。その人に、私は二回、友達は8回落ちた、一回では無理だろうと言いました。そうしたら、その人は「私はできます」と言いました。その後の話が、私には衝撃でした。「私に時間が一ヶ月しかないことを、神様はご存じです」それで、分かったと言いました。心の中では、それでもだめだろうと思っていたのですが、一ヶ月後に免許を取ってきたのです。一週間後に免許書が出る時に、また会いました。びっくりして、どうやって取ったのかと聞きました。そうしたら、運転席の隣に警察官が座るのですが、その人が後輩だったということです。不法だったかと尋ねたら、不法ではなく、隣で、もうしばらくしたら、ブレーキを踏んでくださいとかいうことをすべて教えてくれたそうです。あらゆることで、信仰を感じるようになったのです。そして、何を感じたかというと「なるほど、福音。このきれいな福音」ということを感じるようになったのです。皆さん一人のゆえに。みことばは、生きて働いています。どれほど働いているかというと、私がシンガポールまで行って、その人にメッセージをしました。みことばは、生きて働いているのです。
私が堕落してさまよっている時には、人生は本当につまらないものでした。その時に、シン・ヒョンギュンという先生の集会に参加しました。生まれてはじめて、説教の時間がもう少しあれば良いなと感じました。今、考えてみると、福音でもないのですが、とにかく笑わせるのです。賛美の時に、とても大きな体だったのですが飛び上がるのでした。もっとおかしいことは、飛んでいるときに、ストップをかけたりするのです。そのようにして、とてもおもしろいので、その集会にずっと参加したのです。30年後にその先生の教会に集会のために行きました。その教会でメッセージをしながら、お証しをしました。みことばがどれほど生きて働くものなのか。人を生かしましょう。人を殺さず、人を生かしましょう。そうすれば、すべてが生かされます。ぜひ、約束を覚えましょう。
(3)光(伝道)の見張り人(イザヤ60:1〜2)
 私たちは、光を伝える伝道の見張り人です。イザヤ60:1〜2を見ると、光を照らすとすべてが生かされて戻ってくるようになります。理由が何でしょうか。すべてが暗闇に覆われているので。それで、マタイ5:13〜16、あなたがたは世の光ですと言われています。Iペテロ2:9、この光を宣べ伝えるために召された。
 簡単に覚えましょう。3つです。一人で恵まれましょう。つまり、自分を生かしましょう。そして、無条件に人と出会った時に、生きたお証しをしましょう。長くせずに、簡単に。ご主人にも、何も言わず、神様のわざ、感謝なことをお証ししましょう。ずっと聞いていると、ある日、生かされるようになります。つかまえて文句ばかりを言っていると、生かされても、また、倒れてしまいます。ご主人に、文句のように、あなたも恵まれないといけないと言っていると、だめになります。霊的な問題が深刻だと言うと、「霊的な問題とは何か。あなたがしっかりしなさい」と言われてしまいます。そのようなことはしないように。ある人は、タラッパンに行って、2時間も話をします。そうすれば、もうあきれて逃げてしまいます。昔、副牧師の一人が出てしまったのですが、どんなに一緒にしようとしても、無理でした。店をオープンする所に行って、メッセージを1時間30分ほどしたのです。料理を頼んでいたのですが、その人が、待っていられずに行ったり来たりしていました。店のオープンの時には、メッセージは大事なこと10分くらいで終わるべきなのに、代表祈りを合わせると、2時間ほどになってしまいました。それが人を殺すことでしょう。先生方も、皆さんも、ぜひ覚えてください。皆さんと出会う人が生かされるようにしましょう。どんなに正しいことでも、人の非難を言うなら、言葉はもっともでも、その人と自分のたましいは死んでしまいます。私の話をよく聞いてください。皆さんが、否定的な話、心配の話を聞いていると、それはその通りなのですが、たましいは死んでしまいます。そうすれば、大変なことになります。ぜひ覚えましょう。

3.現場(Uテモテ2:3〜7)
 それから、すべての条件を活用して、現場を生かしましょう。人を生かすと、自然に生かされるようになります。それで大事なことを言われました。Uテモテ2章を覚えましょう。
(1)霊的な兵士−サタン
(2)競技する者−善良な戦い
(3)農夫−生かす
霊的な兵士、競技する者、農夫である。これは、サタンとの戦いを意味します。競技する者というのは、善良な戦いです。農夫は、いのちを与える生かす戦いです。すべてが変えられます。
*レムナント共同体訓練所
大阪もぜひ祈ってください。レムナント共同体訓練所をもって祈りましょう。最初、東京にセンターが開かれ、ワシントンにも与えられました。これから、訓練所で大事な働きをしようとしています。ワシントンには、チャン・ヨンハという長く訓練した人を派遣しようとしています。それは、他の人はしないようにということではなく、他の人のために、本格的にそればかりをするようにということです。東京には、キム・ユイン牧師先生を宣教師として派遣しました。それは、他の人がしないようにということではなく、誰か一人は、それだけを本格的にするようにということです。これから、私たちは、これに大きなヴィジョンを持っています。ですから、日本で一番模範を示しましょう。申・ギソプ先生が、一番立派に、東京にいる方々も一番すてきにやっていってください。ワシントンに行ってみました。家族なので誤解はしないようにと言って、そこの牧師先生に言いました。「共同体訓練所は、このかたちではいけないよ。レムナントが、自分の家なのだと思えるようにしなさい。あなたの物のように考えてはいけない」この祝福のレムナント運動は、これからのすごい運動なのです。これから、タラッパンが、全世界の文化と宗教の前に、挑戦状をつきつけることなのです。しかし、行ってみたら、個人の品物とかがいろいろ置いてあったのです。レムナント共同体訓練所には、そのような変な物は置いておいてはいけないのです。レムナントがいつも自由に、自分の家のように出入りして、お祈りしたり、悔い改めたり、賛美したりする所なのです。世界を動かすためには、頭をそれくらい回転させなければなりません。日本でも、本当に立派にしましょう。時間が流れた後、分かるようになります。その意味で、共同体では東京が一号、宣教師派遣も一号です。日本のレムナント全体の担当は、張宣教師です。東京地域の訓練所の担当をキム宣教師がするようにということです。理由があります。私が知っているかぎり、申・ギソプ先生の教会がすごく祝福されると思います。これから、私たちは現場を生かさなければなりません。この約束をぜひ握りましょう。

*結論−言い訳不要
 結論です。皆さんのゆえに、人が生かされ、現場が生かされるためには、自分から生かされなければなりません。私たちは、すべてを持っているので、考え方ひとつによって、最後までなるようになっています。簡単です。私たちは、どんな場合も、言い訳をする必要はありません。牧師のために。そのようなことはありません。自分が生かされると、すべてが生かされます。この答えを出していないと、大変なことになります。信徒のために。そうではありません。教会のために。そうではありません。自分が生かされれば良いのです。一人でもしっかり祝福されるとすべてが生かされます。ぜひ覚えましょう。言い訳をしていると、天国に行ってからも言い訳をします。つぶやき続けると、習慣になって、天国に行ってからもつぶやいてしまいます。天国に行っても、なんで天国はこんなのなのか、イエス様を見ても、なんで格好悪いのかと言うでしょう。それではだめでしょう。使命者には、言い訳は要りません。
(1)ピリピ1:12〜21(危機)
どんな危機に置かれていても大丈夫です。そのことのゆえに、逆にわざがあります。
(2)ピリピ2:1〜11(苦難)
どんな苦難がやってきてもかまいません。キリストも苦難にあずかっていましたが、万軍の主として立っておられるのです。
(3)ピリピ3:1〜26(成功)
どんな成功もうらやましくありません。最高の知識、最高の計画、最高の報い、最高の権威を持っているのです。
(4)ピリピ4:1〜13(環境)
どんな環境も恐れることはありません。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
それでも、家に帰って、夫の格好を見ると、また不信仰に陥ってしまいます。そのような時に、考えを変えましょう。私も昔、妻を見ると、いろいろありました。先週も腹を立てることがありました。メッセージの準備の準備、祈りもすべきで、カウンセリングも次々あるのに、妻が親戚を連れてきて、保険に入って下さいと言いました。そのようなことが、あまりにしょっちゅうあるので、腹を立てて何かを投げつけたい気持ちになったのですが、押さえました。親戚の前で悪い顔もできないので、我慢して、今日は聖日だから、また今度にしてくれと言ったのですが、それが分からないのです。連れてきた人も、分からないのです。本当に耐えられませんでした。しかし、考えを変えました。私を苦しめようとしているのではなく、何も考えないでしている結果、そうなったわけです。このように考えました。「妻が頭の回転が良くて騒ぐより、ずっと良い。牧師夫人が騒いで成功したのは、一度も見たことがないから、それよりましだ。自分の夫が全世界を回っていて、日曜はとても疲れていて、大変なんだと思うより、知らないでいるほうがましだ。なぜなら、そのような心があれば、霊的にそれが伝わって、心配になるから、そのような考えがないほうが良い」いろいろと考えて、考えを変えました。「どれほど、私のことを考えて、保険に入りなさいと言ったのだろう。時間があまりないので、その時以外は時間がないだろう。」不信仰が入ってきてはいけないので、考えを変える作業をしたのです。結局、それで感謝を回復しました。これは、簡単な話ではありません。この中に、必ずスパイがいて、必ず妻に言いつけるでしょう。告げ口などしないでください。言うなら、本質を言ってください。私たちがonlyイエスと言っても、現場にぶつかると、また不信仰になります。
ある時に、訪問するために果物屋に行きました。そうしたら、商売に必死で私たちがいることすら気づきません。見ながら、そのようにして、献金もして、いろいろしているのだなと、心がじんとしました。信徒のために祈ってあげるべきだと思ったのです。一日中、商売で必死です。そのような人が、恵まれて、聖霊充満に預かることができるでしょうか。つまり、現場に行くと、不信仰しかありません。すごいものをもらっているので、すみやかに考えを修正しなければなりません。そうすれば、すでに祝福の者なので、生かされるようになります。ですから、出会う人に、わざとでも簡単にお証しをしましょう。それから、レムナントを通していろいろな組織、力を合わせて、現場のやみの勢力をうち砕きましょう。それでも、詰まったことがあるでしょうか。それをもって神様に祈って、感謝しましょう。今から、皆さんは、答えを受ける祝福を毎日、見るようになります。
 隣の人にあいさつしましょう。「不信仰にだまされないようにしましょう」「生かす人です」「私が生かされると、すべてが生かされます」

(祈り)
神様に感謝をささげます。私を生かしてくださる神様に賛美をささげます。これからだまされないように導いて下さい。また、次に会う時まで多くの答えを受けることができますように。大阪の集会の後、すばらしい信仰のわざが現れますように。これからは、すべての方法を祈りによって、答えによって進めることができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン